DJあおいさんと「仕事がデキること」について考えていく連載「私は仕事ができない。」12回目のボヤきは「ふと無気力になる」です。

【今週のボヤき】

普段、忙しく仕事をしていますが、ふと無気力になる瞬間があります。自分の仕事に意味がないと感じてしまったり、他の人がすごくできる人に見えて自分が平凡に思えてしまったり、会社の未来は大丈夫かと不安に思ったりと空虚感と不安に襲われます。明け方、目が覚めて自分の将来が不安になることもしばしばです。休日もぼーっとする時間があると余計なことを考えてしまうので、なるべく忙しくするようにしています。普段は仕事をすることで不安や無気力感を打ち消していますが、時々ふと襲ってくる空虚感はどうすればよいでしょうか? うまく付き合っていくしかないのでしょうか?

行動の原動力が“不安”になっていない?

ふとしたときに無気力になったり、未来が不安になったりする人というのは、学生時代で言えば夏休みの課題を土壇場までやらないタイプの人ですね。崖っぷちにならなければ動けないタイプで、行動の原動力が”不安”しかない人です。

不安にならなければ行動ができないので、ある程度仕事が進んで不安を払拭すると原動力を失って無気力になってしまうんですよね。そして再び自分を鼓舞するために未来に不安材料を見出し、自分を追い込んで、その不安を原動力にして動き出すわけです。

安心すると無気力になってしまう、そして自分を追い込んで不安を原動力にして行動する、その繰り返しですのでどんな仕事をしてもストレスしか生産しない罰ゲームのようなお仕事になってしまいがちなんですよ。

原動力を“快感”にしよう

夏休みの課題で例えるとわかりやすいのですが、崖っぷちにならなければ行動しない人は“終わらせること”が目的になります。

とにかく終わらせればいいという考えですので何も身につきません。終わらせた達成感は得られますが何も身についていないわけですから、そこで”虚無感”という虚しさに襲われて「何のために勉強するんだろう、、、」という疑問に苛(さいな)まれてしまうわけですね

計画通りに進める人は終わらせることが目的ではありません。

目的は身につけるためであり明確な目標はもっと先に設定してあるもので、夏休みの課題はその目標のためのひとつのプロセスでしかないわけですね。

原動力は“不安”ではなくやったことが身につく“快感”になりますので、ひとつ身につける度にひとつストレスが浄化されて、ストレスを蓄積させることもなくポジティブな原動力で行動できるわけです。

働く意味は自分で作るもの

仕事でも同じことでして、ただ今日の仕事を終わらせることが目的になってしまうと何も身に付かずに、虚しさしか残らない仕事になってしまいます。

大切なのは未来のビジョン、その未来のビジョンに期限を与え、そこから現在まで逆算してこと細かく計画を立てること、あとは計画通りに遂行していくだけ。それが働く意味となりモチベーションとなり、仕事に手応えを感じるものになります。

働く意味は探すものではなく自分で作るものってことですね。