「今から会える?」深夜にベンツで20代OLを迎えに行き…。43歳・港区経営者のリアル
◆これまでのあらすじ
大手メーカー人事部の未来(26)は、交際4年半の彼氏・悠斗との結婚を見据え、10のウィッシュリストを作成した。しかし2人はすれ違い破局。未来は、ボストン出張中に出会った学生の父親・笹崎達也(43)に惹かれ…。
▶前回:「彼に舐められてる…?」プレゼントの紙袋を見て32歳女が気づいた、年上男の本性
Vol.9 新しい男
「もしもし、笹崎さん?」
電話をかけると、笹崎はすぐに出てくれた。
「ああ…未来ちゃんか」
声を聞いただけでは、笹崎が電話を喜んでいるのか疎んでいるのかわからず、未来は困惑する。
笹崎は、この後の仕事がちょうどなくなったのだと説明した。
― 送信取消される前に見たLINEには『やっと打ち合わせが終わった』って書いてあったけど…勘違いかな?
経営者の笹崎のことだから、分単位で仕事が入ったりなくなったりするのだろう。
― うれしい。こんな日には、誰かと一緒にいたい。
悠斗との別れで混乱している心をどうにかしてほしいと、未来は前のめりに返事をした。
「はい、私も会いたいです」
そして、23時。
未来は、笹崎に指定された近くのコインパーキングに到着した。
大きなメルセデスのマークがついた四角い車の運転席から、笹崎が手招きしている。
「今日は車だから、うちに来てもらっても良いかな?」
「はい…」
戸惑いながら助手席に乗り込む。シート位置が後ろまで下げられていて、とても広い。
車は、赤坂方面に10分ほど走ると、小綺麗な低層マンションの地下駐車場に入っていった。
笹崎と共に、エレベーターで4階に上がる。彼が重厚感のある扉に手をかけると、カチャッという小さな音とともに扉は開いた。
― 鍵とか、ないんだ。
鍵の音で家族の出入りがすぐにわかる実家とは、大違いだ。
「さあ、どうぞ入って。適当に座っててね。白ワインで良いかな?」
― ここが、笹崎さんのおうち…。
緊張のあまり、未来はソファの前に立ち尽くす。ドアを開けたままのベッドルームが目に入り、ドキッとして目を逸らして窓の外を見た。
笹崎はワイングラスを2つ持って、キッチンから戻ってくる。
「とりあえず、コート脱いだら?」
言われるがままにコートを脱いで、未来はソファに腰掛ける。
ついさっき悠斗と別れてしまった話をしようとするが、うまく言葉が出てこない。
「なんか、突然すみません…」
「突然だったのは、俺の方だよ。未来ちゃん、もしかして寒い?」
笹崎が、木枯らしに吹かれて冷たくなった未来の頬をそっと撫でた。
「ワインやめておく?」
隣に座った笹崎が、未来の手からワイングラスを取ると、そっとテーブルに置いた。そのまま、未来の手をそっと握る。
― この流れは、まさか…。
笹崎に密かに恋していたとはいえ、それは半分憧れのような気持ちで、実際に何かを期待していたわけではなかった。
ましてや、4年間付き合った恋人と別れたばかりなのだ。
「あの、笹崎さん…」
未来は、ドギマギしながら手をパッと振り解く。すると笹崎は、低い声で笑った。
「ああ、ごめん。なんか俺…今日は突然仕事が飛んだりして、弱っちゃってて」
― 笹崎さんのそんな言葉、初めて聞いた…。
「タクシーを呼ぶよ。気をつけて帰ってね。また会えるといいね」
― なんて悲しそうな横顔…ここで帰ったら、またなんてない気がする。
「笹崎さん」
未来は、スマホに手を伸ばす笹崎の手を掴んだ。
「あの…。私で良ければ、話を聞かせてください」
― これで、良いんだよね。私、間違ってないよね…。
「未来ちゃんは可愛いね」
笹崎から可愛いと言われたのは、初めてだ。笹崎の顔が近づいてくるのを見て、未来はそっと目を閉じた。
◆
「未来ちゃん、おはよう。よく眠れた?」
翌朝、未来は目を覚ましベッドルームを出たところで、笹崎に話しかけられた。彼は、ダイニングスペースでコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。
― き、気まずすぎる…。
昨晩は、ワインを飲みながら笹崎と話しているうちに、一夜を共にしてしまった。
笹崎の顔をまっすぐに見られず、未来はキョロキョロと部屋を見渡してしまう。
「おはようございます。あの、素敵なお家ですね」
「えっ、今この家の感想?未来ちゃん、面白いね」
手招きされてダイニングチェアに座る。笹崎は、手慣れた手つきで炭酸水メーカーのスイッチを入れた。
― 自分がこんな朝を迎えるなんて。
悠斗と別れたその日に、笹崎の家に泊まってしまった。
両親に連絡もせず、家に帰らなかった。笹崎を信用していない姉とは相変わらずギクシャクし、仕事でもつまずいている。
考えなければいけない現実はたくさんあるが、笹崎の横顔と、モデルルームのような部屋を交互に見ると、思考がぼんやりとしてしまう。
ガラスのダイニングテーブルに、白い樹脂でできたコロンとしたフォルムの椅子。リビングスペースには、朝の光が燦々と降り注いでいる。
ベージュの革張りのソファに置かれているのは、エルメスのロゴが入ったピローだ。実家のソファに置かれている、美玲と未来が家庭科の授業で作った色褪せたクッションとつい比べてしまう。
「タバコ、吸っても良いかな?」
笹崎が炭酸水を未来の前に置きながら聞いた。
「えーっと、はい」
我に返った未来があわてて返事をすると、笹崎はキッチンの換気扇の下でタバコに火をつけた。
「普段は電子タバコなんだけど、リラックスしている時は紙タバコが吸いたくなるんだよね。あ、コーヒー淹れてあるから、飲みたくなったら言ってね」
― 笹崎さん、私の前ではリラックスできるんだ。
炭酸水を飲みながら、未来がなんとなく新聞に手を伸ばすと、笹崎は照れくさそうに笑った。
「俺、いまだに本とか新聞は紙じゃないと頭に入ってこないんだよね」
未来が大好きな少年のような笑顔と、日経新聞のギャップが愛おしい。
未来も、笹崎のマネをして、マグカップにコーヒーを注ぐと新聞を開いてみる。
― 私も、これから毎日、日経を読もう。笹崎さんと対等にニュースの話ができるように。
「未来ちゃん、今日の予定は?本当はずっと一緒にいたいんだけど、俺、今日は打ち合わせが入っちゃってて…」
タバコを吸い終わった笹崎が申し訳なさそうに言う。
「だったら、今日はもう帰ります。あの、笹崎さん…」
― また、会ってくれるよね?
不安になる未来に、笹崎は言った。
「じゃあ、タクシー呼ぶよ。未来ちゃん、次はいつ会おうか?」
― 次があるっていうことは、笹崎さん、私のこと真剣に考えてくれているんだよね。
笹崎から、欲しかった言葉を聞くことができて、未来は笑顔で頷いた。
帰りのタクシーの中。
家族連れで賑わう六本木の街並みを見ながら、未来は、少しずつ冷静になってきていた。
スマホを取り出し、笹崎の名前を検索する。
― やっぱり飲食業界では結構有名な経営者、ちゃんとした人なんだ。
検索結果に現れた笹崎のInstagramを開く。投稿は、旅行と車ばかりだ。未来と出会ったボストンの街並みの投稿を懐かしく見ながら、写真をスクロールしていく。
すると、笹崎が、見知らぬアカウントから何度かタグ付けされていることに気がついた。
― これ…誰なの?アイコンの写真も古ぼけた船だし、何もわからない。
「asumaru」という名前の性別も年齢もわからないアカウントが、たびたび笹崎をタグ付けしているのだ。
数ヶ月前には、未来がドタキャンされたお鮨の店の写真に、笹崎がタグ付けされている。心がざわついてしまう。
― 笹崎さんは顔の広い経営者なんだから、こんなこと気にしていたらキリがないよね。
未来は、Instagramのアプリを閉じると、さっそく日経新聞の定期購読を申し込んだ。
月曜日、いつもより早めに出社した未来は、世界の見え方が変わった気がした。
― 新しい彼ができて、日経も読み始めて、何だか今までの自分とは違う感じ…。
悠斗からは『本当にこのまま別れるのか?』とLINEが来ていたが、未来はどう返信したらいいかわからない。
仕事のメールをチェックしていると、興味深い件名が未来の目に飛び込んできた。
― 社内プロジェクトコンテスト…?
新規事業案をコンペにかけ、選考を通過したものをプロジェクト化するという試みのようだ。
― 応募資格は全社員が対象か。締切まではまだ何ヶ月かある…私も、何か考えてみようかな。
新しい恋に、仕事の新しい目標。
未来は、心が躍り、体がふわふわと軽くなるような気分だ。
― 今なら何でもできそうな気がする!
その日、未来はさっそく業務を終えると、コンペについて考え始めた。
◆
― ああ、もう木曜日か。最近1日が24時間じゃ足りないわ。
笹崎と付き合い始めてから、あっという間に3ヶ月が経った。未来は、眠る間もないほど忙しい日々を過ごしている。
今日も、5時半に起きて日経新聞を読んでから出社し、終業後には英会話教室に行って、その後オフィスに戻ってコンペの案を詰めていた。
未来は、23時を指している時計を見てため息をつく。
― 今日も終電かな。こんな時、笹崎さんの家に泊めてくれたら、明日が楽なんだけどな。
そのとき、ブブッとプライベートのスマホが震えたので通知を確認すると、予想外のメッセージが表示される。
『笹崎達也:今晩、仕事が終わったらうちにおいでよ』
― やった!会えるのは2週間ぶりかな?
笹崎からの連絡は、3日連続で続くこともあれば、数週間LINEの返信すらないこともある。
スマホを取り出すたびに、今日は笹崎と会えるかどうか、未来は好きなおもちゃが出るかドキドキしながらガチャガチャを回す子どものような気分になってしまう。
笹崎からのLINEに「OK」と即レスし、未来はふとInstagramを開いた。
asumaruのアカウントを開き、笹崎のタグ付けを確認する。
― この人、笹崎さんを『カサハラ』でタグ付けしてる。私も連れていってもらったもんね。
笹崎のエスコートのおかげで、メニューのないレストランでの注文の仕方にも慣れてきた未来は、とても楽しい時間を過ごしたのだ。
― 今のところ、asumaruより私の方が笹崎さんと会っている頻度は高いわ。こんなアカウント気にしない、気にしない。
未来は、スマホをしまうと仕事にとりかかった。
仕事を終えて笹崎の家に来た未来は、ベッドでまどろんでいる。
いつの間にか、深夜の2時になっていた。
横で、笹崎があくびをしながら聞いてくる。
「俺、明日朝早いけど、未来は?」
「そうなんだ。じゃあ私、今日は泊まらずに帰ろうかな」
「タクシー呼ぶよ。ああ、未来が近くに住んでいたら、もっとゆっくり会えるのにな」
笹崎が伸びをしながらスマホに手を伸ばすのを見て、未来は思わず言った。
「私、笹崎さんの家の近くで一人暮らしする。笹崎さん、いつもこうやって三鷹までのタクシー代を払ってくれるでしょう?時間もお金ももったいないよ」
「ええっ」
笹崎の表情がパッと明るくなるのを見て、未来は嬉しくなる。
「そうしたらさ、俺が初期費用出すよ。未来がすぐに引っ越しできるように」
「いいよ、そんなことしなくて。私だってちゃんと働いてるんだから!」
― 週末、さっそく物件探しをしよう。正直言って、三鷹生活はもう限界だったんだもの。
未来は手早く服を着ると、笹崎に軽くハグをして部屋を後にした。
【未来のWISH LIST】
☑ビールのおいしさを知る
☑一人でカウンターのお鮨を食べる
☑ビジネスクラスの飛行機に乗る(欧米路線)
□一人暮らしをする
☑英会話教室に通う
☑ハワイのハレクラニに泊まる
□100万円単位の衝動買いをする
□海外から優秀な人材を採用する
□プロジェクトリーダーになる
□昇進する
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物件探しを始める未来。「一人暮らしをする」のウィッシュリストは達成できるのか?