イベント会社を経営する平野貴裕(ひらのたかひろ)・35歳は、ほんの出来心から取引先の奈美子と不倫関係に。

すでに関係は解消していたが、別れ際に奈美子から渡された手紙が華に見つかってしまう

キレた妻は慰謝料300万円を請求し、さらには高級時計までプレゼントさせる。

懲りない貴裕は再び奈美子と密会するも、華の一大事に妻の大切さを痛感。奈美子との関係を一方的に解消しようとする。

しかしそれに逆上した奈美子は深夜に家電をかけるという暴挙に。結局、華が奈美子を一蹴して一件落着となるのだった。

が、一難去ってまた一難。貴裕の会社のトップ営業マン・乾に引き抜き疑惑が持ち上がる。




早まったXデー


「平野さん…急な話で、本当に申し訳ありません」

誰もいなくなったオフィスでしおらしく頭を下げるのは、営業スタッフの乾だ。

事務スタッフの葵から「乾が退職を考えている」と聞かされたのが、およそ1週間前。

想像以上に早く来てしまったXデーに、貴裕は「いや…」とつぶやいたきり言葉を失ってしまった。

乾に辞められるのは、困る。

彼も“THクリエイティブ”立ち上げ時から一緒に頑張ってきたメンバーだ。「人たらし」という形容詞がしっくりくる乾は物腰柔らかだが、その癖いざ営業をやらせると抜群のクロージング力を持つ。つまり、貴裕がもっとも信頼を寄せている男なのだ。

しかし「ダメだ!」などと門前払いするわけにはいかないし、強引に引き止めたところで結果は同じだろう。

なんでも彼が学生時代より世話になっている先輩がIT系の広告会社を立ち上げ、「何としても乾に手伝って欲しい」と懇願されたらしいのだ。

おそらく条件面でも、先方が上なのだろう。

つまりは天秤にかけられた結果、貴裕の方が浮いてしまったというわけだ。


乾からの退職申し出に意気消沈する貴裕。そんな彼を、さらなる悲劇が襲う。


度重なる悲劇


良からぬ出来事というのはどうして、立て続けに起こるのだろう?

「申し訳ない」と何度も繰り返して去っていく乾の背中を見送った、ほんのすぐ後のことだ。

「はぁぁぁぁ」と深いため息を吐いて頭を垂れた貴裕の耳に、「ピコン」という電子音が響く。Macに、メールが届いた知らせだ。

そしてそれこそが、2つ目の悲劇であった。

差出人は高級ダウンコートで有名な某アパレルメーカーの、広報担当。

この冬に全国の百貨店で展開するポップアップのプロモーションを、THクリエイティブが一手に引き受ける…はずだったのだが。

“この度のプロモーション案件に関してですが、諸事情によりいったん見送りとさせていただきたく…”

-おい、嘘だろ…。

それでなくても乾の一件で意気消沈していたところに、この知らせだ。もともとメンタル弱めの貴裕であるから、乾の退職&受注取り消しのダブルパンチの衝撃は計り知れない。

しかも当該のアパレルメーカーは貴裕が懇意にしている税理士の紹介で、ほぼ受注間違いなしと踏んでいた案件だったからこそ、痛い。

力なくしばしデスクに突っ伏したあと、貴裕はおもむろにスマホを取り出した。

解決策が見出せず、どうしようもなく惨めな夜。そんなときに駆け込みたくなるのは…やっぱり、妻の華である。




「遅い時間のお鮨って、罪悪感がいいわよね」

青山通り裏手にひっそりと佇む『鮨みもと』のカウンターで、華がいたずらっぽくまぐろを頬張る。

表参道のスイーツショップで働き始めた華は、どうやらPRだけでなく店頭スタッフの手伝いもしているようで想像以上に忙しくしている。

今日もまだ店で仕事をしていたようで「食事して帰らないか」と誘ったら、『鮨みもと』に行きたいと指定されたのである。

元カレとの関係は未だ追及できていないが、妻が楽しそうに新しいチャレンジをしている今は、そんなことで水を差すのは野暮だと判断した。

タイミングをみて尋ねようと思ってはいるが、今夜は貴裕の方がそれどころではない。

先ほどから、カウンター隣に座る貴裕が見るからに元気がないことくらい、妻は気がついているはずである。

しかし彼女はそんなことどうだっていいといった様子で、大将と楽しげに談笑している。

「貴裕もウニ食べるでしょ?」

屈託のない笑顔で問いかける華に「ああ」と答えてから、貴裕はようやく「実は」と切り出した。

仕事の話を妻にまったくしない男も世の中には多いようだが、貴裕にしてみれば信じられない。

結婚前もそうだったし、結婚してからは特に、貴裕は基本的になんでも華に相談する。

ビジネスの話だろうがプライベートの話だろうが、妻ほど的確に迅速な判断をくれる相手は他にいないからだ。

そして今夜も、妻は実に斬新な提案をした。


窮地に立たされた貴裕を救うべく、華が提案したこととは一体?


ドS妻の提案


「アパレルメーカーの受注が飛んだ件は、あなたが頑張って別の契約とるしかないわよね」とあっさりドS発言をしたあとで、妻はこう続けた。

「乾さんの件は、私にアイデアがある。初期メンバーである葵ちゃんと乾さんを招待して、うちでホームパーティーをするの」

「ホームパーティー…?」

そんなことをして、何になると言うのだ?しかし華は、怪訝な表情の貴裕を無視してさっそく計画を立て始めた。

「モロッコ料理を作ってくれる仲良しのシェフがいるから、出張で来てもらいましょう。本場のタジンが最高に美味しいのよ!

皆でホームパーティなんて久しぶりじゃない?確か…THクリエイティブをスタートしてすぐに集まって以来よねぇ?」

「ああ...そうだったかな」

饒舌に語る、何やら楽しそうな妻の反応に貴裕は戸惑いを隠せない。

-いったい、何を企んでいる?

妻の考えがまったく読めず訝しむ貴裕だったが、華の方はそんな夫の脳内などすべて見透かしたかのように、肩をポンポン、と叩くのだった。

「いいから。私に任せて頂戴」




ホームパーティーは、出張シェフの手配からテーブルコーディネート、葵と乾への連絡まですべて華が取り仕切った。

葵が大喜びで参加することはわかっていたが、退職を願い出たばかりの乾は来ないのではないか、と貴裕は心配した。しかし「華さんに誘われたら断れないです」と参加の返答があったと言う。

そして、パーティー当日。

華は朝からいそいそと準備を開始。ダイニングテーブルの中央にはラベンダー色で統一されたフラワーアレンジメントが置かれ、その周りにモロッカンテイストの銀食器やカラフルなプレート、ミントティーグラスなどが次々とコーディネートされていく。

そして、開始時刻の13時。揃って現れた葵と乾を迎え、いよいよ宴の始まりである。

「葵ちゃん、乾さん。来てくださって本当にありがとう。今日は私がどうしてもモロッコパーティーがしたくて開催した気楽な会だから、気兼ねせず存分に楽しんでいってね」

完璧に女優と化した妻は、ずっと二人とゆっくり食事をしたかったのだと繰り返した。

THクリエイティブをスタートした当初は、華もちょくちょくオフィスに顔を出しては葵や乾とコミュニケーションを取っていたから、思い出話には事欠かない。

会はひたすらに和やかムードで進んでいき、うっかり貴裕の方が“目的”を忘れそうになってしまった、その時である。

華が突然、想定外の行動に出たのだった。

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ホームパーティーを開いた華の思惑とは。乾の退職を引き止めることはできるのか?