女性誌『Suits WOMAN』で注目を集めた「貧困女子」。これは普通の毎日を送っていたはずが、気がつけば“貧困”と言われる状態になってしまった女性たちのエピソードです。

今回お話を伺ったのは、アパレル関連会社でアルバイトとして勤務する永岡裕子さん(仮名・35歳)。彼女は今、埼玉県草加市内にある実家で、64歳の母親と2人暮らし。

「母がまだ働いているから、なんとか生活できていますが1人だったらムリ。母子家庭で育って、母には余裕がある老後を送ってほしかったのに、まさか自分が迷惑をかけるとは思っていませんでした」

昭和時代を思わせる、茶色×青色のレトロなボウタイのひざ下丈のワンピース、黒のレギンス、アメリカブランドのスニーカーは、高円寺の古着屋さんで20年ほど前に買ったものだそうで、スリムな裕子さんに似合います。バッグはキティちゃんがプリントされたレッスンバッグで、全体的に少女趣味的な雰囲気にあふれています。アメリカのナイロンバッグブランドのポーチをお財布として代用。それは手垢で茶色くなっていました。自宅でカラーリングをしたのか、色むらがある栗色の髪の毛はボブに切りそろえられており、見た目はおしゃれなカルチャー女子。しかしシワが寄った手の甲、深く刻まれたほうれい線に年齢が現れています。

「すみません、食べ物を頼んでもいいですか」と言い、照り焼きチキンのサンドイッチを食べながら、お話を伺うことにしました。

「小学校高学年の時に両親が離婚しました。母は高校卒業後からずっと保険のセールスをしていて、表彰もされたレベルの人。すごい努力家なので、すぐに正社員待遇になって報奨金も出ていましたが、ダメ男が好きなんです。離婚した私の父は、親の財産で遊んでいて都心にある実家から放り出され、母のところに転がり込んできたそう。結局、お酒と女性問題で、母のお金を持ち出すようになり、私を守るために母は離婚して家を出ました」

学歴コンプレックスの母の監督のもと、深夜2時まで勉強した中学受験の結果は?

大田区の工業地帯にある、駅から徒歩20分以上の一軒家で、裕子さんは母と2人暮らしをスタート。これは、父親から逃れる意味もあったといいます。

「母は自分が高卒で苦労したから、娘には学歴を持って欲しかったと思っていたようです。だから、そんな不便な家に住みながら、私を中学受験の塾に通わせていました。でも駅からお店がほとんどなくて、明かりも少なく、周りは町工場だらけの暗い街で、夜9時ごろに帰宅するのが怖くて、塾に行ったふりをして友達の家で遊んでいたんです。母はマネージメント術に長けているからそういう変化をすぐ見抜いて、叩かれたり水をかけられたりしました。母もあのときは若かったし、必死だったんだと思います」

塾の課題が終わらず、母の監督下で深夜2時頃まで半分以上眠りながら、勉強したこともあったと言います。しかし、裕子さんは母の第一希望よりもかなりランクが下の、女子大学付属の中学校に合格しました。

「母はエスカレーター式に進学できると、ホッとしたみたいですね。その頃から、仕事を増やしたのか、彼氏ができたのか、深夜に帰ることが増えました。家も草加に中古マンションを買って引っ越し。駅から近くなったのは嬉しいのですが、東京都民じゃなくなったのがちょっとひっかかったかな(笑)」

裕子さんは勉強が嫌いで、どちらかというと絵を描いたり、男の子と遊んでいた方が楽しいタイプ。中学校は女子ばかりだから、本当に退屈だったと続けます。

「中学2年生の終わりくらいに先輩に声をかけられて、渋谷で遊ぶように。あのときは高校生と自称して、20歳くらい年上の男性と遊んでいい思いをしました。中3から高校2年の終わりくらいまでは、女子高生ブームのような時代の気分もあり、人生で一番いい思いをしましたね」

高校3年生になると声をかけてくる男性が明らかに減り、ババア扱いされるようになっったそう。勉強が嫌いだったので、短大への進学を選びます。

「母は、短大さえ出しておけば何とかなると思っていたみたいです。年上の男の人と遊んでいた時に、昭和レトロの文化を教えてもらって、派手な古着ばかり着るように。私は昭和20年代に生まれるべきだったんだと、今でも本気で思っています。それで新宿のカルチャー系のお店で出会った25歳年上の男性と19歳のときに結婚し、そのまま主婦に。22歳のときに娘を産んで、あのときは幸せでしたね」

父親とは、母親の離婚後に会ったことはない。年上の男性に惹かれてしまうのは、父親を求めているのかもしれないと語る。

29歳のときに、54歳の夫が会社をクビに。貯金も底を尽き、メンタル面の病になる……〜その2〜に続きます