音楽を手話で表現する挑戦。葛藤を抱えながら進む〈思い出野郎Aチーム〉のいま

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高橋一さん 〈思い出野郎Aチーム〉

2009年、多摩美術大学にて思い出野郎Aチームを結成。Trumpet, Vo担当。2021年の新木場スタジオコーストでのワンマンライブから、サポートミュージシャンと手話通訳をメンバーに加えた編成でも活動中。2023年に4rdアルバム『PARADE』をリリース。

ペン子さん 手話通訳士

ライブハウス渋谷WWWのオープニングスタッフを経て、東日本大震災をきっかけに手話通訳士に。思い出野郎Aチーム、the HIATUS、.ENDRECHERI.(堂本剛)などさまざまなミュージシャンのライブで手話通訳を手がける。

「いいんじゃない?」と軽い気持ちでスタートしたライブでの手話通訳

2021年末からライブに手話通訳を取り入れ始めた思い出野郎Aチーム。きっかけはバンド史上最大規模のライブに向けて、マネージャーからの提案だった。

高橋さん「コロナ禍を経て、〈STUDIO COAST〉でワンマンライブを開催することになったんです。サポートミュージシャンを増やし、バンドを拡張しようって話になったときに、マネージャーから『手話通訳とかどうですか?』と提案があって。僕も海外のミュージシャンが取り入れている映像を観ていたので、軽い気持ちで『いいんじゃない』って」

右も左もわからないところからのスタート。最初に問い合わせた先が報道などを得意とする手話通訳団体だったため、イメージのすり合わせに難航した。

高橋さん「そんな経緯もあり、バンドのSNSで『手話通訳の情報があればご連絡ください』とオープンに募集したんです」

そこで、ライブハウス〈渋谷WWW〉の店員から手話通訳士になったという異色の経歴を持つペン子さんがリアクションし、出会いを果たす。そもそもペン子さんが手話通訳士を目指したのは東日本大震災がきっかけ。ミュージシャンたちが支援のために動いてるのを見て、何かできることがないか模索していたという。

ペン子さん「自分に専門分野がないと動きにくいし、悔しいままだと実感して。政府の会見で手話通訳士の方々が活動されているのを見て、『これだ!』と」

一念発起し、専門学校へ入学。2年間に及ぶ猛勉強の日々が始まった。

ペン子さん「学校では音声言語は使いません。学校で使用する言語は手話で、休み時間の雑談も、食事の際の会話もすべて手話。勉強、勉強でストレスが溜まっていたんでしょうね、白髪が増えましたもん(笑)」

話を聞き、理解して、情報を噛み砕いて翻訳し、表現するーーその5つを瞬間的に行うハイレベルな技術が求められる手話通訳士になるには、難しい試験が設けられている。ペン子さんは、合格率13%という難関を無事に突破した。現在は手話通訳活動を続けながら、コンサートやライブの現場でも活動している。

ペン子さん「ご一緒することになった時は、正直『とんでもない土俵に上がってしまった』と思いました。日本では、ほとんど前例がないので合格率13%の壁を乗り越え、手話通訳士に

一方で高橋さんたちバンドサイドは、真逆の考えだった。

高橋さん「同時通訳で手話にしてもらえるイメージで、そこまで大変だと思っていなかったんです」

いざ取り掛かり、手話で音楽を表現する難しさを痛感する。手話には大きく2種類、“日本手話”と“日本語対応手話”があり、ペン子さんは“日本手話”を採用している。

※日本手話:日本のろう者の間で使われてきた、日本語とは異なる自然言語。日本語とは異なる語彙、文法構造を有する。手指以外に眉・口・頭などの上半身が文法的な役割を担う。

※日本語対応手話:手指つき日本語。日本語の通りに口を動かしながら、日本手話から借用した手話表現を付ける。主に日本語のベースがある難聴者や中途失聴者の方々が使う。日本語(の文法)でコミュニケーションを取っている方々には便利な表現。

ペン子さん「日本手話で翻訳をする場合は、1行目で作った歌詞の情景や空間を2行目でどう使おうかとか、そういうふうに構成・編集しながら訳していくんです。短歌や詩を外国の方に解説するような、そんな難しさに近いかもしれません」

芸術には、解釈を受け取り手に委ねるという側面もある。しかし手話で表現する際は、あえて省いていることや、抽象度の高い描写をどう解釈し、伝えればいいのかという細かなすり合わせが必要だった。

高橋さん「1曲ごとに、歌詞の解釈について手話チームから質問をもらい、それを踏まえて僕が細かい解説を付け加えて返信して…そんなラリーの連続です。僕らの曲は、1つの言葉を繰り返しているけど、そこに複数の意味を込める、いわゆるダブルミーニングを多用している曲も多くて。1行目はそのままの言葉の意味、2行目はその裏の意味、そう分けてもらったり色んな試みをしました」ペン子さん「最初のワンマンでは20曲近くを手話通訳チーム4〜5名で翻訳したのですが、本当に膨大な作業で…」

翻訳にかかる時間は曲によってまちまちだが、おおよその輪郭が見えてくるまでには1曲につき最短で1週間ほど費やした。ペン子さんたちが歌詞を読み込み、解釈する下準備の時間を入れるとその時間は計り知れない。さらに手話は、曲調ともリンクする。奏でられるのがマイナーコードだったら切なく寂しげに。ハッピーなときは思い切り躍動してーー

ペン子さん「動きの大きさや、手の強さ(手指の張り、緩みなど)も、表現のひとつなんです。次は誰のソロパートか、どんな展開になるのか頭に全部入ってるから、ダイナミズムに合わせて盛り上がる部分は思い切り大きく動いたりしています」 ライブ中の様子。上のスクリーンの右下には、ペン子さんの手話通訳が映っている動きの大きさや、手の強さ(手指の張り、緩みなど)も、表現のひとつ

ここまで徹底し、愚直にバンドに寄り添ったパフォーマンスを追求するのは、ペン子さんがミュージシャン・音楽へのリスペクトを大切にしているからこそだろう。

ペン子さん「そこはやっぱり譲れない部分ではありますね。いちリスナーとして、大袈裟じゃなくライブや音楽に救ってもらってきたので…」

こうして試行錯誤しながら、2年続けてきたなかでさまざまな反響が寄せられた。

高橋さん「まったく手話に触れたことのない人たちが関心を持ってくださっただけでも嬉しいですし、『素晴らしい取り組みだ』『感動した!』と反響をいただいて。それ自体は良かったことではあるんです。けど、最近は葛藤もあって…

2年続けてきたいまの、胸の内

高橋さん「この2年間、手話通訳士のみなさんにメンバーの一員のようにがっつり入ってもらいました。僕たちもいろんな知識がついたし、どんどん進化もしてきた。だからこそ考えるのが、ライブ中の手話パフォーマンスが、〈思い出野郎Aチーム〉の“特色”になってしまっているんじゃないかということです。インフラとして取り入れている手話通訳が、思い出野郎ならではのものとして聴者のお客さんたちが楽しむだけになっていないか、“搾取”になっていないか、ろう者の方に実際どう届いているか…そういった葛藤もあり、このあいだはろう者の方々にライブに来ていただき、アンケートに答えてもらってペン子さん「6名の方にお越しいただいたんです。『今後も楽しみにしています!』『続けてください!』『手話つきのライブは初めてだったがとても盛り上がった』『また参加したい』などのお声が集まりました。あと、ろう者の割合って1000人に1人程度と言われているんですけど、『ろう者が1人いたら、それは1000人のお客さんを集客できたことと同義だと考えてください』ってアンケートに書いてあって。インフラとしてどうだったか聞きたかったのに、やっぱりそれだけ、嬉しかった、楽しかったっていうのを伝えたかったんじゃないかと思うんです」

耳が聞こえないとなると、音楽のライブに行く選択肢はとても狭まる。ステージ上でどんな曲を演奏しているかもわからない。

高橋さん「僕たちがいま抱えている葛藤は、すぐに明確な答えが出るものではないと思います。でも今回のアンケートのように意見をもらいながら、経験を重ねて、学び続ける、そしてそこで自分たちなりに得たものをオープンにしていくことで、手話通訳が〈思い出野郎Aチーム〉“ならではのもの”じゃなく、ほかのミュージシャンがやろうと思ったときに少しでも参考になれば嬉しいですね」

しかしまだまだ、ライブ現場に手話通訳を導入するには課題が多い。第一に、手話通訳士の人数が少ないこと。音楽の通訳をするには高い技術深いミュージシャン&楽曲理解、舞台に立って表現することを厭わないパフォーマンス力、そして体力も欠かせない。

ペン子さん「この活動を続ける結果として、手話通訳士の人数が増えたり、手話や手話通訳者に対する価値観が変わっていったらいいなと思います。いつの間にか『手話はかっこいい!』という価値観が根付いていったら…。ライブって、そういった価値観を広めるいい機会ですし」「手話通訳士に対する価値観が変わっていったら」と語るペン子さん

第二に、会場のインフラ面。ライブハウスに、手話が見えやすいよう正面からバストアップでペン子さんたちを映せるモニターやカメラワークの設備が整っているかなどだ。そして費用の問題などもある。個人でできることは限りがあるので、国からもより充実したサポートが整うことを期待したい。

一方で、改めて気づきを得た部分もある。例えば、視覚障害のある方がライブハウスに行きやすいか。車椅子を使っている方はどうか。音楽業界全体で考えていくべき問題の大きさを実感する。

高橋さん「いままでなかなかライブハウスに足を運びづらかった人でも、気軽に遊びにこれるように少しでも環境を整えられたら良いなと思っています。お互いに名前も知らない様々な人たちが集まって音楽を共有する場所はやはり得難いものだし、ゆえに様々な問題や課題はあるけれど、根本的にはこの社会にひろがる分断と真逆の場所なんじゃないかなと思います」

それを目指しながら、まずは目の前の課題と向き合っていく。答えの出ない問いだからといって、「やっぱりできなかった」という結論にはしたくない。ステージに立つ人間の誠意を垣間見る発言があった。

高橋さん「僕たちは、毎回のライブを全部完璧にやるっていうのは難しくて。いつも、今日はいままでで1番いいライブになったらいいなと思って、会場に行ってできる限り出しきって演奏して、終わった後、うまくいった、失敗した、ああだった、こうだったっていう繰り返しです。手話チームと一緒にライブをやることや演奏以外の様々なこともそれと一緒っちゃ一緒なんです。その場に来た人にできるだけ満足してもらうために、毎回練習して。機会を与えてもらえるなら、ずっと試行錯誤を続けていくペン子さん「ベストを尽くして、トライアンドエラーを繰り返して。やり続けるってことは、多分ずっとそういうことなんだなと思います」続けていくことで道が開けると語るふたり

最後に、嬉しい話を伺った。

ペン子さん「堂本剛さんが、〈思い出野郎Aチーム〉での活動やこれまでの映像作品を観て連絡をくださったんです。ありがたいご縁をいただいて、手話通訳として.ENDRECHERI.のライブに呼んでいただきました。続けてきたおかげだなって。通訳業界でも『やってみたい』と声をかけてくれる人が増えて高橋さん「あー、すごい!それって、さっき話してた僕たちがやることで広がっていけばっていう第一歩。振り返ると、知識が浅いまま勢いで始めてしまった。でも、やれて本当によかった。改めて続けていきたい、いくべきことだと考えています」

取材にご協力してくださったお店

喫茶 ニカイ台東区谷中にある器屋さんkokonnの二階。純喫茶風のメニューが青い店内に映える。高橋さん、ペン子さんが取材中にいただいたのは、名物「ニカイのクリームソーダ」。他にも、「ニカイのフレンチトースト」、「ニカイのクリームソーダゼリー」など目にもおいしいドリンクやフードが大人気。取材で訪れた日も、平日にも関わらず、ひっきりなしに人が訪れていました! ちょっとレトロで青い世界が広がる〈喫茶 ニカイ〉、ぜひ足を運んでみてください。

住所:東京都台東区谷中6-3-8-2FTEL:03-5834-2922HP:https://kissanikai.com/

text_Hanako Fujita photo_Ryo Tsuchida藤田 華子 ハナコラボ パートナー/SDGsレポーター

〈株式会社ロッキング・オン〉に入社し、音楽専門誌の編集者として活動。現在は〈株式会社RIDEでコンテンツ〉を制作しながら、『暦生活』で季節にまつわるエッセイの連載や、ハナコラボパートナーとしてSDGs関連の取材を手がける。東京、那須、黒磯の3拠点生活中。@fj_hanana