先日、某化粧品メーカーのCMがネットで批判を受け、公開中止になりました。

3人の女性が「25歳からは女の子じゃない」とお互いの年齢を憂いつつ、でも、「かわいい大人の女性もたくさんいるから、そっちにシフトしていこう!」と気持ちを新たにするドラマ仕立てのCMです。公開中に実際に見た人も、公式の動画がネットから削除されたことが話題になってからコピーを見た人も多いでしょう。

ひっこめなければよかったのに、と思っているのは私だけでしょうか。

「セクハラ」「女性差別」との批判を受け、このCMがひっこめられたことで、「25歳からは女の子じゃない」という発想をもつこと自体がダメなこと、とされてしまった気がします。

「女の子」というのは、「未熟」という意味もあります。女性が仕事をする上で「女の子」と言われるのは、「仕事ができない新人ちゃん」という揶揄も含まれて、嬉しいものではありません。「女の子じゃない」という言葉には、「四捨五入すれば30歳。もう甘えてもいられないから、仕事もきっちり頑張らなくっちゃ」という気持ちも含まれていると思ったんだけどな。

CMに登場する女性たちと同世代、25歳前後の独身OLに感想を聞くと、「別に普通」という回答が多くみられました。25歳の誕生日を喜べない登場人物に我が身を重ねたという人もいたし、共感まではいかないものの「そういう風に考える人もいるだろうと思った」という冷静な意見もありました。

しかし、その少し上、アラサーOLの感想はちょっと違います。「25歳なんてまだまだ若い。そんなんでヘコまれたらこっちの立つ瀬がない。ああいうことを言うタイプは、年上の女性をおばさんだと思ってバカにしている子」、「25歳は女の子じゃないし、なんなら24歳も女の子ではない。ずうずうしい」、「キャーキャー騒いでバカみたい」。

確かに、「かわいいという名の武器を失った私たちは、キラキラしている後輩や次々結婚していく友達を妬ましく思うのよね!」という会話はお世辞にもお上品とはいえません。でも、それは女同士、気心の知れた友達の間だけの秘密の会話です。それをフックに「前向きになろう!」と鼓舞しているCMです。でも、その「腹黒い感情」が白日の下にさらされてしまった気がして、いたたまれなくなったというアラサーOLが多かったようです。

また、ジェンダー理論を勉強してきた知人によると「女性は若いほど価値があるという考えを、当然のことのように文脈に織り込むのはセクハラに相当する」んだそう。なるほどね……。

「チヤホヤされないし、ほめてもくれない」というセリフに、「男性からのモテをほしがっている感じが同性として不快に思った」というアラサーOLもいました。一理ある。けれども、好感度を高めたいからメークで自己ベストのキレイを極めたいと思う女性も少なくありません。エッジの効いたCMだったので、公開前から賛否は当然あると制作側はわかっていたと思うのです。ネットで自由に発言できるようになり、攻撃的な意見が取り上げられやすくなっている時代ではありますが、“この程度の”批判でひっこめてしまったら、今後なにも言えないし、作れないんじゃないかと思ってしまいます。

2作目の、「“頑張ってる”が顔に出ているようじゃプロじゃない」は、公開のタイミングが悪かったとは思います。

ちょうど、昨年、24歳で亡くなった広告会社の女性に労災認定が下りたというニュースが報じられたときでした。彼女のツイッターには、連日の残業の様子が赤裸々に公開されています。その中で、上司から「忙しいからって髪の毛ぼさぼさだったり目を充血させたりして来るな」と言われたという投稿もあり、どうしても、CMとシンクロさせてしまう。

CMでは、そのセリフを言った上司と言われた女性の間には、親しみや信頼感の雰囲気がきちんとつくられていて、しかもコミカルに描かれていました。今更、謝罪とともに公開が中止されたルミネのCMと比較するのもあれですが、よっぽど気持ちよく見られるCMでした。

しかし、先に紹介したジェンダー理論女史に言わせれば、「こういうものを許すことが、女性の労働状況を悪化させる要因になる」んだそうです。もう本当に、世知辛い世の中です。

今回は、「現実がそうだからといって、CMで“女子ってこうでしょ?”と見せられるといい気分がしない」という人の意見が強かったということなのでしょう。

「誕生日に女同志でシャンパンとケーキで乾杯というのも昭和っぽい」という意見も。キャンプ場でミルクティーの入ったカップをフゥフゥしあってたらイマドキだったのかもしれないが、酒に罪はない。

その2では、あずき総研で聞いた「25歳は女の子じゃない」「頑張ってるのが顔に出るようじゃプロじゃない」に、もやもやっとしたアラサーOLの本音を紹介します。