東京に生きる、結婚しない女性のストーリー。今回の主人公は、商社で働く細川絵里香(36歳)。

東京、神楽坂は22時だった。なじみのワインバーから「もう帰りなさい」と追い出された。靴底で石畳が冷たくなっていることを感じた。もう秋が深まっているのだ。でこぼこした歩道がマノロのヒールを傷つけないか気にしながら、絵里香は飯田橋駅へと坂を下って行った。

ワインを飲み過ぎた。しかし、ふらつく足元を支える男はいない。今日は男女3対3の食事会と言う名の合コンだった。どこか冷めた目で他人を観察してしまう絵里香は、男性から距離を置かれ、二次会に誘われず、1人でなじみのバーに来た。

絵里香は美しく、自分でもそのことをわかっている。その美貌に惹かれ、宴の最初はもてはやされる。しかし、終わる頃には距離を置かれているのはいつものパターンだ。距離を置かれていることを感じると、男のコンプレックスをつつき、言いたいことを口に出し、相手をカチンとさせたり、傷つけている。東京生まれ、東京育ち。名門私立大学を出て“いい会社”に勤めている絵里香は、男をマウンティングし放題だった。

東京生まれの女は、アマノジャクでひねくれているのか……?

そもそも絵里香は都会人の常で、他人が何かに盛り上がっていると、素直にその波に乗れない。この気質は親から譲り受けたものだ。今は友人たちの間で自然発生する何度目かの婚活ブームで、年齢的にも“後がない”のだが、これまで以上に結婚から半端な距離を置いて眺めてしまう。周りが見えなくなるほど婚活に必死になっている女から結婚していくのに、そうはなれない。絵里香だって結婚はしたい。それでも婚活や恋愛にのめり込むことが、滑稽に見えてしまうのだ。それなのに、結婚を無視するほどの根性もない。そんな自分を持て余しながら、電車に乗った。

電車のガラス窓は陰影を濃く映す。窓に映り込む自分と目が合う。そこにはほうれい線が深く刻まれた、疲れた顔の女がおり、思わず目をそらした。毎日マッサージをしているが、ほうれい線は目立つ一方だ。

その瞬間、“為せば成る”というかつての上司・田中仁志の口癖を思い出した。彼は福井県の高校を中退し上京。食うや食わずの生活の中、夜間大学を出て日本を代表する商社に入った。東大、慶應といった学閥を軽やかに飛び越え、最年少役員に上り詰めた立志伝中の人物だ。

仁志が言う一生懸命努力し、勉強し、練習すれば最後は報われるという根性論に、20代の絵里香は大きな疑問を抱いた。努力して希望が実現するなら苦労はしない、それなら無理をせずに、好きに生きたほうが幸せになれる。追い詰められたら人のせいにしてしまえばいい。庶民なんてそんなもんだ。職人の家に生まれたものの、親の希望で会社員になり、うつで追い込まれ、休職を繰り返す父を見て育った絵里香は心からそう思った。

仕事も恋もほどほどにこなすうちに、何も手にしないまま20代、30代はあっという間に過ぎていった。

自宅があるJR浅草橋駅で降りると、入り組んだ路地の奥にある家に帰った。両親は定年退職を機に熱海へ移住し、6歳年下の妹はサンフランシスコに住んでいるので、絵里香は祖父の代に建てられた、がらんどうの木造民家にたった1人で暮らしている。

ふらつく足でキッチンに行き、水を一杯飲み、黒のジャケット、袖がシースルーになったネイビーのタイトなワンピースと、黒いストッキングを脱いだ。今日の合コンに参加した友人は、白のニットワンピや、明るいとろみ素材のブラウスを着ていた。女は、ファッションやメイクの選び方ですべてが解る。思想、趣味、人生、性格、金銭感覚、結婚観……外見に人生の全てが現れているのだ。

「私はきっと、中途半端にプライドが高く、婚期を逃したかわいそうで生意気な都会の独身女なんだろう」と、服を脱いだ絵里香は口に出した。何年も誰からも触られていない絵里香の小さな胸は垂れており、子供を産んだことなどないのに下腹はたるんでいた。

ブーッと、モード系ハイブランドのバッグ中でスマホが1回震えた。画面を見るとかつての上司・田中仁志からLINEが来ていた。そこには<今、東京着いた。そっち行っていい?>と簡素なメッセージがあった。半年ぶりの連絡が深夜にせっつくようにきて、何だと思ったが、即座に<いいよ>と打ち返していた。

仕事以外の喜びを知らず、仕事を憎みつつ、そこにすがることしかできない男を、絵里香は内心小ばかにしていたが……。

絵里香は男性と交際しても、結婚まで発展した経験をしたことがない。その理由は……〜その2〜に続きます。