「お金のために、私はあるモノを棄てた…」28歳で広尾在住専業主婦になった女の、哀しき劣等感
東京には、お嬢様だけのクローズド・パラダイスが存在する。
それはアッパー層の子女たちが通う”超名門女子校”だ。
「銀のスプーンをくわえて生まれてきた」彼女たちは、その狭い楽園で思いっきり青春を謳歌する。
しかし誰もが永遠に、そのパラダイスにはいられない。18歳の春、外の世界に放たれた彼女たちは突如気づくのだ。
―「お嬢様学校卒のブランド」って、令和の東京じゃ何の役にも立たない…!
◆これまでのあらすじ
前回は日本屈指の名門女子校を卒業して10年、大手広告代理店に勤める凛々子の“秘密”と、不器用な恋を紹介した。
今回は、そんな凛々子の同級生で裕福な専業主婦・文香の物語。
▶前回:28歳・交際経験なしの美女。好きな男の前で、お嬢様校卒が裏目に出た“アノ瞬間”とは?

28歳の広尾マダム・文香の話【前編】
「凛々子ったら…。せっかくみんなで同窓会に行けると思ったのに、つれないなあ〜」
土曜の午前中。朝9時を待ってすぐにかけた電話をすげなく切られ、文香はがっかりしながら真っ白なカリモクのソファに座った。
昨日届いた、高校卒業10年記念同窓会の招待状。絶対に参加しようと、まずはフットワークの軽い凛々子に連絡したが間違いだったようだ。
「残念。凛々子がこれから暇だったら、ブランチでも誘おうと思ったのにさ」
独り言を言いながら、キッチンに鎮座するデロンギのエスプレッソマシンにカップをセットし、カフェラテを淹れる。
天井から床まである大きなガラス戸の向こうに、陽光をはじくグリーンとウッドデッキが広がっていた。
2年前、結婚生活のスタートと同時に義両親が買ってくれた広尾の低層マンションは、できるだけゲストを呼べるようリビングの雰囲気と広さを重視した。
「同窓会、絶対に行きたい。美乃にも聞いてみよう」
10年ぶりの同窓会。文香には、出席しなくてはならないある理由があった。
文香が高校生以来抱えてきた、哀しいコンプレックスとは…?
居住地コンプレックス
文香の実家は、千葉県柏市にある。
あの名門女子校でそう言うと、みんな首をかしげる。生徒の大半が千代田区・文京区・港区・世田谷区に住んでいるからだ。
都心から遠い子でもせいぜい練馬区や大田区といった辺りなので、柏がどこにあって、どのくらいの距離なのかピンとこないのだ。一度「日光の近く?新幹線通学なのね」と言われたこともある。
お嬢様の行動範囲の狭さと、自分に関係のないことへの関心のなさは、ときに残酷なもの。
一人だけ埼玉県の川越市に住んでいるという子がいて、親近感を持ち、招かれて遊びに行ったことがある。
すると「お屋敷」としか形容のしようがない家で、庭には灯篭やししおどしがあり、周囲をぐるりと高い塀に囲まれた荘厳な造りだった。たぶん塀沿いに周囲を1周したら、10分はかかっただろう。
文香の家も少しは凝った注文住宅とはいえ、商社勤務の父が一人で建てた家とは何もかも次元が違う。
結局、在学中の6年間。文香はどんなに仲良くなろうとも、友人を実家に呼ぶことはなかった。

文香が“お金大好き”なのは、絶対にあの頃のコンプレックスからきている。
両親はもちろん、同じように育てられ千葉の進学校で学んだ二つ年上の兄も、生活するのに事足りるお金があればそれでいいというタイプだ。
第一希望の進学校に落ち、場違いな学校に行った文香だけが、お金に固執するようになった。…お金がたくさんあるというだけで、まったく好きでも嫌いでもない相手と結婚するほどに。
結婚のきっかけとなる縁談は、柏に住む祖母が持ってきたもの。文香は、その際に渡された釣書の「川田功一」という名前でさまざまなことを検索し、調べあげた。
功一の祖父は、千葉で事業を起こし、電気工事系の工務店などを展開して成功したらしい。3代目にあたる彼はさらに事業を拡大し、不動産関連事業も軌道に乗せている。
そしてお見合いの席で言われた「もし結婚したら、文香さんの通勤に便利な東京の新築マンションを購入します。一生苦労はさせません」という言葉に、心を動かされた。
功一は当時23歳だった文香より12歳も年上で、若いイケメン好きの文香にはときめきなど皆無。しかし彼は穏やかで、交際中も何かと贅沢をさせてくれたのだ。
その豪華なデートは、精一杯背伸びして必死で友達についていった青春時代の気おくれを拭い去ってくれた。
そして半年後のプロポーズを承諾したあと、千葉にアクセスのいいエリアを考えていた義両親と夫に懇願して、この広尾のマンションを買ってもらったというわけだ。
文香は冷めてしまったカフェラテを一口飲むと、スマホで友人・美乃にメッセージを作りはじめる。
― 久しぶり!同窓会の案内状、見た?私は行こうと思ってるよ。その前に時間があれば、ランチでもどう?
さっそく既読がつき、間髪入れずに「オッケー!明日、日曜のブランチは?」という返信が来る。ちらりと夫のことが頭をよぎったが、どうせまた朝から接待ゴルフだろう。
文香は大歓迎のスタンプを押すと、明日は何を着ていこうかとクローゼットに向かった。
文香がどうしても今、同窓会に行きたい“黒い”理由とは?
高校時代の親友だけには、この作戦を知られたくない
「文香ごきげんよ〜。なに、めっちゃ気合入れちゃって。…私、こんなカッコで来ちゃまずかった?」
広尾に住む文香と、六本木一丁目に住む美乃の中間ということで、六本木ヒルズ近くのオープンカフェで待ち合わせをした。
「ごきげんよ〜、え、気合なんて入れてないってば。いつもこんな感じよ。それより美乃、仕事忙しそうだね。この前WEBで美乃の舞台評読んだよ」
ヨーコチャンの黒いサマーワンピースをひるがえして、文香は美乃の隣に座った。
フリーランスで舞台やミュージカルに関する記事を寄稿している美乃は、超売れっ子舞台評論家兼エンタメライターだ。
カジュアルな出で立ちでハードカバーを広げる美乃と、マダム風の文香とは属性も年齢も違うように見える。

そんな一見ちぐはぐな二人だが、12歳からの友達だ。ここ1年ほど会っていなかったけれど、すぐに昔の空気感を取り戻した。
「見るからに広尾の奥様って感じねえ。あーあ。文香見てると私、なにやってんだって思うわ」
美乃は昔から率直で、言葉に裏表がない。それを知ってるだけに、その言葉は文香の優越感をくすぐった。そのぶんだけ素直になって、文香も本音をもらす。
「何言ってんの。この前ミュージカル見に行ったら、パンフレットにすごく素敵な文章が載ってて、署名みたら美乃だったよ!若いのに、あんな大作に公式に文章を寄せるなんて。
昔は我が校のただの超絶舞台オタクだったのに、今じゃ世界に通用するオタクになっちゃって!ただの主婦の私とは大違いよ」
幼なじみの前では、そんな自虐も口にできた。
「はは、まあ小さな頃から親のお金で世界中の舞台という舞台を見たからねえ。単純にこの歳で古今東西それだけ見た人っていないから、ラッキーよね」
美乃はそう言ってさっぱりと笑ったが、文香はそれがラッキーの範疇でないことを知っていた。
中高時代の美乃は、長期休みといえばブロードウェイとウエストエンドにすっかり居を移し、観劇三昧。東京で公開される舞台のみならず、地方公演もリュック一つで見に行っていた。
その始まりは桁違いに裕福だが、まったく子どもに興味がない美乃の両親と、冷え冷えとした家庭環境だということを、同級生は皆知っている。
知っていて、知らないふりをしていた。申し合わせも、話し合いもなかった。
それぞれがなんとなく事情を感じとり、その前提で美乃のちょっとだらしない生活態度をイジってきた。
学業に支障がでるほどのオタク活動も、なんとかして先生が許容してくれるよう協力してきたし、ネタにして笑いとばしてきたのだ。
そんな優しくて純粋なサンクチュアリだからこそ、文香は自分のモヤモヤを吐き出すことができなかった。
ズルくても、卑怯でも、自分も仲間でいたかった。
「…どうしたの、文香?来月会えるっていうのに、わざわざ誘ってくるなんて、なにか話があるんじゃない?」
美乃が、ぼんやりとしたままクロワッサンサンドに手をつけない文香を、心配そうにのぞき込む。
― ねえ、美乃。本当のこと言うと私、全然好きじゃない人とお金目当てで結婚しちゃったの。
本当は、夢中で誰かを愛してる凛々子が羨ましくて仕方ない。もう私にそんな日は来ないんだって思ったら、全部を後悔しちゃいそう。結婚したおかげで、こんな暮らしをさせてもらってるのに。
おまけに本心を言うとね。今度の同窓会では、皆に今の私を見てほしいと思ってるの。
みんなに宣伝したくてたまらない。「私、広尾マダムだよ」って。最初からみんなの仲間なのよ、って顔をしてね。最低でしょ?
文香はそのどれもを言葉にできなくて、代わりにこらえきれず涙を一粒、流した。
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文香の話【後編】:悩む文香に、さらなる試練が訪れる。果たして彼女が見つける答えとは…?

