剣道部顧問の暴行、熱中症で息子を亡くして17年。「この裁判負けますよ」と言われても…両親の“8年の闘い”が残したもの
倒れる寸前まで過酷な稽古が続けられ、そのさなかには顧問による暴行もあった。剣太さんの異変が見過ごされ、命が守られなかったことは、後の裁判でも認定されている。
あれから17年。この事件と、剣太さんの両親が挑んだ裁判は、社会に何を残したのか。そして、部活動をめぐる現場は、どう変わったのか。
全国で初めてとされるこの司法判断を勝ち取るまでには、8年の歳月がかかった。その道のりと、事件が社会に残したものについて、剣太さんの母・奈美さん、父・英士さんに話を聞いた。
◆息子の死から4日後、証言を集め始めた両親
剣太さんが倒れたあの日、いったい何が起きていたのか。両親は事故の直後から、部員たちの証言を集め、その状況を把握していた。
事件当日、練習場の気温は36度に達していたという。その暑さのなか、防具を身につけ、剣太さんは長時間の稽古を課された。やがて体は限界を超え、動きは鈍り、意識ももうろうとしていく。だが顧問は、その様子を「怠けている」「演技をしている」と受け取り、「演技するな」と言いながら暴行を加えた。往復のビンタは、10発を超えていたという。
まじめで責任感の強い主将だった剣太さんは、決してサボるような性格ではなかった。体調の異変は、明らかに表れていた。それでも稽古は止まらず、倒れる寸前の剣太さんに、休息が与えられることはなかった。
搬送された病院で測った体温は、病院の体温計で計測できる上限の42度を振り切っていた。お母さんによれば、処置にあたった医療者も、熱中症への対応に慣れている様子ではなかったという。「点滴を打てば治る」と説明されていたが、剣太さんの容体は急変。剣太さんはその日のうちに亡くなった。
剣太さんが亡くなって、わずか4日後。両親は、証言を集めるために動き出した。我が子の死を受け入れることなど、とてもできない。それでも、あの日、剣太さんに何が起きたのか。その真相を明らかにすることだけを考えていた。
お父さんが菓子折りを持って部員の家を一軒ずつ訪ね、親御さんが同席するなかで、録音をしながら当時の状況を聞き取っていく。持ち帰った録音を、お母さんが一つひとつ文字に起こす。学校事故では、時間が経つほど記憶は薄れ、証言も集めにくくなる。早い段階で動けたことが、後の裁判を大きく支えることになった。
だが、その作業は、両親にとって何よりつらいものだったという。我が子が倒れ、暴力をふるわれる様子を、他人の口から繰り返し聞かされる。証言してくれる部員のなかには、話しながら泣き出す子もいた。「話せません」と口を閉ざす子もいた。それでも両親は、証言を集め続けた。
◆公務員個人に賠償責任を負わせる難しさ
こうして両親は、あの日の真相を証言によって明らかにしていったが、その先には大きな壁が立ちはだかっていた。
部活動の指導中に、たとえ顧問が生徒に暴力をふるったとしても、その顧問個人に賠償を払わせるのは、極めて難しい。公立学校の教員は公務員であり、原則として国家賠償法という法律によって、賠償の責任は公務員個人ではなく、県や市といった自治体が肩代わりすることになっているからだ。
つまり、どれだけ理不尽な指導で子どもが傷つけられても、民事で訴えて勝った場合でも、支払うのは自治体。つまりは市民の税金が使われる。加害教員本人は、金銭的な責任を問われることがない。

