女性誌『Suits WOMAN』で注目を集めた「貧困女子」。これは普通の毎日を送っていたのに、気がつけば“貧困”と言われる状態になってしまった女性たちのエピソードです。

今回、お話を伺ったのは、人材コンサルティング会社に勤務する木庭弥生さん(38歳)。東京都渋谷区代官山にある古いマンションに住んでいて、同棲している彼もいます。ファッションもおしゃれで、今年流行のベルスリーブの白いブラウスに、スリムなデニムパンツを合わせ、古いフランスブランドの家紋柄のボストンバッグを持っています。大ぶりサングラスに赤リップを合わせていて、30代前半に見えます。

「貧困女子って借金まみれで、食パンばっかり食べている……みたいな人ばかりがクローズアップされているけれど、私みたいな人も貧困女子だと思うんです。だって38歳なのに、貯金は0円。毎月クレジットカードのキャッシング枠10万円を目一杯まで借りて生活を回し、毎月5日のクレジットカードの引き落とし日には、25〜30万円という給料のほぼ全額が消える。給料日の24日に家賃の7万円を払えば、あとはクレカ決済。ちょっと何かの歯車がズレたらアウト、という生活をしているのも貧困女子だと思うんです」

弥生さんの現在の手取りの給料は32万円くらい。ボーナスが年2回手取りで40万円ずつ支給されています。同世代の女性会社員としては、恵まれている部類だと思われます。

「社会人になって16年も経つのに、今までに1回も貯金ができたことがないんです。最初に新卒で採用されたのは、東証二部に上場しているアパレル関連の会社で、ここは手取りの給料が14万円でした。埼玉県さいたま市の実家から1時間半かけて都内の会社に通い、くたくたになって帰宅する……そんな生活が辛すぎて、2年で転職しました」

弥生さんの大学は、池袋にある名門大学。裕福な家庭で生まれ育った人が多く、そういう人に限ってマスコミ関連や商社など、給料が高い会社に勤務している人が多いと感じたとか。

「私の両親は高卒の地方公務員だから、就職に使えるコネは一切ありません。いい家の子たちは、私より大学の成績が悪かったのに、いい会社に入り、バッグ買って、服着て、美味しいもの食べて、金持ちの男と付き合っている。悔しくて、運命を呪いました」

人生は不公平だ。20代の弥生さんにはハングリー精神があった

「やる気があったから、毎日朝8時に出勤し、営業補佐業務をがんばり、会議にも参加していました。でも、やる気があって仕事を増やすと、最もつまらない商品管理のエクセルの入力などでミスする。早朝から終電まで働いても、給料は一切上がらず、社販でしか洋服が買えない。転職を決意したのは、24歳のときに、同窓会的なノリで行なった女子会。ワインバーで会計が7000円だったんですよ。払う時に、私は高額さに頭がクラクラしたのに、みんなは“あんなにいいワインを飲んだのに安いね”とか言っているんですよ」

転職したのは、中小企業向けコンサルティングの会社だった。手取りの給料は10万円アップして、年収は200万円程度から480万円に跳ね上り、ひとり暮らしも開始した。

「リサーチと営業企画で、プレゼンに飛び回って充実していました。最初の3年間は仕事も楽しくて、24歳から27歳までは年に5万円のペースで給料が上がっていたのですが、その翌年に給料が上がらなくなり、やる気がダウン。32歳までの5年間は、与えられた仕事をこなすだけのマシーンになっていました」

成績も上がらず、やる気が出ない日々。そこに優秀な派遣社員がやってきたとか。

「帰国子女で英語ができて美人でした。でも彼女は、男性社員の言うことならホイホイ聞くのに、女性社員には冷淡。さらに、正社員の私に意見してくるんですよ。“期日を決めてから指示を出してください”とか、“あいまいな部分を明確にしてからお願いします”とか。あれって性格なんでしょうね。彼女が来てから、会社で置かれる私の立場がなぜか悪くなっていった。私を辞めさせるための、いじめみたいな状況になったんですよね。私、小学生の時に、クラスでハブられていたことがあって、あの時の雰囲気に似ているんですよ。すると飲まずに帰れなくなって、行きつけの飲み屋さんに毎晩行くようになってしまい、給料だけでは生活できなくなりました」

キャッシングをするようになった弥生さんは、気が付けば自転車操業的な生活に陥っていた。当時は学芸大学駅付近に住んでいたそうです。

「家賃は割高ですが、住んでいる場所を聞かれても堂々と答えられるし、おしゃれだし。生活は苦しくても、東横線から引っ越すことなんて考えられません」

やる気がないと、ミスが増え成績が下がり、ますます仕事の手を抜く……という悪循環を繰り返しているとか。

会社を裏切るような転職、結婚をしてくれないダメ男に貢いで……〜その2〜に続きます