8月5日はマリリン・モンローの没後50年ということで、世界中でイベントや特集が企画され、新たに関心が高まっている。彼女の「生」を称賛する写真展や特別番組放映、「死」を新たに検証する本やテレビ番組...そしてさらに、「性」を再考する本も現れた。今も昔も世の男性を魅了した彼女が、自分の性について悩んでいたこととは...?

マリリンは最高のセックスシンボルだったかも知れないが、個人的な不安をいろいろ抱えていたことは有名な話だ。それを説明するのに、彼女は実は大変頭の切れる女性で、大衆が持っているフワフワ明るい金髪のセックスシンボル、というイメージは自ら慎重に作り上げたものだった、とする伝記が出版された。

話題になっているこの新しい伝記は、『Marilyn: The Passion and the Paradox(マリリン:情熱と矛盾)』。南カリフォルニア大学(University of Southern California)で歴史・ジェンダー研究を専門とするロイス・バナー教授(Lois Banner)が執筆した。抜粋が英<The Guardian>紙に最近掲載されたのだが、その中でバナー教授は、マリリンが自分の性指向について悩んでいたことにふれている。

「彼女は数多くの著名な男性と関係を持った。野球選手のジョー・ディマジオ、劇作家のアーサー・ミラー、映画監督のエリア・カザン、俳優のマーロン・ブランド、歌手のフランク・シナトラ、ケネディ兄弟...そしてディマジオとミラーとは結婚に至った。」「それでも、彼女は女性を欲し、女性と関係を持ち、自分は生まれつきレズビアンなのではないかと悩んだ。」

著者はこう続ける。「世界中の異性愛者のセックスシンボルでありながら、女性を愛するなんてありえない。外から見た体はきれいでも、内面はなぜこんな不備があるのか...。そして、どうして子供を産めないのだろうか。成人のマリリンは、このような疑問に取り付かれていた。」

しかしバナー教授が描くマリリンの人物像は、悩んでいるだけの無力な女性ではない。映画のイメージ通りに"dumb blonde"(「おバカな金髪娘」)と思われがちなマリリンは、フェミニストと言えるような行動を多くとった、とも書いている。

「彼女の一生は、自己形成のプロセスだった。自分を女優、そしてスターに創り上げた彼女は自己創造の天才だったと言えるだろう。のちに自ら製作会社を立ち上げ、業界の大物たちを追いつめるまで(交渉し)戦い、幼い時に受けた性的虐待に関しても立ち上がって公に訴えた。これは重大な、そしてあまり認識されていない、フェミニストの行動である。」

マリリンがレズビアン、もしくはバイセクシュアルであったかも知れない、と論じられるのはこれが初めてではない。マリリン自身も、同じ女優のジョーン・クロフォードやマレーネ・ディートリッヒ、また演技指導者だったポーラ・ストラスバーグ(Paula Strasberg)と性的関係を持ったことを認めたと言われている。

ハリウッド用に改名した金髪のセックスシンボル「マリリン」と、その中に住む栗色の髪のノーマ・ジーンのように、外では男性を愛する女性を演じ、内面では女性を愛していたのだろうか。

<マリリンは自殺ではなく謀殺された可能性>