「虐待することが連鎖してしまったらどうしようっていうのが怖かった」。幼少期に母親から虐待を受け、児童養護施設で育った松尾知枝さん。その過酷な経験は結婚後も松尾さんに影響を及ぼしたそうですが、大人になって親の立場を理解できるようになった今では、親に対する怒りや恨みは抱いていないと言います。

【写真】「かわいい」CA時代の松尾さん。当時は1000回以上の合コンを企画したそう(7枚目/全14枚)

境遇は変えられなくても境遇の意味は変えられる

ワインスクールに通うほどワインが好きな松尾さん

── CAからタレントに転身、現在は婚活・コミュニケーションコンサルタントとして活動する松尾さんですが、幼少期は母親から虐待を受け、小学5年生から8年間、児童養護施設で暮らしていたそうですね。その後、高校を卒業するタイミングで施設を出て実家に戻ったそうですが、それはなぜでしょうか。

松尾さん:母は私が児童養護施設に入ると同時に精神疾患で措置入院となり、卒業当時も入院をしていました。父は酒やギャンブルに溺れていたものの、仲違いしたわけではなかったので、実家に戻ることに抵抗がなかったんです。

奨学金をもらいながら、たりない学費はアルバイトをして稼ぎつつ大学に通いました。金銭的には厳しかったので、周りの同級生が学生生活を謳歌するのを横目に、私は飲み会に行くことすらほとんどなかったですね。

── 必死に大学に通い、卒業後はCAになりました。当時、CAといえば女性の憧れの職業で、採用も狭き門だったと思います。

松尾さん:実はCAに対する憧れはまったくなかったんです。ちょっと変な動機ですが、これまで過酷な環境で生きてきて、いつしかそのアップダウンのある境遇を乗り越えていく楽しさを実感するようになっていて。仕事がハードなCAという仕事が私の特性には合うんじゃないかなと思ったんです。また、人とのコミュニケーションがすごく苦手だったので、CAの職場なら逆に、厳しく教育してもらえるのではと思って目指しました。

── 人生のアップダウンがポジティブに捉えられるようになったのはいつ頃からですか。

松尾さん:19歳のとき、古本屋で買った仏哲学者ボーヴォワールの著書『哲学は女を変える』を手にしてからですね。「境遇はすぐに変えられなくても、その境遇の持つ意味は自分で変えることができる」といった内容に衝撃を受けました。母親から虐待を受け、児童養護施設で育つなど、自分が置かれたそれまでの環境にコンプレックスがありましたが、自分を変えていけるのかなって希望を持てるようになったのがこの本でした。

また、実際CAになった後も、同期から「多感な時期に親から離れたことで、親の呪縛に染まらずに生きることができたから、あなたは自由な感性を持って生きることができた。そうとも考えられるんじゃない?」「うちの親は厳しく、あれこれ指示することも多かったから、あなたの境遇はある意味羨ましい」と言われ、目から鱗でした。まさに私の境遇の持つ意味を変えられるひと言でした。

いちばん消したかった過去を受け止めた夫と結婚し

起業した婚活スクールの講義にて

── その後しばらくCAとして活躍した後、婚活コンサルタントに転身されました。

松尾さん:CA時代に周りからよく恋愛相談を受けることが多かったのですが、私が話を聞いて現状を分析し、アドバイスしたらうまくいくことが多かったんです。なかには結婚した人もいました。次第にみんなから合コンをお願いされるようになって、気づけば1000回以上の合コンを企画。その経験を通して人間観察をしてきたこともあって、婚活コンサルタントの会社を思いきって起業しました。

── 今の旦那さんとも合コンで出会ったのでしょうか?

松尾さん:彼とは合コンではなく異業種交流会で知り合いました。彼は児童養護施設で育った私の過去を自然に受け止め、「カッコいいじゃん。ガッツあるね」と言ってくれて。当時、いちばん消したかった私の過去でしたが、彼なら私の逆境を共有できる、何かあってもうまく乗り越えていけるだろうなと思い、交際から1年後、結婚に踏み切りました。

── 今年で結婚されて15年、家族の在り方など家族観は変わりましたか。

松尾さん:私が虐待を受けて育ったので、その反動で「理想の家族を作りたい」という思いが強すぎたのか、結婚して数年間は家族ファーストになりすぎてしまった時期がありました。たとえば「家族のために頑張っていて偉い」と褒められたいがために、慣れないおせち作りに奔走したり。

また、結婚してしばらくすると夫が体調を崩し、何度か救急のお世話になりました。看病、サポートをしていましたが、「いつ呼ばれるかわからない」「いつ対応を求められるかわからない」そんな待機モードが続くので、時間はあるはずなのに、自分のことは何も手がつけられませんでした。

看病をしている間は無我夢中で、夫が回復に向かうことだけが自分の目標になっていました。でも治療がひと段落して穏やかな日常が戻ってくると、心にぽっかり穴が空いた感覚になったんです。それまでは自分のエネルギーのすべてを「夫を支えること」に注ぐ生活でしたが、いざその役割がなくなると、自分自身のために何かを積み上げたと誇れるものがなく、ただ時間だけが過ぎていくように感じたんです。

── 家族を思うこと=義務感になってしまった?

松尾さん:そうですね。だから自分の生活と家族とのバランスを定期的に見直したほうがいいのかなと思いました。時には立ち止まって、無理していないかなと考える。疲れているけれど、家族のためにご飯を作らなきゃいけないと思ったときは、無理しているってこと。そもそも私は「きちんとした自分じゃないと、家族という居場所が維持できないのでは」という恐怖心があったのだと思います。今は出前を取るなど、ちゃんと家事ができない自分でもいいと受け入れられるようにしました。

虐待の連鎖を恐れ、子どもを持たない人生を選び

── また、あえてお子さんを持たない夫婦ふたりだけの生活を選択されたそうですね?

松尾さん:自分が特殊な育ち方をしているので、自分の母親と同じように、親になったときに子どもに手を上げてしまったり、虐待することが連鎖してしまったらどうしようっていうのが怖くて。傷つける側になりたくないっていう思いがすごく強かったんです。子どもを育てられるか、周りに助けてくれる人はいるかどうかをシミュレーションし、夫とも話した結果、子どもは持たないという選択をしました。

── やはり幼少期の体験が結婚生活にも影響が出ているのですね。

松尾さん:そうですね。ただ、子どもを持たない選択をしましたが、社会に出て何年か働いていくうちに、親としてそうせざるを得なかった複雑な状況もわかるようにはなりました。母親の精神疾患による子どもへの虐待、父はコミュニケーションが苦手で酒やギャンブルにはまり極限状態だったこと。子どもを母から守れなかった父親の弱さなどから、お互いの身を守るために別々に生きていくことが、私たち家族にとってベストな決断だったんだろうなって思えるようになりました。だから親に対する恨みや怒りは特にないですね。

── いま、ご両親とはどういうお付き合いをされていますか。

松尾さん:父は10年前に他界しました。大学時代は多忙で、卒業後すぐにひとり暮らしを始めたこともあり、父との関わりが薄いまま自立してしまったことは、今となっては心残りです。私はずっと両親に認めてもらいたくて努力してきましたが、九州の祖母が父に「知枝は頑張っているか」と尋ねた際、父が「つまらん!」と答えたと聞いて非常に憤慨したことがありました。結局、その真意は聞けずじまいでしたが、親として何もしてあげられなかった不甲斐なさが、そんな言葉になったのかもしれない…今はそう感じています。

いっぽう、母の状態は安定して、現在は普通に生活をしています。今は母の病気を理解しながら、適度な距離感で付き合えています。

── 幼い頃は家族に苦しみ、そして今はご自身で家庭を築かれました。そんな松尾さんにとって、「家族」とはどんな存在ですか。

松尾さん:ありのままの自分でいられる場所だと思います。私は子どもの頃、「ちゃんとしていないとここにいられない」と思い、孤独ながら児童養護施設で懸命に生きてきました。でも今は、お互いに無理をしなくても安心して帰ってこられる場所を、夫と一緒につくっていけたらと。それが私にとっての家族なのかなと思います。

取材:文 岡粼優子 写真:松尾知枝