4年前2013年の7月に、心不全で亡くなった31歳女性記者の過労死が話題になっています。

周囲でも、「亡くなった彼女、結婚する予定だったんでしょ……」「翌月から別の部署に異動が決まっていて、亡くなったのは送別会の翌日だったんだってね……」「ずっと忙しかったうえに、都議選と参議院選でさらに寝る時間がなかったんだって……」などと、働く独身アラサー&アラフォー同士、しめやかな会話が続いています。

「こんな忙しい時期もあと少し、一時的なものだから大丈夫」「これからは新しい人生が始まるんだから」という前向きな気持ちで、無理を押して頑張ってしまったのかもしれません。

そして、送別会で仲間と会って話したことで張り詰めた気持ちが少し緩んで、気力だけでもっていた体が悲鳴を上げてしまったのかもしれません。

そういう気持ちを、そして状況を、私たち働く女性はすごくすごく理解できます。それは彼女と似たような生活を送っているからです。

誕生日の翌日、おめでとうのメールを送った彼女のお父様は「ありがとう。忙しいしストレスは溜まるし、1日1回は仕事を辞めたいと思うけど、踏ん張りどころだね」というメールを受け取ったそうです。お父様への気遣いもあったのかもしれませんが、「ちょっとした愚痴」のようにも受け取れます。

私の周りにも、「もーやだ!やりたくない!寝たい〜!」と叫びながら仕事をしている子がたくさんいます。私はそれを聞いて、半ば笑いながら「はいはい、頑張れ」と流してしまいます。私もそう思うことが、この年になってもちょいちょいあるからです。

「やってられっか」と思いながら、叫びながら、でも、やるんです、結局。無理すればやれちゃうから。

私の場合は、「おやおや、ちょっとおかしいぞ?」から「いよいよまずくないか?」となって、念のため病院に行ってみたらうつ病の手前の「うつ傾向」と診断されたあとからは、やらないように「気を付ける」ようにはなりましたが、「危なかった」と思います。

先日は、テレビで朝ドラの主演をしていた20代の女優さんが、撮影ラスト1か月にスタッフの方から“もう少しだね、よく頑張ったね”というようなことを言われた瞬間に感情があふれ出して涙が止まらなくなって「もうやだ、辛い、やめたい、やりたくない、おうちに帰りたい」と泣きじゃくってしまったというエピソードを「今だから言える話」として語ってもいました。

それをテレビ番組で語れるという時点で、「大変だったんだねー」で括れる話になっちゃっているんですよね。

「こんなに精神を追い詰められる仕事があっていいわけない」という議論にはならないんです。

その根底には仕事も朝ドラの主役も楽なわけがない、「大変なのは当たり前」というベーシック認識があると言えます。そして、同時に、頑張ったね、えらいね、すごいね、という評価は、「そこまで頑張らないと得られないもの」としてインプットされてしまう。そのことが、働く女性をよけいに追い詰めているような気がします。それが、「働きすぎ」を生むのではないでしょうか。

真面目で優秀な人ほど陥る「頑張りスパイラル」

また、彼女は、連日続く「夜討ち朝駆け」でトイレにもいけず、膀胱炎になっていたそうです。

スクープの取り合いの記者の世界だけでなく、一般的にはキラキラ華やかなイメージが強いかもしれないファッション業界でも、似たようなことが起こります。

「撮影中、現場を離れることができず、生理用品をかえられなくて服を汚してしまった」という女性は何人も知っていますし、「撮影準備が立て込んで、ここ数日、移動時間しか寝る時間がとれてない」なんてことは珍しくもありません。

聞いているほうも、「あーそうなんだー、わかるー。大変なんだよねー」となり、「そういうときは成人用おむつが便利だよー」「あたしは家から最寄り駅までの道を目をつぶって歩けるようになったよー」と、「もっと効率よく頑張るにはどうしたらいいか」という話になってしまう。

忙しいことがデフォルトになってしまうと、「生命を維持するにあたり、このままではまずいんでないか」という基本的な発想ができなくなってしまうんです。そのことに気付けないんです。

しかし、こと最近は、ものすごく暑かったり急に寒くなったりと、寒暖差が激しいことも原因だと思うのですが、いつも「やたらと元気」という子たちもバタバタと倒れています。

精神も体力もギリギリ限界手前、という危ういところで働いているせいです。

本人が辛いのはもちろんですが、周囲もフォローでてんやわんやしています。すると、今度は「勝手に倒れやがって」という空気が流れるのです。

またそれが、「ギリギリ頑張っている」女性たちを追い詰める。「私は倒れるわけにはいかない」と。

確かに、ひとりが倒れたことで、想定外の負荷がかってしまった人が「もっと頑張らなくちゃダメなんだと勝手に思っているから悪いんじゃん」と腹立つ気持ちもわかります。

「できないんだから、身の程を知って、ちゃんと休めばいいじゃん」っていう意見も、彼女の同業者がお父様に告げたという「記者は個人事業主と同じで、自分で裁量を決められるのだから、こういうことにならないよう、やり方があったはず」という考えも、内容としてはまっとうです。

でも、「できない」と口にできない環境がどんどん作られていくのです。そして、「できない」かどうかが、自分ではわからない。優秀な人ほど、「できる」ことが多いからです。

「できない」の線引きが、倒れるかうつっぽくなるかでしか判断できない私たちはどうしたらいいんでしょうか。

「限界まで働かないといけないような気がする」「できない自分が許せない」。その2では独身アラサー&アラフォーに聞いた「私たちが倒れるまで頑張ってしまう理由」を紹介します。

「病院に行く時間なんてない。痛み止めを飲めばたいていのことは乗り切れるから平気です」と真顔で言う働く女性も少なくありません。