熊本県で創業100年余の印刷会社。そこで働く広報さんが大切にする「恩返し」の気持ち
■全国の「私らしく働く人」に会いに行きたい
記念すべき連載の第一回目は、編集長の中納が担当します。毎日、終わらないデスクワークと次から次に舞い込むミーティングに追われ、今では取材に出ることも少なくなってしまいましたが、今回は久しぶりに現場に出かけました。
このマイナビウーマンの編集部に来たのは2年前なのですが、この連載はその当時からやりたいと温めてきた企画です。日々トレンドを追いかけるメディアとしては、どうしても情報自体が首都圏に偏りがち。自ずと取材対象も東京が中心になってしまいます。でも「働く女性」に向けて情報を発信しているマイナビウーマンの読者は、東京だけではありません。全国各地どの街にもいます。
だからこそ、この連載では全国津々浦々で「自分らしく、働いている人」に会いに行きたい。仕事や土地への想いを聞かせてほしい。そんな気持ちからこの連載を始めました。
■苦難にも負けない「たくましさ」と「チャレンジ精神」
飛行機で降り立ったのは、雪がちらつく真冬の熊本県。前に来たのはもう10年以上前なので、かなり久しぶりの熊本です。
意外かもしれませんが、前回に熊本で取材したのは熊本城や田原坂などの歴史スポット。当時は歴史雑誌の編集者をしていて「西南戦争ゆかりの地を巡る」という渋すぎる取材でこの地を訪れました。それからなぜ華やかな女性メディアの編集者になったのか……は、いつかお話させてもらえればと思いますが、私のキャリアのスタートは出版社で、長いこと紙とにらめっこしながら生きてきました。
今回取材をお願いしたのは、そんな紙のスペシャリスト「城野印刷所」で広報として働く江河真喜子さん。創業は大正5年、熊本で100以上年も続く歴史ある印刷会社です。
熊本空港から車で20分ほどの好立地な益城町に、江河さんが働く城野印刷所はあります。巨大な印刷機がいくつも稼働しているとあって、社屋がとても大きなこと、また100年の歴史があるとは思えないほど新しいことが印象的でした。
「会社がちょうど100周年のときに熊本地震が起き、社屋も大きく損傷してしまい、それから新しく立て直しました」
ここ益城町は、熊本地震で大きな被害が出たエリアでした。全半壊は約6,200棟、一部損壊を含めると98%を超える住家が被害を受けたそうです。出版不況の影響もあり、城野印刷所はこの地震をきっかけに廃業の危機に。なんとか踏みとどまったものの、数年後にはコロナ禍……。事業への影響も少なくありませんでした。
でも、今も城野印刷所では130人以上の社員たちが生き生きと働いています。まったく違う業界で働いていた江河さんが入社を決めたのも、同社が幾度の危機に負けない「たくましさ」だったといいます。
「私はもともとホテルや飲食などの印刷業とはまったく違う分野の企業で勤めていて、前職も県内のコスメメーカーで広報として働いてきました。2023年に城野印刷所への転職を決意したきっかけは、約20年にわたって仕事ひと筋で突っ走ってきましたが、一旦これで一区切り。これからまた20年働くとして今度は『何か後世に残るようなことにチャレンジがしたい』と思いました。そんなときに城野印刷所ですでに働いていた前職の先輩にお声をかけていただき、困難にも負けず100年の歴史を紡ごうと新しい取り組みにチャレンジしている会社の姿勢に魅力を感じて、一緒に働かせてもらうことにしました」
■お客様の想いをカタチにするために、印刷だけにこだわらない
そうして城野印刷所で働くことになった江河さんですが、実は同社には「広報」という職種がなかったそう。初の広報社員として業務をスタートしたほか、印刷業だけでなく新たな取り組みにもチャレンジされています。
「現在の業務は、広報プランナーとしてブランディングを推進することやメディアへの広報活動が主軸です。広報の経験は長いですが、これまでのtoCの商材とは違い、今は印刷業とあってtoBの発信も多いので最初は戸惑いもありましたね。でも新鮮さもあってやりがいを感じています。あと、これまで広報という専属部署がなかったため、私が入社してからはメディアへ情報発信を続けることで、テレビの取材も来てもらえるようになりました。社員からが『家族から、お父さんが働いている会社に中継がくるってすごいねー、と言われたよ』と話してくれて、広報のやりがいを改めて感じました」
「また、私の他の業務の中である新事業『就活応縁くまもと』では、です。熊本で働きたい学生と地元の企業をつなぐスカウト型の就業支援サイトになります。この運営にも携わっています」
熊本で創業し長い歴史を持つ同社だからこそ、県内の多くの企業や大学と接点があり、地元に密着した就業支援が可能とのことで、2021年9月からサービスをスタート。すでに県内の多くの企業や学生が参加してくれているそう。とはいえ、印刷業とはまったく毛色の違う事業。チャレンジした理由は何だったのでしょうか。
「弊社は県内だけでなく全国1,300以上の学校から請け負う卒業アルバムの印刷が事業の柱です。卒業アルバムって実は1冊1冊に手作業が入っていて職人技が必要な難しい印刷なんですよ。ところが、今では出版不況や職人さんの減少もあり、全国でアルバムを請け負える印刷所はわずか数社しかなくなってしまいました。そんな状況だからこそ、この印刷技術をこれからも残していくためにこそ印刷事業だけに固執するのではなく、地元で100年続くという企業のリソースを生かした新事業にチャレンジしました」
取材中、江河さんの隣には新入社員と大学生も座っていました。彼女たちも江河さんが携わる新事業「就活応縁くまもと」の一環で、同社で働いています。
「彼女たちのように、生まれ育った地元の熊本で働きたいと思っている学生は大勢います。また県内には業績や待遇、将来性も兼ね備えた優良企業もたくさんあります。でも、そのマッチングがうまくいかず、優秀な若い人材が県外に出てしまう、企業は人手不足に陥ってしまうという負のスパイラルがあるのが現状です。新事業ではこの両者の橋渡しをすることで、熊本を盛り上げたい、元気にしたいという想いも込められています」
■キャリアの折り返し。テーマは「次の世代へのバトン」
広々とした社屋も案内していただいたのですが、1階では巨大な印刷機や手作業で卒業アルバムの印刷に取り組む職人たち、2階ではPCに向かってデスクワークに励む社員たちの姿がありました。また、社員の年齢層もインターン生の大学生もいれば、長年にわたって印刷機と向き合ってきた熟年の職人さんの姿も。そんな「伝統」と「先進」の両立こそが、今の同社の強みだと感じました。
「私はこれまで20年働いてきましたので、今はちょうどキャリアの折り返し地点だと思っています。これまでは自分のキャリアを積むためにがむしゃらに働いてきましたが、今は次の世代にバトンを渡していくことも意識するようになりました。仕事の進め方やスキルももちろんですが、自分が広報に新事業に取り組む姿勢を若い社員や学生たちに見てもらえたらいいなと思って働いています」
広報と新事業の両方の業務、さらに若手の教育まで進めるのは、なかなか労力がかかりそう。大変ではないですか? と聞くと……。
「前職をやめて今の会社に入ったときには、ワークライフバランスの『ライフ』の方を多めにしようかと思っていたのですが、結局できずにバリバリ働いていますね(笑)。もちろん、新しいことに取り組むのは大変さもありますが、自分の頑張りが100年続いてきた会社の次の100年につながるかもしれないと思うと、いつもワクワクしますよ」
そんな仕事に熱心な江河さんは、結局多めになってしまったワークではなく『ライフ』をどんな風に過ごされているのかも気になるところ。
「オンオフはしっかりとつけるタイプなので、オフのときは仕事のことは考えずにしっかりと遊びます。おでかけが好きなので、県内の人気なカフェに行ってみたり、遠くまで旅行に行ってみたり、休日はすごくアクティブですね。男兄弟の中で育ったからかもしれませんが、ひとりでお店でも旅でもどこでも出かけられます(笑)」
取材に同席していた社員や学生から「意外!」と声があがるほど、オンオフをきっぱり分けている江河さん。オフの時間はしっかりとリラックスして過ごすことが仕事を頑張れる秘訣とのことでした。
■私の原動力は「熊本への恩返し」
最後にもう一度、お仕事の話を。熱量たっぷりで仕事に向き合う江河さんに「その原動力は何なんですか?」と尋ねました。すると「熊本への恩返し」という言葉が返ってきました。
「私は大分県の出身なのですが、いろんな方とのご縁で長く熊本で働かせてもらってきたので『熊本に育ててもらった』という感謝の気持ちが強いです。学生たちと話していてもみんな熊本が好きですし、企業の方々もそう。もちろん、うちの会社で働く社員たちだってそうです。創業から100年も続いてこられたのは、地域の支えがあったからこそ。やはり熊本のおかげだと思っています。最初にお話しした『後世に残すことにチャレンジしたい』というのも熊本への恩返しの想いがあります。私は広報として社内外に魅力をアピールすること、新事業にもチャレンジすること、それが会社を次の100年につないでいくと思いますし、熊本への恩返しになると信じています」
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雪がちらつく寒い日でしたが、江河さんはもちろん、城野印刷所で働く皆さんが抱く仕事への、熊本への熱い想いに、すっかり寒さを忘れて汗ばむぐらい取材に熱中させてもらった一日でした。ありがとうございました。
今回訪れたのは……
「熊本県・益城町(ましきまち)」
空港や九州自動車道のインターチェンジがあり、熊本の玄関口ともいえる交通の拠点。熊本市内へのアクセスも良いことからベッドタウンとして住宅街も多い。
人口:33,234人(2024年2月時点)
(マイナビウーマン編集部)