プリクラが誕生してから今年で21年。ちょうど今のアラサー世代あたりから、プリクラは女子高生の日課になったのではないでしょうか。筆者も例に漏れず、特に何かを祝うわけでもない、何でもない日に思いつきで「プリ撮り行こうよ!」と友達に声をかけていました。

プリクラを撮る場面といえば、学生なら友人と遊んだ時、社会人になったらお酒が入った時にノリで、という感じだと思います。要するに、今までの常識でいうと、プリクラは誰かと撮るものです。しかし今、若者の間でひとりでプリクラを撮る、いわゆる「ピンプリ」が流行しています。

自撮りの延長線上にある「ピンプリ」

これまでもアイドルや読者モデルがファンへのプレゼントとしてピンプリを撮ることはよくありました。しかし、最近はお仕事としてではなく、また何かの罰ゲームとしてでもなく、みずから進んでピンプリを撮りに行くことがあるんです。そのハードルの低さは、Instagramのハッシュタグ「#ピンプリ」の投稿が4桁を超えていることからも見てとれます。若者たちにとってピンプリは、自撮りの延長のようです。

リア充と非リア充の境目にも変化が

無論、ひとりでプリクラ機に入るのは恥ずかしいという感覚は若者にもあります。しかし、それでもやってしまうピンプリの面白さ、快感はどこにあるのでしょう。

彼らはある程度の鈍感さを身につけています。自分という人物を「演じている」と言ってもいいでしょう。自分の誕生日に開かれた飲み会で、突然店が暗くなり、バースデーソングを店員に歌われる(もちろんSNS用のスマホ動画も撮影されています)……そんな予定調和に無邪気に泣きながら喜んでみせる。それがリア充な若者たちの自意識です。

また、リア充か非リア充かという本人の意識はどうあれ、ピンプリを撮って、SNSにアップしても誰も嘲笑しない、むしろ普通のこととして楽しんでくれる。そういう土壌が自分のまわりにあることが、今の「リア充」の条件なのかもしれません。

大事なのはデータで、シールはおまけ

筆者が高校生だった5、6年前からすでに「もうモノとしてのプリクラっていらないよね」という問題がありました。学生だったらバースデーカードに貼ったりするかもしれませんが、最近はデータとしてSNSにアップするために使われる場合がほとんど。出てくるシールはおまけ感覚です。

筆者としては、今の若者たちが少し歳をとった時、インターネットに残るキメたピンプリの数々に何を感じるのか気になってしまいます。自意識フリーぶりを発揮して、「やっぱ若いね〜」なんてフラットに眺められるんでしょうか。今になって「若気の至り」に気づいてちょっと心をズキズキさせている23歳の筆者は、それを想像せずにはいられません。

(たなかもみこ)

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