◆スーパー銭湯にも行ってみた!

 乳がんで胸を失った人は行きにくいとされている、スーパー銭湯のような公衆浴場にも行ってみました。ネットで事前に調べると、入浴時に術側の胸を隠す下着が売られていました。けれどこの下着が世の中に広まっているわけではないので、この下着をつけて入浴するほうが奇異に見えてしまいそうなのでやめました。

 私は自分が片胸ない姿が恥ずかしいわけではないですが、やはり見た人はビックリしてしまうのではと思い、どうにかストレスなく入浴する方法を考えました。

 その結果、浴場に入るときには胸全体をタオルで隠し、洗い場はできるだけ右端に座る。湯船に浸かるときにはギリギリまでタオルで隠し、さっと浸かる。胸まで浸かってしまえば良く見えないので意外と平気です。

 洗い場では皆さん自分の身体を洗うことに集中しているのであまり気づかれないとわかりました。何度もスーパー銭湯温泉に行っていますが、今のところジロジロ見られた経験はありません。工夫次第で、今までの生活と同じようにやれるものだなと思っています。

 多少の後遺症や不便があるものの、なんだかんだでぱっと見は普通の人の生活を送れるようになりました。毎年1回、反対側の胸の検査と、周辺に転移がないかの検査だけはしていますが、これも10年経ったら完了します。

◆できるだけ素の自分でいられるように

 このように治療は大変でしたが、わたしはこの経験をして良かったと心から思っています。それはこの乳がん治療をきっかけに、人生観が大きく変わったから。

 大きな病気をするときは、人生を見直す時だと聞いたことがありますが、まさに納得。今まで少しずつずれてきていた人生の軌道修正をあのタイミングでできた感覚があります。病気の原因は何かを特定することはできませんが、わたしの場合は「うまくいかせたいのにうまくいかない」といつもじわじわ苦しい思いで過ごしていた数年間のストレスが原因のひとつだったのではないかと感じています。

 もちろん本当のところは分かりませんが、その時期は意地を張って、見栄も張って、自分らしくない生き方をしていました。ものすごく頑張って生きていたけれど、すごく生きにくかったし、息がしにくかった。だからこそそれまでと同じ生き方はやめようと思いました。

 同じことを繰り返すことは、また同じ病気を呼んでしまうかもしれない。そう思って、乳がん治療後の7年間は、できるだけ素に近い自分でいられる生き方にシフトしようと意識して歩んできました。

 わたし本来の、自由で、欲深くて、家事が苦手で、面倒くさがりで、でも頑張るときに、頑張りたいことには頑張る自分。心配性で、慎重で、あれこれ考えすぎて、でもチャレンジが好きな自分。

 そして自分の悩みやすい性質も、どうしたらカバーできるか考えました。常に頭の中が常に忙しく、考えすぎるとドツボにはまるわたしの性質も、下手をするとまた良くない方向に行ってしまうかもしれません。なので対策を打ちました。考え過ぎそうになったら途中で自分にストップをかけるように注意します。そして悩み始めたら「人生なんとかなる」「まずは今できることから」と仕切りなおすようにしています。

 暇すぎるといらないことを考えて悩みまくるので、適度に忙しくするように意識しています。忙しいとあれこれ悩む暇がなくなるので、本当はダラダラしたいのですが、暇になりすぎないように注意しています。わたしには「あー忙しい」と文句を言っているくらいがちょうどよいのかもしれません。

乳がん治療を経て響くようになった“ある言葉”

 これに加えて、残りの人生を思い切り生き切ろうという気持ちも強く持つようになりました。