『佐々田は友達』スタニング沢村 著(文藝春秋)
『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』『女(じぶん)の体をゆるすまで』で知られる漫画家・ペス山ポピーさんが改名し、スタニング沢村さんとして上梓した初の創作漫画『佐々田は友達』(文藝春秋)。

 陽キャにもオタクにも馴染めない佐々田と、陽キャの女子高生・高橋優希の不思議な友情を中心に、2人を取り巻く人物達の視点から日常を丁寧に描く青春群像劇です。

 1巻のラストでは、佐々田が「男の子として生きていきたい」という思いを隠していることが明かされました。

 著者のスタニング沢村さんは、自身がノンバイナリー(男性・女性のどちらかに当てはめられることに違和感を感じる人)であることを公表しており、本作には「今悩みを抱えているトランスジェンダーの子供達に希望を届けたい」という思いが込められているといいます。

 しかし本作は、「トランスジェンダー」というテーマを前面に出すわけでなく、ストーリーが進んでいきます。そういった作品の背景には、著者が執筆する上で大切にしている思いがあるといいます。

◆「本当は男の子として生きていきたい」読者の反応
――1巻の最後で、主人公の佐々田が「本当は男の子として生きていきたい」と思っていることが明かされました。読者の反応はいかがでしたか?

スタニング沢村さん(以下、スタニング沢村):受け入れてくれた方もいますし、一方で「興醒めした」という方もいました。

 私自身がトランスジェンダーという立場ですし、高校生の頃悩んでいた自分に読んでもらって心が軽くなるような作品を描きたいという思いがあります。でも同時に、一般の読者さんに伝えたくて描いているので、佐々田のカミングアウトがどう受け止められるのか不安でした。

「興醒めした」という方は、おそらくご自身は性自認について悩みはないから、共感できなくなってしまって「佐々田のことを遠く感じた」ということなんだと思います。

◆「性別による役割」を押し付けられる違和感

――トランスジェンダーではなくても、思春期に女性っぽくなっていくことや、「女性としての役割」を押し付けられることに違和感を覚えたりすることに、共感する人は多いのではないでしょうか。

スタニング沢村:悩み方としては、重なるところはあると思います。日本は女性差別が結構強い国なので、女性は小さい頃から「女の子はこうしろ」と言われることが多いです。そのため、「自分が男の子だったらよかったのに」と思ったり、女性であることが嫌になったりすることがあると思います。

 その理由が、トランスジェンダーだからなのか、女性差別やセクハラ被害に遭ったせいなのかはグラデーションになっていて、はっきりと分けるのが難しいと感じています。

◆執筆する上で意識していること

――執筆する上では、どんなことを意識しているのですか?

スタニング沢村:トランスジェンダーの子供達に届いてほしいということと、読み手の間口が広がるように描くこと、それをどう両立させるか常に葛藤しています。どれくらい「自分ごと」として想像してもらえる形で届けられるか悩んでいますね。

 当事者ではない人にとって「自分ごと」ではないのは当たり前なのですが、「自分の友達の悩み」くらいの感じで捉えてもらえたらという思いもあって、「佐々田は友達」というタイトルを付けました。

――群像劇にした理由はあるのでしょうか。

スタニング沢村:エッセイ漫画は、本人視点を突き詰めることができるのですが、創作漫画では、本人の視点だけで伝えられることには限界があると思ったんです。友人からの視点を描くことができるので、群像劇にしたいと思いました。