卒業制作が並ぶ玄関前のホール

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北海道で一番小さい村にきらりと個性を放つ高校があります。「北海道おといねっぷ美術工芸高等学校」(以下おと高)。道内唯一の全日制工芸科の学校となって33年。いまや道内のみならず全国から生徒が集まるこの学校の魅力を探ります。

斬新なアイデアを盛り込み丁寧に仕上げられている卒業制作

■ 小さな村の「美術館」

おと高の玄関前ホールには3年生の卒業制作がズラリ。事前に連絡をすれば一般の人でも平日9:00〜16:00に見学可能です。壁に並ぶ絵には独特の世界観が垣間見え、木工作品にはイスや棚など本格的な家具も。「え、これを高校生が?」という力作ぞろいで見ごたえがあり、見学者から「購入したい」という話が出ることもあるのだとか。通常1月にはその年卒業する生徒の作品に入れ替えられます。

おと高では最初の1年間は全員が木工の基礎を学び、2年になる時に工芸コースか美術コースを選択。工芸コースではおもちゃから家具まで、美術コースでは油彩から日本画まで幅広く学びます。3年に入ると卒業制作に取り組みます。工芸コースは工芸作品を2点、美術コース選択者はF100号(1620×1300mm)大サイズの絵を1点、工芸の作品を1点完成させます。玄関前のホールにはこれらの作品が並んでいます。

おと高がある音威子府村は札幌市から車で3時間半ほど。人口は800人弱。北海道で一番人口の少ない村です。周囲は森林に囲まれ「森と匠の村づくり」を進めています。彫刻家の砂澤ビッキ氏は1978年から村内の廃校をアトリエとして利用。現在ではその場所が同氏の作品を収めた記念館となっています。

おと高は1950年に北海道名寄農業高等学校音威子府分校として開校。その後工業科を設けた時代もありましたが、1984年に高校を村立に転換する際、上記のような村の特色を生かし全日制の工芸科の学校として生まれ変わりました。特に木工芸を中心とするものづくりの学校として特色を打ち出し、道内各地はもちろん、九州などからも生徒が集まってきています。

■ どうして全国から生徒が集まってくるの?

2017年現在の在校生は全員が村外の出身者です。札幌市出身で工芸コース3年の宮田絢乃さんは母親が同校のOGで家にはその作品もあり、学校は身近な存在だったそう。ただ、親元を離れてこの学校に通うことにしたのは体験入学で同校の工芸を学ぶ環境と作業スペースの充実度、そして先輩の作品のクオリティの高さに引かれたためだと話します。実際に3年間を過ごしてみて「普通の高校では味わえないことがいっぱいあります。ほかの学校に通っていたら人生は違うものになったと思います。その分岐点にいると思います」と話します。

「生徒が115名(2017年現在)、学校の職員などを含むと、音威子府村の人口の2割が学校の関係者ということになります」と同校の教頭、藤松慶弐(けいじ)先生。村では毎年6月に村民運動会が実施されますが、おと高は全校参加。村民が部活の試合の応援に駆けつけることもあり、交流はさかんです。

工芸コース3年の白柳緋里(しらやなぎあかり)さんは、兵庫県出身。北海道よりも近い場所に工芸科の高校はありましたが、学校と地域とのつながりがあることが決め手となりおと高に来ることを決めたと話します。

「見学に来た時に、木のことをすごく勉強する、木材理論の勉強があると聞いていいな、と思ったんです」と木工が盛んな村にある高校であること、また村が木材・画材を支給してくれることもプラスに働きました。土地の持つ魅力を存分に反映した学校生活が大きな長所となっています。

■ 学校以外の時間は何をしているの?

おと高では部活は全員加入制。運動部や軽音部などがあるのはほかの高校と同じです。…がその中で一番部員数が多いのがなんと工芸部と美術部! 白柳さんは美術部の部長を務めています。体験入部の際、先輩の作品が「高校生の描いたものとは思えなかった」と話しますが、美術部を選んだのは将来を見据えてのことでもありました。

「将来は漆工の道に進みたいんです。だから今は木工と絵画の基礎を勉強して、大学では工芸科で漆の基礎を学びたいと思っています。工芸科ではあまり絵を描かないので、高校のうちにたくさん描いておきたいです」。

宮田さんは授業で工芸コースを選択しつつ、部活も工芸部! 部長を務めています。なぜ工芸×工芸を選んだのでしょうか。「部活では授業とは違う、彫刻などをしてみたいと思ったんです」。授業でみっちり工芸や美術に触れながらも、工芸部、美術部を選ぶのはそういう理由もあったんですね。両部共に高文連などで入選するなどさすがの成績を残しています。

おと高は、実はクロスカントリースキー部でも知られた存在。学校から徒歩圏内に国際スキー連盟公認のチセネシリクロスカントリーコースがあるという非常に恵まれた環境で、入学の動機がこの部活で活躍すること、という生徒もいます。これまで全国高等学校スキー大会で4度の優勝を果たし、OBにはなんと2014年のソチオリンピックに出場した吉田圭伸選手もいます。

その吉田選手と一緒に2度の全国大会優勝を味わった佐藤雅隆さんは、おと高卒業後、大学、社会人と競技を続けていましたが4年前に引退。2017年春から寮監として働いています。クロスカントリースキー部の練習にはたまに顔を出し「2割くらい自分の練習(笑)」と再び音威子府での暮らしを満喫しています。

小学校2年生の時から19年続けていたクロスカントリースキーですが、おと高時代は当時の顧問の方針で「のびのびとやらせてもらったのがすごくよかった」と振り返ります。強豪チーム、しかも寮生活となると朝から晩まで練習していたのかと思いますが、夕食の始まる17:50には必ず帰寮していないといけないため、平日は授業が終わってからそれまでが勝負。

「ホームルームの時にはもう部活の格好に着替えていましたけどね」と笑いますが、集中して練習することがいい方向に作用していたのは、成績が証明しています。「1年の時、旭川でのインターハイで初めて優勝したときは全校、そして村の人まで応援に来てくれたんです」と忘れられない思い出になりました。

■ 山深い村での寮生活

チセネシリ寮は自宅からの通学が難しい生徒のためのものですが、現在は全校生徒がこの寮で暮らしています。親元を離れての団体生活は不安も多そうですが、宮田さんは「慣れてしまえば全然問題ありません。個性的な人が多いので楽しめます」。白柳さんは「親に甘えられない、ということでいい意味で追い込まれることがあります。生徒同士が注意し合うことでお互いに成長もでき、社会に出る準備だと感じます」と話します。

村にはもちろんゲームセンターもショッピングモールもありません。みなさん口をそろえて「誘惑がないから自分のやろうと思っていたことに打ち込める」と言います。が、高校生にとっては刺激がなさすぎるような…。

卒業後東京の大学に進学した佐藤さんは、都会と村での遊びは別モノ、と考えています。ただ「お金をかける遊びってどこにでもありませんか? ここではお金をかけない遊びができるんです。ギターを持って歌ったり…」と、高校を取り巻く環境は他では手にできないものだと実感しています。「生徒は今も昔も変わらずのびのびしているんです。ナチュラルなものに囲まれているせいでしょうか? 感受性が豊かな人が多いようにも思いますね」。

■ 将来は芸術家?

卒業後は美術系の大学に進む人もいますが、「芸術家を育てる学校ではありません」と藤松先生はきっぱり。「まず人として成り立つためのひとつの方法として美術・工芸がある、との考えのもとカリキュラムが組まれています。自分の作品を作る際も、自分なりのコンセプトを持って作ること。そしてそれを必ず説明できるようしています。これは社会に出てどこに行っても必要とされることですからね」。実際宮田さんは2年までは嫌だった作品の説明が3年になってようやくできるようになり、自分の成長を感じていると話します。

佐藤さんもそうですが、同校を卒業してからまた村に戻ってくる人もいます。村内にある「砂澤ビッキ記念館」で働く川崎映さん(※「崎」はたつさき)もそのひとり。大学卒業後、2014年の春から地域おこし協力隊として村に戻り、任期終了後から学芸員として働いています。

音威子府村には北海道大学の中川研究林があり、色鉛筆で自然をテーマにした絵を描く川崎さんにとっては、動物や昆虫などを観察できる貴重な場です。卒業後は村を離れていましたが「村の自然が恋しくなって」と戻ってくることを決意しました。研究林の中にはビッキ氏のお気に入りだった木もあり、「村の自然とビッキ氏の作品をつなげるような活動ができれば」と考えています。

村の特色を前面に出した学校づくりが個性を生み、そこから巣立って行った人もまた人を呼ぶ力になっています。かつての、そして現在のおと高生を知る佐藤さんに、もしいまおと高に進学しようか迷っている人がいたらなんと声をかけますか? と聞くと「後悔するような3年間にはならないです」と実感のこもったコメント。小さな村で全国区の存在感を示す小さな高校の人気の理由がわかりました。

北海道おといねっぷ美術工芸高等学校 ■住所:音威子府村字音威子府181-1 ■電話:01656・5・3044 ■時間:9:00〜16:00(見学希望の場合は要事前連絡) ■休み:土曜・日曜・祝日(北海道ウォーカー・市村雅代)