“インスタ映え”が流行語大賞に選ばれたのは、もう5年も前のこと。

それでもなお、映えることに全身全霊をかける女が、東京には数多く存在する。

自称モデル・エリカ(27)もそのひとり。

そんな彼女が、“映え”のために新たに欲したのは「ヨガインストラクター」という肩書だった―。

エリカは、ヨガの世界で“8つの特別なルール”と出合う。しかし、これまでの生活とは相いれないルールばかりで…。

これは、瞑想と迷走を繰り返す、ひとりの女性の物語である。

◆これまでのあらすじ
プロ野球選手・和寿とホテルに入っていくところを撮られてしまったエリカ。それが彼氏・智樹にバレて、約4年の交際に終止符を打つことになる。落ち込む気持ちを紛らわせようとヨガに励んだ結果、無理をして全治1ヶ月の怪我を負ってしまう―。

▶前回:彼と一晩過ごしたあと、急に連絡が途絶え…。2週間後に男から送られてきた衝撃のLINEとは




Vol.11 今までとは違ったタイプの男


「えっと、診察券は…あった」

金曜日の夕方。

私は、自宅から1駅離れた場所にあるクリニックに来ていた。

理学療法士・前川さんのもとで、肉離れのリハビリをするのはこれで5回目。慣れた手順で受付を済ませると、待合室の空いている席を探す。

― 今日は、混んでるのね。でも、もうそんなに足も痛まないし、すぐに座れなくてもいいか。

小さな本棚が置いてある、人けのない壁際を視界が捉える。そこへ向かって、歩き始めたときだった―。

「あの…すみません」

誰かに声をかけられて、ハッと後ろを振り向いた。

「…はい?」

声の主は、私の顔をジッと見つめ、それから視線を落とした。次の言葉を探しているようだった。

― この人、どこかで見たことある…?

ネイビーのスーツに、ラウンド型の眼鏡。パーマがかかった黒髪の彼には、どことなく既視感がある。

その佇まいからも、もしかしたら、過去に仕事で会ったことがある人かもしれないとピンときた。

失礼があってはいけないと、できるだけ丁寧に切り返す。

「えっと、お仕事かなにかでご一緒したこと…ありました?どこかでお会いしたことがあるような気がして…」

そのすぐ後。私は、とんだ赤っ恥をかくことになるのだった―。


「あ、いえ、この受付で何度か一緒になったことがあるだけかと…。鞄から財布が落ちそうになっていたので、教えようと思って。突然すみません」

眼鏡の男性は、私の質問に、慌てた様子で答えた。

― 私、なんであんな聞き方したんだろう。恥ずかしいっ!

的はずれな質問をしてしまったことに、顔がカッと赤くなる。

ここしばらく、自宅とクリニックの往復ばかりだったせいか、頭がぼんやりしていたのかもしれない。あわてて鞄に視線を移すと、バレンシアガのミニ財布が半分以上飛び出していた。

「お財布…本当だ。ありがとうございます」
「僕、その辺によくいる顔なんで。気にしないでください」

眼鏡の奥の目尻が垂れた笑顔は、とても親切そうな人に見えた。

ちょうどそのとき―。

「エリカさん、どうぞ」
「あ、はい」
「あれ、木村も来てたのか。えっと、2人は知り合い?」

前川さんは受付に顔を出すなり、その男性のことを“木村”とやけに親しげに呼んだ。

「木村は、大学時代の同級生なんですよ」
「え!前川さんのほうが、ずいぶん落ち着いて見え…ううん、何でもないです」
「今、僕のほうが老けてるって、言おうとしたでしょ?」
「…うーん、ちょっとだけ」

待合室でこんな会話をした、数時間後。

クリニックの近くにあるカフェで、ヨガの基本経典『ヨーガ・スートラ』を読みふけっていると、見覚えのある2人が店内に入ってきたのだった。




「エリカさん?」
「あ、前川さん。…と、木村さんですよね?」

私は、読んでいた本を閉じる。彼らは、となりのテーブル席に座った。

「エリカさんは、ヨガをされてるんですか?」

木村さんが『ヨーガ・スートラ』に視線を向けながら聞いてくる。

「はい、インストラクターなんです。でも肉離れしちゃって。今は、ちょっとお休みしてます」
「そうなんですか。実は、僕も肉離れで前川のところに通ってたんですよ」

フットサルをしている最中に、ふくらはぎを負傷したのだという。

「そう、それで今日が最後のリハビリだったんだよな?木村、普段は運動とかほとんどしないのに、無理するから」
「会社の先輩の誘いは、断れないからね」

確かに、木村さんには運動のイメージがない。色白で線が細く、どちらかというとインドア派に見える。

「でも、来週またフットサルやるんだろ?怪我しないように、エリカさんにヨガ教えてもらったらいいんじゃないか」
「私でよければ、ぜひ。柔軟性が高くなれば、怪我の予防にもつながると思います。足が治ったら、いつでもレッスンさせていただきます」

こうして、ひょんなことから私と木村さんは、LINEを交換したのだった。




1週間後―。

木村:「フットサルしてきました。なんとか、肉離れはまぬがれました」
エリカ:「よかったです!でも、肉離れは繰り返すっていうので、気をつけてくださいね」

木村さんからLINEが送られてくると、2人の共通の話題“肉離れ”でラリーが続く。

木村:「前川から、早く治すにはたんぱく質を取るのもいいって聞きました。筋肉のもとになるからって」
エリカ:「へえ、たんぱく質!私も、今日から多めにとってみます」

― なるほど、たんぱく質ね。牛肉と豚肉は控えてるから、魚か大豆系かな。

私は、頭の中で献立を考える。

そして、その日の夜から、たんぱく質多めの食事へとシフトした。その甲斐もあってか、翌々週には、レッスンに復帰できるまでに回復したのだった。

気がつくと、私たちは2〜3日に1度、定期的にLINEをする仲になっていた。

彼は、証券会社に勤める30歳。

休日は、1人で映画を見に行ったりして過ごしているということまでは、やり取りの中でわかった。



エリカ:「私もついに完治しました!たんぱく質のおかげかもしれません」
木村:「おめでとうございます。よかったら、来週あたり食事に行きませんか?ヨガのことも、色々と聞いてみたいです」

予期せぬ誘いに、ほんの一瞬とまどった。

なぜなら木村さんは、これまで私のまわりにいたちょっとギラついたところのある男性たちとは、正反対のタイプだからだ。

でも、よくよく考えてみると、その男性たちとの恋愛はうまくいかなかった。それなら、木村さんのような相手こそが、自分と合うのではないかと思えてくる。

こうして私は、彼と2人で会ってみることにしたのだった。


月曜日の19時。

待ち合わせ場所は、日本橋にある懐石料理店『旬蕾』。

5分前に到着した私は、店の前に木村さんの姿を見つけた。

― うそ、早い!

小走りで駆け寄って、挨拶をする。

「木村さん、こんばんは。お待たせしてしまって、すみません」
「こんばんは。いえ、僕が早く着きすぎてしまっただけなので」

店内に入ると、カウンター席に案内される。

「エリカさん、何食べますか?」
「そうですね、じゃあ―」

私が“旬野菜のお浸し”を選ぶと、彼は“三関のセリサラダ”と“原木椎茸のオイル漬け”を選んだ。

― よかった、食べ物の好み…合いそう。

肉離れしているあいだは、ヨガのレッスンと練習から離れていた。そのせいで、ここのところ体型の崩れと体の重さを感じていた私は、前にも増して食事の内容に気を使うようになっていたのだ。

野菜や魚料理を中心に食べられる懐石料理店というのも、私のリクエストだった。

「さっぱりしていて、美味しいですね。僕、和食が1番好きなんです」
「私もです。あ、木村さん、日本酒も飲んでくださいね。“秋鹿 山廃”…おすすめみたいですよ」
「じゃあ、2人の快気祝いに」
「そうですね、乾杯」

お猪口1杯の日本酒を、時間をかけてゆっくり飲む。体が芯から温まってくる。木村さんも、料理と日本酒を楽しんだようだった。

― また会えたらいいな。

まだ2人でいるのにもかかわらず、もうこんなふうに思っていた。ドキドキする胸の高揚感はないけれど、彼のことがすこし気になり始めている。




帰宅すると、木村さんはすぐに連絡をくれた。

木村:「今日はありがとうございました。今度は、僕の行きつけのお店で食事しませんか?」

― 行きつけ…って。もうちょっと、詳細が欲しいんだけどな。

とはいえ、木村さんとは、食べ物の好みが合うことはすでにわかっている。それに、グイグイ突っ込んで聞くのも失礼な気がした。私は、何も聞かずに誘いに乗ることにしたのだった。



数日後。

恵比寿駅で待ち合わせをすると、向かった先はイタリア料理店。

― あれ、和食が1番好きなんじゃ…?

「ここのピザ、チーズがたっぷりでおいしいんですよ。トリュフと熟成ベーコンのカルボナーラもおすすめです」
「…あ、はい。じゃあ、シェアして食べませんか?」

― どうしよう。私、小麦粉と動物性乳製品は…。

本当は、ピザもパスタも大好きだ。しかし、ヨガをするためには、胃腸に負担をかけないようにしなくてはならない。

明日は、4クラスもレッスンがある―と考えると、どうしても食べるペースが落ちてしまう。

「エリカさん、もしかしてチーズ苦手でした?」

― いつもは控えてるんです。だなんて、今は言えないよ。

「ううん、大好きですよ」

そのわりにはのろのろと食べる私を、彼は気にしているようだった。空気を変えようと、こんな質問もしてきた。

「そうだ、今日はエリカさんに聞きたいことがあって―」




「聞きたいこと…ですか?」
「はい、最近たまにふくらはぎが張っちゃって。ストレッチをしたいんですけど、おすすめってありますか?」

私はスマホを手に取ると、Instagramを開いて写真を表示した。

「これとか、いいと思いますよ」
「…へぇ」

木村さんは、写真にくぎ付けになっている。

「木村さん、できそうですか?」
「やってみます。って、これエリカさんのインスタですか?いろいろ投稿してるんですね」

興味あり気な様子の彼に嬉しくなった私は、プチ情報もつけ加えた。

「ほかのストレッチも投稿してるので、よかったら見てみてください。それと、ストレッチは、1パーツにつき90秒以上伸ばしてくださいね。筋膜や靭帯は、伸びるまでに時間がかかるので」
「さすが!フォローさせてもらいました。今日、帰ったら早速やってみます」

さっきまでの不穏な空気が一掃されると同時に、彼が残りのピザをたいらげた。

帰宅後―。

シャワーを浴びると、木村さんからLINEが届いていた。

― ストレッチ、やってみたのかな?

木村:「足が、だいぶ楽になったよ。ありがとう!また、ご飯行こう」

いつもの敬語が砕けた口調に変わっていたのも、次の誘いも、素直に嬉しかった。

だが、次のデートをめぐって、木村さんとのあいだに新たなトラブルが発生するのだった―。

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