日本で最初に離婚したのは誰?その理由は?知られざる神々の恋愛事情

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8月も後半になり、各地で夏まつりが催されていますね。

実は「まつり」には、「祀り」と「祭り」の2種類あります。
「祀り」は、神々に感謝の祈りを捧げ、舞や神楽などを催す儀式のこと。一方「祭り」は、御霊を鎮めるための、いわば慰霊の儀式なんです。

みなさんは、昔から祀られてきた日本の神々が、実は結構、波乱に満ちた恋愛をしているってご存知でしょうか?
今日は、あまり知られてない神々の恋愛秘話をご紹介しちゃいます!

◆日本で最初に離婚した夫婦神


日本で最初に離婚した夫婦は誰でしょう。
それは、伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)です。

この2柱(神様は1柱、2柱と数えます)が最初の夫婦神だと思われがちですが、実はその前に4組カップルが生まれていて、伊邪那岐命と伊邪那美命は5組目です。
ただ、夫婦の契りを交わして子どもを成したという意味で最初の夫婦神といえます。

◎離婚の理由は…


伊邪那美命は、火の神を生んだことで大火傷を負います。それが原因で、命を落としてしまうんですね。
夫である伊邪那岐命は嘆き哀しんで、黄泉の国まで行き、愛しい妻を取り戻そうとします。

2柱は黄泉の国で再会を果たしますが、伊邪那美命はたいそう恐ろしい姿に変わっていました。
伊邪那岐命はびっくりして、逃げ出してしまいます。

その姿を見た伊邪那美命は、
「恥をかかされた!」
と怒り、黄泉の軍勢を率いて追いかけるのです。

やがて黄泉の国とこの世をつなぐ黄泉比良坂(よもつひらさか)にさしかかり、伊邪那岐命は大きな岩を立てて道をふさいでしまいます。
そして岩を挟んだ状態で、伊邪那美命に離婚を言い渡すのです。

◎いざなぎ、いざなみの神社といえば


そんなふうに残念な結果に終わった2柱ですが、結婚生活を送る中で本当にたくさんの子どもを成しました。
そもそもわたしたちが住む日本列島、そして各地で祀られている神々の多くが、この夫婦神の子どもです。

伊邪那岐命と伊邪那美命を祀る神社といえば、埼玉県秩父市三峰にある三峯神社でしょう。
子宝に恵まれた2柱のようになりたい方は、ぜひ参拝されてはいかがでしょうか。

毎月1日限定で白い「氣守」が頒布されます。貴重なお守りをゲットできるので、ぜひチェックしてみてくださいね。

◆妻を亡くした悲恋の神


東京都文京区には妻恋神社が鎮座しています。御祭神は、倭建命(やまとたけるのみこと)とその后・弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)です。

第12代景行天皇の皇子である倭建命は、父親に命じられて征討の旅に出ます。愛知県西部から神奈川県へと進んだところ、途中で地方の役人にだまし討ちに合って、火に囲まれる事態に陥りました。

なんとか難を逃れて先に進み、東京湾に出たので船で海を渡ろうとします。しかし、今度は海の神様が邪魔をして、高い波のせいで海を渡ることができません。

◎妻の犠牲で無事対岸へ


困っていたら弟橘比売命が
「あなたに代わって、私が海に入りましょう」
と言って、さらに

「さねさし 相武(さがむ)の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」
(相模の野原で燃える火の中に立ちながらも、私に呼びかけて案じてくださったあなた)

と歌を詠みました。
弟橘比売命の犠牲によって波は静まり、一行は無事対岸に着きます。そして7日後、波とともに弟橘比売命の櫛が打ち寄せられるのです…。

◎今も続く夫婦の絆


倭建命は旅を続けるものの、道中で三度ため息をつき、
「吾妻はや(我が妻よ)」
と亡き妻に呼びかけます。

別れ別れになっても、2人の絆は強く結びついているんですね。そんな2柱にあやかりたい方は、ぜひ妻恋神社に訪れてみてください。

◆まとめ


日本の神々の恋愛秘話、どのように感じましたか?
死別したパートナーとの再会を望むとか、二度と会えない寂しさにため息をつくなど、人間の恋心のようで共感しやすいですよね。

最初にご紹介した三峰神社は、実は倭建命が創建したといわれています。山梨から群馬を経て、碓氷峠に向かう途中に三峰に立ち寄ったそうです。

その清らかな美しさに心を動かされて社を建てたとのことですが、当時、彼の胸の内を占めていたのは弟橘比売命への想いだったのかもしれません。

ライタープロフィール


黒木蜜
一般企業に勤めながら執筆した作品が日本文学館のオムニバス本に掲載され作家デビュー。古事記への造詣が深く、全国300ヶ所以上の神社紹介記事を執筆。現在、古事記の観点から紹介する神社コラム/恋愛コラムなども手がけている。
黒木 蜜〜中今の詩〜