幕末明治のスター絵師河鍋暁斎と弟子コンドルの絆!丸の内で「画鬼・暁斎」展

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明治時代に絶大な人気を誇った絵師・河鍋暁斎(かわなべきょうさい)と、明治政府に招かれて三菱一号館を設計した英国人建築家のジョサイア・コンドル。一見、何の関係もないようなふたりだけど、実は師弟関係にあって強い絆で結ばれていたのだとか。

2014年6月27日(土)から9月6日(日)まで開催される「画鬼・暁斎― KYOSAI 幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」は、、三菱一号館美術館の開館5周年を記念した展覧会。暁斎の画業を国内外の名品約130点によって振り返るとともに、ふたりの交流やコンドルの業績についても紹介するそう。

「画鬼」とは、絵のために夢中になると我を忘れてしまうせいで付いた暁斎の異名。例えば、自宅が焼失するのも気づかず火事の写生に没頭したり、通りかかった女性の帯の柄を写生するために後をつけて誤解されたり…そんな天才ゆえのエピソードがたくさん残っているのだとか。

「早熟だった暁斎は、6歳で浮世絵師の歌川国芳に弟子入りします。その後、9歳で狩野派に入門し、18歳で修業を終えました。幕府のお抱えだった狩野派は明治維新で仕事を失いましたが、器用な暁斎は挿絵や錦絵など幅広く活躍して人気を得たのです。当時、浮世絵の番付では一番だったそうですよ」と広報担当者さん。

1881年(明治14年)に上野で開催された博覧会で暁斎の絵と出会ったコンドルは、50歳の暁斎に弟子入りを申し出たとか。その後、ふたりは一緒に写生旅行に出かけるほど親密になり、展示品には宿で絵を描く暁斎の姿を描いたスケッチも。同じモチーフで描かれた、師弟それぞれの絵も展示される。

器用すぎて代表作が絞り込めず、日本画のジャンルから外された暁斎の絵を、再認識したのは海外の人々だったとか。暁斎の没後に、コンドルがその画業と人生をたたえる本を出版したのがきっかけで、暁斎の名は西洋で広く知られるようになったという。今回は、メトロポリタン美術館所蔵の作品も展示され、およそ120年ぶりの里帰りになるそう。

なかにはちょっとホラーなガイコツや妖怪の絵もあるそうなので、夏にふさわしい美術展かも。幕末明治の人々を魅了した多彩なアートの数々を楽しんで。

上:河鍋暁斎《大和美人図屏風》明治17-18(1884-85)年 京都国立博物館寄託 ※前期(6月28日〜8月2日のみ展示)
下:河鍋暁斎《鳥獣戯画 猫又と狸》制作年不詳 河鍋暁斎記念美術館蔵