出逢った瞬間、即エッチもOK? 平安時代の男女ルールに学ぶ幸せになる道

みなさまごきげんよう、歴史エッセイストの堀江宏樹です。本命の彼との初エッチ、これは現代の女性にとって大問題でしょう。本命の彼だからこそ、外出や食事といったデートを何度も重ねた末、身体でも結ばれる……なんて流れが、現代では定番かもしれませんね。

しかし歴史的に考えると、数回にわたるデートの末のエッチという流れは一般的ではありませんでした。恋愛文化が日本史上、もっともお盛んだった時期といえる、平安時代の貴族の男女の場合を例にとって考えてみましょう。

当時の「逢ふ」という単語は、もちろん男女が普通に「逢う」という意味もあったのですが、「(逢った瞬間に)肉体関係を持つ」との意味合いが濃厚でした。現代の感覚では、本命の彼とは避けたい展開ですよね。

しかし、考えてみてください。身体を合わせれば相手の全てがわかります。相手の部屋で、いたす場合は相手の生活レベルもわかります。平安時代でも、さすがに逢うまでは、何度も手紙のやりとりを繰り返します。が、逢ったらすぐに身体の関係を持ってしまうのは、相手がほんとうに「運命の人」であるかを知るのに、それがもっとも手早い手段と考えられていたからです。

人間の心と身体は、とても素直なものです。身体が反応しにくい相手に、恋の情熱を感じることは難しいと思うのですね。現代のように、デートを繰り返したあげくにエッチをしてみるけれど、なんだかイマイチ……。でもその感覚をお互い押し隠し、やっぱり色々とあわなくて別れる、なんてことを繰り返すより、よっぽど生産的な気がします。

平安時代は男性が女性を訪れる「通い婚」が中心です。お互いに「結婚したい!」ということであれば、なんと三日連続で男性が通ってくることになります。出逢ってから三日連続でもお相手したい人なんて、少ないですよね。しかも平安時代では、顔もよく知らないままで、相手と結ばれることはザラでした。それでもなおかつ、三日連続で逢いたいと思える相手こそ、運命の人だと考えたのですね。平安時代の恋愛&結婚ルールは、すごく合理的に出来ていたのでした。合理的すぎて、ドライに感じられる側面はなきにしもあらずですが。

逆に言えば、そんな相手はめったにいないからこそ、どんどんお相手をチェンジせざるをえません。自分が良いと思った相手に選ばれなかった場合はやはり落ち込んで、鬱な歌などを詠みます。お姫様なら、周囲の召し使いも「あきらめないで!」と励ましてくれるでしょう。それでも気が晴れなければ「あー、出家したい」となるわけですが、男のキズは男で癒やすしかないと達観せざるをえなかったのが、平安女子の生き様なんですね。

なお、現代人のデートの誘い文句といえば、「お茶かご飯でもいかが?」ですよね。しかし、平安時代はおろか江戸時代になるまで、飲食する姿を意中の人に見られることは、男女ともに、とても恥ずかしいことでした。男性が一緒にご飯を食べてもよい間柄は、本命中の本命だけ。われわれが平安時代の人に「そんなに簡単に身体を許していいの?」って思うのと同じくらい、「そんな簡単に顔やら、食事風景を晒していいの?」って現代人の行動にビックリすると思います。羞恥を感じる対象って、ほんとに時代によって変わるんですねぇ。

こうして正式に結婚できても、相手がいつしか来なくなることもありました。3〜4カ月、相手が来なかった場合、結婚はいったん白紙に戻ります。ただし、現代人のように離婚を役所に届ける必要もなく、別れ話を突きつめてすることも少なかった分、冷却期間を置いて関係が復活することだって、期待できた側面もあります。今の女性も、大胆になるべきポイント、曖昧でいいやと思えるポイントを切り替えてみるのも、幸せになるための一つの解決策となるかもしれませんね。

著者:堀江宏樹
歴史エッセイスト。古今東西の恋愛史や、貴族文化などに関心が高い。
http://hirokky.exblog.jp/