“戦士の国”スパルタは肝っ玉母さんに支えられていた
「女は臆病で不正をする男の生まれ変わり」
アマゾーンを倒したアテナイは、その後地中海世界の覇者となり、ギリシャ、小アジアにまたがる広い版図を築きました。
しかし、その社会体制は完全に男尊女卑で、「民主主義発祥の地」のイメージとは裏腹に、女性には大変厳しく抑圧的な社会でした。
アテナイといえば哲学。なかでもソクラテスは有名です。彼は美少年、美青年を門下に集め、汗だくで「マッチョマッチョ」とレスリングしながら真理を追い求めましたが、その弟子プラトンはこんなことを言っています。
「女は臆病で不正をする男の生まれ変わり」
一応弁護すると、プラトンは自分の学校に女性を始めて招き入れ、男女雇用機会均等法的なことも言っているので、アテナイ人としてはまだマシな人なのです。でも、これが最低ラインとすると、当時のアテナイの女性たちがどんな立場に置かれていたかは、容易に想像がつくかと思います。
隷属的なアテナイの女性たち
彼女たちは家に閉じ込められ、外出するときは頭と顔をすっぽり覆い隠すベールが必須。結婚は父親が決めた顔も見たことのない相手と。結納金は嫁側が持つものでした。
当時のアテナイの男が女性をどう思っていたかを端的に表す言葉があります。
「肉体の喜びは娼婦が、身の回りの世話は妾が、子孫を生み家を守ってくれるのには妻がいる」
こうした文化の影響か、アテナイは好戦的かつ侵略的。ペルシャ戦争でペルシャの侵略を跳ね返したまではよかったのですが、デロス同盟を作り、エーゲ海を囲む海洋帝国を築いたあたりから、調子に乗り始めました。
直接民主主義の悪い面も出てきて、政策はあっちにふらふらこっちにふらふら。軍隊や兵糧を供出しなくてはならない従属下の都市国家からすれば、好き勝手に小突き回されているようなものでした。
自信に満ちたスパルタの女性たち
そうした、アテナイにいじめられた都市国家たちが泣きつく先だったのが映画「300〈スリーハンドレッド〉」でも有名なスパルタです。映画や漫画では戦争狂として描かれることの多いスパルタですが、意外に戦争には慎重派で腰が重く、“鈍重”といってもいいほどでした。そのため同盟国からは、「なぜ、その力を有効に使おうとしないのだ」と苦情を言われたりもしたのですが、ライバルのアテナイと比べたらはるかに“大人の国”でした。
結局、アテナイを打ち破り、スパルタはギリシャ世界の覇者となります。しかし、その栄光の影には、親や夫の命令に従うほかしかなかったアテナイの女とは一風違う、自信に満ちたスパルタの女がいたことはあまり知られていません。
スパルタの女性は奴隷に売られて「何の知識があるか?」と尋ねられても「自由な女としてのあり方なら知っています」と答え、意にそぐわないことを命じられたら、自害するほど誇り高く、激しい気性の持ち主たちでした。
彼女たちがこうした誇りを持ちえたのは、自分たちも男と同じ、いやそれ以上にスパルタという国家に貢献しているという強い気概があったためです。
お産で死んだ女たちは、英雄と同じ
スパルタといえば「スパルタ教育」の語源となった厳しい軍事訓練でお馴染みですが、女性も少女の頃から男に混じって全裸でランニングやウェイトトレーニング、レスリングに励みました。
この風習は長く続き、ローマがギリシャまで版図を広げた時代、ローマの歴史家がうら若い乙女の集団が素っ裸で元気に駆け巡る姿を目撃してびっくりしています。
かといって、女性を戦場に立たせるわけではありませんでした。アテナイによって滅ぼされた女戦士集団アマゾーンの教訓もあったのでしょうが、女性はお産という命を懸けた尊い義務を担っているという考えていたからです。そのため、お産で死んだ女性は、戦場で死んだ男と同じく称賛され、英雄と同じ扱いを受けました。
スパルタの肝っ玉母さんエピソード
こうした思想があったため、スパルタの戦士にとって“お母さん”は本当にこわ〜い存在でした。卑怯未練なふるまいをしたら、文字通り叩き殺されてしまうのです。
たとえば、ある女性は自分の息子が戦場から逃げ出したという知らせを聞きつけると、こんな手紙を送りました。
「あなたについてある悪い噂が広がっています。今すぐ恥をすすぐか、それとも今すぐ生きるのをやめるか、どちらかを選びなさい」
また、戦場から逃げ出した息子をみずから手にかけた女性の墓にはこんな激烈な詩句が彫り込まれました。
消え失せろ、悪しき子どもは闇の中へ
エウロタス河は腰抜けの鹿のためには流れない
無用の犬ころ、役立たず
今すぐハデスのもとに消え失せよ
スパルタにふさわしからぬ者など
わたしは生んだ覚えがない
他にもすごいお母さんがいて戦場から逃げ帰った息子に自分のスカートをたくしあげながら、
「どこまで逃げるつもりだい!生まれた場所までか!」
きわめつけは家の屋根を修復中に戦場に送ったはずの息子が帰ってくるのを見つけたお母さん。彼女は久しぶりに会う息子に屋根の上から声をかけました。
「どうしたんだい? 戦況はどうなった?」
息子は母を見上げて答えます。
「全滅です」
「というとスパルタ人は皆死んだのかい?」
「はい」
お母さんは屋根瓦を持ちあげると息子の頭に叩き付けました。脳漿(のうしょう)を吹きこぼして倒れる息子を見下ろしながら、彼女は一言。
「やれやれ、じゃあおまえは悪い知らせを持ってきた敵の使者ということか」
スパルタの母さんの励まし子育て
もちろん、単に罰するだけでなく、息子を励まし勇気を奮い起させることもスパルタの女性の仕事でした。
ある女性は自分の刀が短いと泣き言をいう息子に、
「ならあと一歩踏み出しなさい」
また野戦へと赴く息子にある母は、
「一歩ごとに勇気を奮い立たせなさい」
そして、戦場で受けた傷のため四つん這いでしか歩けなくなった息子が、まわりから嘲笑されて嘆いていると、その背中を撫でてやりなが、
「バカ者に嘲笑われることより、勇ましさを示したという事実の方が、どれだけ素晴らしいことか気づきなさい」
国政にも関わる、8歳の少女
男よりもよほど男らしい女性たちは、国政に口を出すこともできました。
映画「300〈スリーハンドレッド〉」でジェラルド・バトラーが演じた主人公レオニダスの妻・ゴルゴ王妃(こちらはレナ・ヘディが演じていました)は、幼女の頃、歴史に大きな影響を与える忠告を父にしています。
ミレトスの僭主がスパルタをペルシアとの戦争に巻き込むため、使者を送ってきた時のこと。ゴルゴ王妃は王である父親と使者の交渉に立ち会っていたのですが、相手が「10タラントン」「20タラントン」と金の条件を釣り上げていくのを見かね、黙り込んでいる父親にこう告げました。
「お父さん、すぐにこの人を叩き出しなさい」
スパルタ人にあるまじき金銭欲にとわれていた王もはっと我に返り、まだ8歳!の娘の言う通り使者を叩き出しました。
ゴルゴ王妃は、成長してレオニダスと結婚した後も激しい気性は変わらず、いやむしろ増すばかり。しかし、レオニダスには心底ほれていたようで、彼が伝説のテルモピュライの戦いに赴く際、「よい夫を見つけ、よい子を生んでくれ」と最後の言葉を告げられた時は、泣き崩れてしまっています。
スパルタの風習は、凛とした女性たちによって成り立っていた
スパルタの風習には、ヘタイロイという奴隷への虐待など、野蛮で不合理で無用に血なまぐさいものも含まれています。しかし、歴史上もっとも“男らしい国家”といってもいいスパルタが実は、凛とした女性たちに支えられていたという事実はもっと知られてもいいと思います。
最後にゴルゴ王妃がアテナイの女性からどうして「スパルタの女だけが男を支配できるの?」と聞かれたときのエピソードを紹介したいと思います。彼女はこう胸を張って答えたのでした。
「それは本物の男を生んだのはあたしたちだけだからよ」
参考文献:『プルタルコス英雄伝』(プルタルコス著、村川堅太郎編、ちくま学芸文庫)/『歴史』(ヘロドトス著、松平千秋訳、岩波文庫)/『古代ギリシャがんちく図鑑』(芝崎みゆき、バジリコ)/『ラコニア女たちの名言集』(野次馬集団著、http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/plutarkos/Apophthegmata.html
(黒澤はゆま)