―あの頃の二人を、君はまだ覚えてる...?

誰もが羨む生活、裕福な恋人。不満なんて何もない。

でもー。

幸せに生きてるはずなのに、私の心の奥には、青春時代を共に過ごした同級生・廉が常に眠っていた。

人ごみに流され、都会に染まりながらも、力強く、そして少し不器用に人生を歩む美貌の女・里奈。

運命の悪戯が、二人の人生を交差させる。これは、女サイドを描いたストーリー。

派手な女子大生生活の後、総合商社での理不尽な社会人生活に疲弊した里奈は、7つ年上の直哉との結婚したが、仮面夫婦に陥ってしまう。

そんな中、里奈は廉の結婚式に呼ばれ、彼への友情が変化し始める。そして、サークルの同窓会で再会したとき、ついに廉を誘ってしまった。




「廉の泊まってるホテルで、二人で飲もうよ」

私が思わずこんなセリフを口にしてしまったのは、「里奈、二次会いく?」と、廉がお酒で赤く染まった顔を向けたときだった。

無防備な笑顔が困惑に侵されていくのを、私は何かの実験でも観察するように、どこか客観的に眺めていた。

-やっぱり、私たちは“友だち”なんだ。

突然の誘惑に硬直している廉を前に、私は落胆と安堵を同じくらい感じた気がする。

しかし、「冗談だよ」と廉の肩を叩こうとしたとき、彼は私の腕をぐいっと強く引き寄せ、耳元で囁いた。

「渋谷のセルリアンタワー、先行ってて。すぐ行く」

手を離されたとき、廉はすでにいつもの“盛り上げ役”の顔を取り戻し、仲間の輪の中にすんなりと溶け込んでいた。

摑まれた二の腕だけが、いつまでもジンと熱く痛んだ。


二人は、ついに禁断の一線を越えてしまうのか...?


友情が砕けた瞬間


「お待たせ」

私より少し遅れ、セルリアンタワー東急ホテル内のバー『ベロビスト』にやってきた廉は、どことなく不機嫌そうに隣のカウンター席に腰を下ろした。

つい先ほどまでの酔いはすっかり冷めているようだが、廉はまるで学生時代のようなぶっきらぼうな口調で「ビール」とバーテンダーに頼んだ。

「時間、平気なの?旦那は?」

「出張よ。あれを出張と呼べるのか分からないけど」

私が自嘲気味に答えると、廉は「そういう言い方はやめとけよ」と、目を合わさずに答える。

「そっちこそ、奥様をシンガに一人残して大丈夫なの?」

「...さぁ」

そうして私たちは、ほとんど無言のまま暫くの時間を過ごした。

海を越えていたときは毎晩連絡を取り合っていたのに、いざその姿を目の前にすると、身動きが取れなくなる。だが、この沈黙はむしろ心地良いものだった。

もっと若い頃は何を考えているのか分からなかった廉の心境が、言葉はなくとも何となく伝わる。おそらく彼も同じだろう。




24時のラストオーダーで最後の一杯を頼むと、私たちの間にはピリッとした緊張感が生まれた。

しかし、それでもお互いに核心に触れることはなく、私は次第に退屈し始めた。

自分でも一体何を期待していたのかは分からないが、廉との二人きりの時間は思ったほど昂揚するものでもなく、ただ時間だけがのらりくらりと過ぎていく。

そういえば、学生時代に廉と深夜のファミレスや彼の家で過ごしたときも、同じような時間の流れ方だった。

「そろそろ、帰ろうかな。廉もだいぶ酔ったでしょ。付き合ってくれてありがとう」

「あぁ...」

支払いを部屋付で済ませてくれた廉に礼を言うと、私は先導を切ってエレベーターに向かった。これまでの時間が、一気に過去のものになったように思える。

「今すぐ、帰らなきゃいけない?」

しかし、二人きりでエレベーターに乗り込んだ瞬間、廉の低い声が響いたかと思うと、唇を塞がれていた。

咄嗟のことで思わずその身体を押し返そうとしたが、廉の腕は思ったよりもずっと頑丈で、逆にすっぽりと抱きかかえられてしまう。

廉は一旦唇を離し、もう一度私の体を強く抱きしめてから、今度はゆっくりと探るように唇を重ねてきた。

そうして私たちは何度か唇を重ねたが、1階に到着してエレベーターの扉が開いたとき、彼はやはり不機嫌そうに私に背を向け、エントランスに向かって歩き出した。

「ごめん」

なんで謝るの、という言葉を、うまく発することができなかった。

「タクシーで送るから」

昔から、廉は何も変わっていない。

私の心の根底からザワつかせる言動や行動を取っておきながら、結局最後は知らん顔で背を向ける。

でも、私は変わった。もう、一人ぼっちで強がれる年齢でも立場でもない。

「廉の部屋に連れてってよ」

私が強く言うと、廉は一瞬気まずそうに目を逸らした。

そして、どことなく悲しそうな顔で、少しの間何か考える様子を見せてから、とうとう小さな声で答えた。

「スイートルームとかじゃないけど、いいの?」

笑いにくい冗談だと思ったが、二人は同時に小さく吹き出していた。


二人はとうとう結ばれる...!?そして、帰宅した里奈を待ち受けるのは...?


10年かけて、辿り着いた夜


部屋に入ると、私たちはソファに座り、ペットボトルの水を二人で飲んだ。

廉は無言のまま、窓の外をぼんやりと眺めている。

すると私は、柄にもなく急に不安に駆られた。

廉に無理をさせてるんじゃないか。このまま突き進んだとして、私たちは一体どこへ向かうのか。私は廉が遊び相手として使い捨ててきた、中途半端な女たちの一人に成り下がるのではないか。

このままバッグを掴み、部屋を出て行くのが懸命な判断かもしれないとも思う。

「どうしたの?」

私の様子を察したのか、廉がこちらを振り返った。

「別に、なんでもない」

尖った声が出てしまったのと同時に、私は意を決して廉に身体を押しつけた。直哉の顔が一瞬頭に浮かんだが、罪悪感は微塵もない。

「里奈...」

壊れ物に触るような手つきと儚げに揺れる廉の瞳が、胸に染みて呼吸が荒くなる。もっと投げやりに扱ってくれた方が、どんなに楽だろう。

だが、廉が丁寧に私の服を一枚一枚脱がせ始めたときにはもう、心からも身体からも欲望が溢れ、自分ではコントロールできないものになっていた。

「里奈、里奈、里奈...」

廉は私を抱いている間、何度も何度も名前を呼んだ。

窓の外には、東京の夜景がキラキラと輝いている。10年もの時間をかけて、やっとこの夜に辿り着いたのだ。

目を閉じながら、そんな風に思った。






自宅に戻ったのは、もう明け方近かった。

白み始めた空をタクシーから眺めているときはうまく思考が働かなかったが、玄関のドアを開けた瞬間、私は一気に現実に引き戻された。

「こんな朝まで、何してたんだよ」

そこには、夫の直哉の怒りを露わにした姿があったのだ。

「ごめん...。今日はサークルの同窓会だって言ったでしょ。久しぶりに盛り上がって、気づいたらスマホも充電が...」

「あのチャラいサークルかよ。いい加減にしろよ」

自分の日頃の愚行は棚に上げ、直哉は容赦なく怒りをぶつけてくる。

「だって、直哉も出張だって言ってたから、たまには...」

「俺とお前は、違うんだよ!」

思わず身体がビクっと震えるほど、直哉は大声を出した。

「わざわざ早く帰ってきてやったのに、何なんだよ」

夫の怒りが収まる気配はなかったが、私の怯えた様子を見ると「もういい、寝る」と、寝室へ戻って行く。

私はその背中に「ごめん」と小さく声をかけながらも、ホッと胸を撫で下ろし、急いでバスルームに直進した。

ぬるめの湯船に全身を浸けると、ようやく身体の小刻みな震えが収まった。

今までも行儀のいい妻とは言えない生活を送ってきたが、こうして夫を裏切ったのは、結婚以来初めてのことだ。

いや、これまでの人生でも、私は意外にも“浮気”というタブーを犯したことはなかった。

とうとう道を踏み外してしまったという興奮と怯えが、交互に襲ってくる。

直哉はすでに何度もこのスリルを経験済みなのかと思うと妙な共感すら覚えたが、では廉はどうだろうと思うと、胸が焼けつくように痛んだ。

大きく深呼吸をして息を吐くと、今度は全身に廉の唇や肌の感触が蘇り、身体と頭の内側がぼうっと熱くなる。

―もっとゆっくり寝ていけばいいのに。

帰り際の廉の拗ねたような声が、甘く耳に蘇った。

束の間の甘美な記憶に酔いながら、つい昨日までの自分と今の自分が、まるで別物のように感じる。

―今日の夜まで東京にいるから、もし会えたら連絡して。

それはまるで、灰色にくすんでいた日常に、柔らかい日差しが注がれたような感覚だった。その心地良さに、私は本来の冷静さを失っていく。

“妻”という立場で夫以外の男に心と身体を捧げる快楽と苦痛がどんなものであるかを、このときはまだ、何も理解していなかったのだ。

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束の間の快楽に酔う二人。しかし、その背後に思わぬ敵が忍び寄る...