ドラマーのNosukeさんは今から8年前に妻のmisonoさんと結婚し、その2か月後に精巣がんが発覚しました。精巣がんは10万人にひとりが罹ると言われ、20~30代の男性が多いといいます。結婚後すぐ「5年生存率40%」と告げられ、4度の抗がん剤治療と2度の手術を経て寛解を迎えたNosukeさん。闘病期間を振り返ってお話を伺いました。

【写真】「妻がバリカンで丸刈りにした」過酷な闘病生活と乗り越えた夫婦の今(全8枚)

「体重44キロ」学生以来の検査でがんが発覚

── 2018年、29歳の頃に精巣がんが発覚したと伺っています。当時、自覚症状は何かあったのでしょうか。

Nosukeさん:1年ほど前から腰痛があったのですが、ドラマーとしてはよくあることだと思っていました。ただ、次第に人に会うたび「痩せた?」と聞かれるようになって。顔も浅黒くなり、日焼けしたのかと思っていたのですが、冬になっても変わらないので、これは日焼けじゃないなと。

結婚記念日を祝うNosukeさん、misonoさん夫妻

── この段階では病院を受診していなかったんですね。

Nosukeさん:そもそも僕、病院に行ったことがほとんどないんです。ケガだったらさすがに行っていたと思うんですけど、風邪も自力で治してきました。ところが、食欲がだんだん落ちて、今60キロ弱ある体重が44キロまで減って。腰の痛みも、次第に強くなっていきました。

もともとたくさん食べるほうだったのですが、コーヒー1杯でお腹いっぱいになってしまい、お腹が腫れているのもわかりました。診断を受ける数か月前には、夜7時頃になると熱が39度出るようになって。それが毎晩続くようになり、仕事の先輩から「さすがに病院に行ってこい。行かなかったらメンバーから外す」と半ば脅された感じで、ツアー後にようやく病院に行くことにしました。

── 症状としてはすでにつらそうですが、ずっと我慢してきたんですね。

Nosukeさん:典型的な病院嫌いで、今まで健康診断も極力避けてきました。会社に勤めているわけではないので、「毎年必ずこの日に検診を受けなさい」というようなこともなかったんです。病院で検査をしたのも学生ぶりでした。

── CT検査などを受け、直径15センチの悪性腫瘍があることが判明。のちに精巣がんのステージ3と診断を受けたそうですが、診断を聞いた際は、どのような気持ちでしたか。

Nosukeさん:具体的になんと言われるかまで予想もしていなかったのですが、がんだと聞いたときは「1番聞きたくないやつを言われた」と思いました。まさか治らない可能性がある病気だとは思ってもいなかったので、ショックで。

ちょうど妻のお母さんが東京に来ていたタイミングで、「その日、ちょうど空いてるわ」という話になって、一緒に診断を聞きに行ったんです。妻のお母さんもキツかったと思うんですけど、お互い冷静でした。もし自分の母親と一緒に診断を聞いていたら、もう少しテンパってたかもしれないです。

闘病生活中のブログは「ランキング1位に」

── 妻のmisonoさんと入籍して2か月しか経っていない頃でしたよね。

Nosukeさん:妻のお母さんとは、「治療するしかないよね」という話をして帰りました。家に着いてから妻に病気のことを話したら「聞いた。治すしかないよね」と、すんなり受け止めていたのでびっくりしました。病気の話をしたのは家族と親しい友人と、仕事関係の人だけでしたが、周囲で落ち込んだり焦ったりする人は意外といませんでした。

「絶対に治す」という強い気持ちでいられたのは、周りの人の影響も大きかったと思います。ただ、自分の母親は「すごく落ち込んでいた」と、あとから聞きました。妻も実は僕のいないところで泣いていたそうです。

── 闘病中にブログを始めましたが、Nosukeさんは当初、乗り気ではなかったそうで。

Nosukeさん:入院してすぐに妻からブログを書くことを勧められました。自分としては治療方針が固まったばかりで、今後どうなるかもわからない中、世の中に発信していくことは「どうなんだろう」と疑問に思っていたんです。関係者のみなさんには病気の話をしていましたが、世間に公表していたわけではなく、本当は誰にも知られたくなかったので。

── 妻のmisonoさんは、Nosukeさんの文章の才能を買ってブログを勧めていたようですね。前向きでユーモア溢れる投稿が話題になり、アメーバブログで、ランキング1位を獲得するなど多くの方に読まれました。

Nosukeさん:妻と言い合いになって、自分はこれ以上もめたくなかったので結局ブログを始めることにしました。振り返ってみると「やってよかったな」と思っています。同じ病気の方にメッセージが届いただけでなく、闘病を支えているご家族も読んでくれていて、コメント欄でみなさんの想いを直接、聞くことができて励みになりました。ブログを見ているお医者さんが、治療の話を具体的に教えてくれることもあったので勉強になりました。

── いっぽうで、心ない言葉も寄せられたそうですね。

Nosukeさん:妻に対してもひどいメッセージがありましたが、僕に対しては「仕事のことや治療費のことを考えなくていいから楽ですね」という書き込みがありました。治療にお金がかかるのに、入院中は仕事ができなくなる方も多いですし。

僕は妻ほど表に出ているわけではなく、今まで僕が話をする相手もバンドのファンなど、基本的に自分を応援してくれる方々だったので、批判的な内容を見るたびに「世の中ってこんなに厳しいんだ」と気づく機会になりました。また、同じがんで闘病生活を送っている人同士であっても、病気の進行度合いや家庭環境がそれぞれ違うので、「人は人、自分は自分」と区別して考えていかなきゃならないことも学びました。

妻とはケンカばかり。ことあるたびに「離婚!」

── 治療費は、妻のmisonoさんが働いて工面されていたそうで。

Nosukeさん:僕はがん保険に入っておらず、ふたりとも貯金をしていませんでした。妻には「ごめん」って気持ちはあったんですけど、僕が病気じゃなくても妻は働いていたと思うので(笑)。「運がいいな。恵まれてるな」と思っていました。

でも直近の仕事を飛ばしてしまったので、仕事関係の方に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。先が見えない中、今後の計画を立てられないなんて、こんな迷惑な話はないと感じていました。

── 闘病中に支えになってくれていた人はいましたか。

Nosukeさん:お見舞いに来てくれたみなさんですね。とくに地元の友人やスタッフさんは今までと何も変わらず接してくれたことが嬉しかったです。自分をきっかけに保険に入ったとか、人間ドッグに行ったとか、両親に気をつけるように言ったとか。僕をきっかけに誰かを救うことに繋がってくれてたらいいなって。

── misonoさんの姉、倖田來未さんをはじめ、ご家族もお見舞いに来てくれていたそうですね。

Nosukeさん:毎日、誰かが部屋にいてくれたのでありがたかったです。でも、妻とはケンカばっかりしていました(笑)。何かあるたびにすぐ「離婚する!」って言われて。ほとんど内容は覚えていないくらい些細なことだったと思うんですけど、「なんで今そんなこと言うの?」って。いつもの僕だったら流していたのに、いちいち言い返してしまっていました。今思えばですが、心配する想いは同じなんですけど、お互いに当たるところがなくて、夫婦でぶつかっていたように思います。

「メンタルの影響は絶対ある」と信じ

── 5年生存率が40%と言われたと伺っています。闘病の不安や心配をどう乗り越えてきたんですか。

Nosukeさん:僕と同じように闘病中に発信していた方のブログを読んでいたのですが、途中で更新が止まってしまって。亡くなったことを報告する最後のブログを親御さんが書かれていたのを見ていたので、「こういうことがある」と覚悟しながら過ごしていました。

そうしたなかで、「今は体も動けているけど、いつか動かなくなるのかな」とか、「そうなったらどうなるのかな」とかマイナス思考になる時期もありました。でもこういった漠然とした不安って、病気の人だけじゃなく、生きていたら誰にでも何かしらあると思うんです。それに、メンタルが治療に及ぼす影響は絶対にあると思っていて、ネガティブにばかり考えていると、体が病気を受け入れてしまうんじゃないかなって。

2週間入院して抗がん剤を投薬して、退院して体を休めてというサイクルを4回繰り返したのですが、「絶対に治す」と、ポジティブに考えることを意識していました。抗がん剤治療が「ここから5年かかる」と言われたら絶望していたかもしれませんが、期間が半年だったので「ここを踏ん張ったら絶対よくなる」と思えていたんです。その結果かどうかはわかりませんが、治療後の数値もだんだんよくなり、自信が持てるようになっていきました。

── 抗がん剤治療によって小さくなった腫瘍を取り出すための手術を2度されました。最初の手術は左睾丸の摘出手術で、その後行ったお腹の腫瘍を取る手術は、8時間の予定が伸びて15時間もかかったそうで。

Nosukeさん:オペのあとの痛みが人生最大にしんどかったです。オペ自体は「これを乗り越えたら治るんだから我慢しよう」と思って挑んでいたのですが、術後の痛みが想像を超えるつらさでした。長時間に及ぶオペで体への負担が大きかったので、オペの後、2日間はICU(集中治療室)に入っていたのですが、その間ひたすら痛みに耐えていました。

たとえがわかりにくいかもしれませんが、僕がしているピアスやタトゥーは、痛いことを承知のうえで自分から望んでしているので耐えられるんです。でも望まない痛みっていうのはストレスがすごくて。痛み止めは服用していたのですが、それでも痛すぎて時間が経つのがめちゃくちゃ遅く感じました。

今年の春に妻が帝王切開で子どもを産んでいるので、比べられるものじゃないですが、妻は「口が裂けてもNosukeの苦しみがわかったとは言えないけど、Nosukeはもっとつらかったんだろうなと思えたから、帝王切開の経験ができてよかったのかもしれない」と言っていました。

寛解を迎えた今「もっと知識があれば」

── 2024年に寛解となり、現在も再発はないと伺っています。闘病期間を振り返って思うことはなんですか。

Nosukeさん:もっと体に関する知識があれば闘病中の不安が減ると思いました。最初の頃は、専門用語を聞いても何を言われているかわからなかったですし、ひと口にがんと言っても、人それぞれ違って、抗がん剤が効くかどうかも体質によって変わってきます。でも、なぜ自分にとって今この治療が必要なのか、ある程度の知識があれば先の展望を持って治療に挑めると思いました。

病気が発覚した後の治療方針は、お医者さんに提案されたことを試していくわけなんですけど、こちらに知識がないから、患者としては「答えはひとつ」だと思っていたんです。でも、医師によって考えは違います。本当は、何通りもある選択肢のなかから自分にあった治療について希望を伝える権利がこちらにはあるんです。僕自身、治療が終わった後に別のお医者さんにみてもらって知ったこともたくさんありました。だから、普段から体の不調や体のメカニズムについて、もっと知っておくべきだったと思いました。

知らないがゆえに漠然とした不安を感じてしまうのは事実で、それが大きなストレスになっていきます。自分の不安を取り除く意味でも、日頃から自分の体に興味を持つことが大切だと思います。

取材・文:内橋明日香 写真:Nosuke