2回の流産を経て長男を身籠るも、妊娠8か月で胎児の心臓病が発覚した元バレーボール選手の大友愛さん。「妊娠初期にもっと安静にしていれば」など、臨月はひたすら自分を責めたそう。夫である秋本啓之さんは懸命に支えてくれましたが── 。(全4回中の2回)

【写真】当時、家族を懸命に支えた夫・柔道家の秋本啓之さんとお誕生日を祝う姿など(全12枚)

トイレで泣かれてましたよ

長男と

── 大友さんは2013年に現役を引退されていますが、翌年に出産した長男の心之介くんは生後すぐに心臓手術を受けたそうですね。どのような経緯だったのでしょうか。

大友さん: 妊娠8か月の健診でお腹にいる赤ちゃんが「大血管転位」という心臓の病気であることがわかり、生後すぐに手術をするからと大学病院を紹介されました。最初にそのことを聞いたときは、怖くてしかたがなかったです。実は私は心之介を授かる前に2回、流産を経験しているんです。そのときの心拍確認ができなかった記憶がよみがえって「もっと初期に安静にしていたら病気にならなかったのかな」「妊娠中に何かダメなものを食べたせいかもしれない」と臨月はひたすら自分を責めて落ち込んでいました。

生後すぐに手術を受けなければならないことも不安でした。でも手術担当の先生が、「大血管転位はシンプルだしそこまで難しくない。術後も運動できるようになるし、絶対大丈夫ですよ」と何度も丁寧に説明してくれたんですね。その励ましのおかげでなんとか出産までたどり着けたし、生後7日で受けた手術も無事に成功しました。手術自体は8時間と長丁場だったので、その間はずっと不安でしたが…。

── 夫である柔道家の秋本啓之さんは、心之介くんの心臓病をどのように受け止めていたのでしょうか。

大友さん:私が「どうしようどうしよう」と不安になっていたからだと思いますが、旦那はずっと冷静に振る舞っていましたね。「大丈夫、絶対強い子になるから」と背中をさすって勇気づけてくれました。でも心之介が無事に生まれてきた直後は、トイレでこっそり嬉し泣きしてたみたいです。出産後に男性の先生が私の病室に来て「たぶんお父様だと思うんですけどトイレで泣かれていましたよ」と教えてくれて初めて知りました。私がこれ以上、不安にならないように、我慢してくれていたんだなと後から思いましたね。

── 術後の経過はいかがでしたか。

大友さん: 1か月半くらいはNICU(新生児集中治療室)にいたのですが、その入院期間が本当につらかったです。最初のうちは全身を管につながれた心之介の姿を、朝から夕まで見守るしかできなかったので。赤ちゃんにとってミルクを吸うのって、すごくエネルギーを使うそうなんですね。心臓のポンプを一生懸命に使うので。だからミルクを飲める体力がついてからは、搾乳して、ほんの少量ずつ飲ませて、1日中抱っこしていました。

つき添い中、看護師さんが「お母さんがそばにいてくれるとやっぱり違いますね」と励ましてくれるんですよ。そう聞くと病室から出られなくなってしまって。ろくに食事ができず、空腹を感じたら飴を舐めるような毎日だったので、気づいたら体重が14キロ落ちてガリガリになってしまいました。

定期検診のたびに不安に襲われて

スリットスカートからきれいに伸びる足はモデルなみ

── それは母子ともに大変でしたね…。退院後はどうでしたか?

大友さん:退院後は順調に回復して、ミルクもたくさん飲めるように。すぐにぷくぷく体型になってくれて安心しました。ただ、1歳半のときに血管を拡張するカテーテル手術を受けて、その後は半年に1度の定期検診を受けていました。最初の数年は定期検診の日が近づいてくるたびに「今回は大丈夫かな」と不安でドキドキしていましたね。

その後、定期検診の頻度が1年に1回になり、心之介も「これくらい元気ならもう大丈夫でしょ!」と思わせてくれるような元気な子に育ってくれたおかげで、ようやく「もう大丈夫かな」と私も思えるようになりました。

10歳になった今は柔道とバレーをやっていて元気いっぱいです。身長も平均よりずっと大きいし、とにかく元気に動く体力おばけになりました。

── 柔道とバレーボール、両方の才能を受け継いでいるかもしれませんね。ではもうすっかり心配のいらない状況でしょうか。

大友さん:普段の生活はまったく問題ないのですが、実はそろそろ再手術を受けるタイミングが近づいているんです。

これから成長期に入ってどんどん大きくなっていくと、体格にあわせて血管も広げないといけないそうなんですね。そのためには全身に血流が行き渡るように、10歳以降のどこかで血管を広げるカテーテル手術を受ける必要がある。それをいつにするのか、これからお医者さんと相談していくことになりそうです。

── 現在はきょうだい4人が全員バレーボールを習っているそうですが、習い始めてからの変化はありますか。

大友さん:長女の美空を指導してくれた監督さんのチームに次女と三女が、長男は別のチームにそれぞれ通わせています。どちらのチームも「バレーだけ上手くなればいい」という方針ではなく、自分のことは自分でできるようになるとか、技術以外の面もしっかり教えてくれるところがありがたいですね。

子どもたちも監督をすごく信頼しているみたいで、最近は「ママはこう言うけど監督はこう言ってたもん!」なんて否定されることもあるんですよ。でも、親以外にも信頼できる大人がいるのはいいことだと思うので、良い方向に成長しているなと感じています。

PROFILE 大友愛さん

おおとも・あい。1982年、宮城県出身。中学からバレーを始め、高校3年時には世界ユース選手権で優勝。2000年、NECレッドロケッツに入団し、翌年には全日本代表に初選出される。04年、アテネ五輪に出場。結婚、長女の出産を経て08年に復帰。ロンドン五輪で銅メダルを獲得。現在は4児の母。

取材・文/阿部花恵 写真提供/大友愛 撮影・衣装協力/(株)ATEYAKA