春・第11夜「狙う女」


母が、一族医者だらけの父の家に嫁いできたのは、まだ23歳の頃だったらしい。

CAになり、若さと美貌を活かして玉の輿に乗った母。父方の親族からの風当たりが強かったそうだ。

幸いにも父は次男だったので、長男に比べればまだ本家の介入は少なかったらしいが…。

もし父が長男だったら、結婚に反対されて、私たち兄弟は、この世に生まれていなかったのではないかと本気で思う。

名家の重圧を受けて、母は“自分の子どもは、絶対に医者にする”と意気込んだ。その甲斐あって、兄二人は、無事に医学部に進学した。

私はと言えば、中学受験で女子学院、高校受験で豊島岡女子学園に偏差値が足りないのにチャレンジして、案の定不合格になった。結局、スベリ止めだった私立の女子校に進学した。

母は、この段階で、私を医者にするのをキッパリあきらめたようだった。

「お兄ちゃん二人は、無事に医学部に入ったのに…沙耶は頭が私に似ちゃったのね。兄弟も従妹もみんな医者で裕福なのに、あなただけ、生活レベルも住む世界も違うなんてみじめよ。

でもね、この綺麗な顔があるから大丈夫。絶対にドクターと結婚できるわ。

そのためにはOLよりCAがいいわ。沙耶くらい可愛かったら大手エアラインのCAになるのは簡単。そうすれば毎週のように出会いがあるからね」

私は、勉強なんてちっとも好きじゃなかったし、美人でちやほやされて生きたほうが得だ、と気づき始めていたから、母の提案は渡りに船だった。

“女としての価値を上げて、医者の妻になる”、と15歳で心に誓った。

そして母は、そのための10年計画を、私に授けた。


母が娘に授けた、「医者妻になる方法」とは?


医者と出会う計画


「医者の妻になるには、ある程度学歴もないとだめ。結局いつだって医者みたいな人種は、伴侶には美人で賢くて、育ちもいい女を選ぶのよ」

そこそこ勉強はさせられてきたので、私は女子校から、現役で上智大学に難なく合格した。

食事会やサークルイベントで医大生とつながりをつくり、研修医になった兄の友人とも交流しながらメディカル人脈を着実に広げていく。

「勝負をかけるのは、自分の商品価値が最高に高まってから」という母のアドバイスに納得していたので、界隈の噂には十分に気をつけていた。

そして大学3年のとき、母が見つけてきたエアライン受験スクールに半年間通った。写真写りのコツ、独特な服装ルールと面接のマナーをひと通り習得したら、あとは微笑むだけ。

外資系と国内大手エアラインの両方に合格したが、「医者と結婚するなら、国内大手2社のどちらかにしなさい」という母の命に従った。

それに、自立が求められる外資系で海外をベースに飛ぶなどという勇気を、私は持ち合わせていなかった。

私の目標は、とにかく医者の妻。

絶対に医者の妻になって、医者の既得権益を一緒に享受し、生涯にわたってこの東京で恵まれた生活を送るのだ。




「沙耶ってさあ、なんでそんなに医者が好きなの?最近は、勤務医なんてサラリーマンの給与と変わんないとかいうじゃない?この前の投資ファンドの人たちのほうが稼ぐよ?」

CAになってからは、一緒にいることでブランド価値が上がる同期と食事会に出かけることが増えていた。

そのうちの一人、理名が、ある日とぼけた質問をしてきた。

「ほんとー。医者ってそんなにいいかな?なんか結構激務だし、意外に遊び慣れてない人が多くて、商社マンとかのほうが付き合ってて楽しい気がする」

同じく同期の三奈の言葉を、私は愛想笑いとともに、その言葉を跳ねのけた。

「それは医者のすごさを知らないからよ。うちみたいに右も左も医者だと、医者がどんなに恵まれてるかよくわかるの。この先なにが起きても、絶対に必要な国家資格よ。

人を助けて、感謝されて、お金も稼ぐ。開業医の場合、なんだかんだいって普通のサラリーマンとは比べものにならないし。さらにその妻ともなれば…。母の生活を見ていると、女としてこれ以上の幸せはないんじゃないかと思うわ」

私の熱弁に、理名と三奈はまだ納得できないのか、首をかしげている。

無理もない。

人は、自分がいかに恵まれているかなんて他人には話さないもの。可哀想に、医者がいかに恵まれ、素晴らしい仕事かということは、身内にしかわからないのだ。

でもそれでかまわない。周囲までも医者狙いばかりだと、それも都合が悪い。その価値は、私が知っていればよい話だ。

まもなく25歳。出産適齢期について知識がある医者は、意外に女性の年齢も気にする。

機は熟した。私は本気で「出会い」に行くことにした。

そしてある日、とうとう、運命の日が訪れる。それはあまりにも…予想とは違う形だったけれども。


その日、沙耶の目の前に現れたのは、まさかの…!?


ブーメラン


「富田 旬です。今日は、こんなに綺麗なお二人にお目にかかれて嬉しいです。ゴルフ、あまりうまくないんですけど…よろしくお願いします!」

そう言ってさわやかににっこりと笑った彼に、私は一目で好感を持った。

― か、かっこいい…!

今日は理名が、医者の友人に声をかけてくれて、男女2対2でゴルフに来ている。

私は、屈託なく自己紹介をする旬くんに、釘付けになった。真顔は冷たいくらいに整っていたけれど、数秒に1回くらい顔をくしゃくしゃにして笑うそのコントラストがたまらない。

しかも、ゴルフコースに出たことは数えるほどしかないと正直に口にして、アドバイスを周囲に仰いでいる。性格の素直さがにじみ出ていた。

私は、医者とその妻に必須のゴルフはずいぶん早くに習得していたから、ラウンド中さりげなく、旬くんに近づいた。

「ゴルフ、お上手ですね…!いいなあ、どのくらい練習するとそうなれるんですか?」

合間に屈託なくニコニコと話しかけてくれる旬くんに、私の胸は鷲掴みにされたように高鳴った。

「ち、父のアドバイスで、高校生くらいから練習していたので」

ガラにもなく口ごもると、その様子を見た理名の目がすうっと細められるのがわかった。

これは先手必勝だ。もう一人の男性は、どうして旬くんと組んでいるのかと思うほど魅力がなく、むしろ甲高い妙な笑い方でそれが気になって仕方ない。

「旬くんたちは、お医者さんなんですよね?医局が同じなんですか?」

理名の話では、超有名私大卒の研修医二人を連れてきてくれるということだった。私は、はやる気持ちを抑えられずに尋ねる。

すると、旬くんはまたしても甘い笑顔で、しかし申し訳なさそうに否定した。

「いやいや、僕は医者じゃありません。しがない商社マンです。医者なのは早乙女だよ。ほんとは彼の研修医友達を誘ったらしいんだけど昨日の夜、急に仕事が入って、暇な僕に白羽の矢が立ったんです」

「お、お医者さんじゃない、んですね…」

思わず固まる私に気づいたのだろう、旬くんはバツが悪そうに頭をかいた。

「ごめん、なんか…期待外れだったよね?」

― いえ!…旬くんならば、私…!

その時、口にしそうになった言葉に、一番驚いたのは、自分自身だった。

でもそれは、本心だった。医者かどうかなんて気にならないくらい、ドキドキしていた。初めての感覚だった。




しかし、そこでほんの少し早く、理名が極めて明るく私の言葉を遮った。

「そうなんです、沙耶は昔から、お医者さんにしか興味がなくて。絶対にお医者さんと結婚するんです。ね、沙耶?」

なんてことを言うのだ。私は二の句が継げずに、理名のほうを見たが、理名は一切悪びれず、むしろ「あっち、あっち」と目くばせをしてきた。

何も考えられず、首をそちらに動かすと、笑い方が気に入らないと思った男、早乙女徹が前のめりにこちらを見ている。

「沙耶、徹さんはね、内科のお医者様なの。ゴルフもお上手だし、ラウンド終わったら練習つけてもらったらどう?私たちはクラブハウスでゆっくりお食事してるから」

―― やられた…。

旬くんは、さすがにさっきの理名の言葉に引いてしまったのか、もう私のほうを見ようともしない。

代わりに、早乙女という男が近づいてきた。

「沙耶ちゃん、医者の仕事に興味があるの?僕でよかったら、いろいろお話できると思うよ」

私はその男をじっと見つめた。合間にあの甲高い笑い声が入るが、それを除けば…普通の男だ。

お医者さんであれば、ここで振ってしまうにはあまりにも惜しい。名門私立医大卒ということは、開業医の息子の可能性もある。

私はなんとか気分を奮い立たせ、にっこりとほほ笑んだ。



「いやーそれにしても、まさか早乙女が、ほんとにこんなきれいなCAさんを射止めるなんてなあ」

結婚式の余興のため、打合せに来た徹さんの友人の言葉を、私は当然のことのように聞いていた。

私は自力では医者になれず迷子になりかけていたが、これでようやく両親や兄と同じステージに戻ってこられたのだ。

その安心感と達成感を思えば、トキメキはなかったけれども、徹さんと結婚したことが正解だと噛みしめる。

「沙耶は、こう見えてすごく家庭的で、僕を立ててくれるんだよ」

友人にのろけるのも、まあ気持ちはわかる。実家にお金があり、何より医師免許があるからこそ、私のような女と結婚できたのだ。彼にしてみれば大金星のはず。

「ちょっと失礼しますね」

男子4人の、退屈な余興の打合せは、だらだらと長引いている。お手洗いに行くふりをして、ホテルのロビーをゆっくりと歩いた。

結婚式には、徹さんの医局の同僚、双方の医師の親戚、ざっと20人以上のドクターが参列する。

やったことはないが、麻雀で役満とはこんな感じだろうか。

その光景を想像すると、一気に血圧が上昇する。その会場の一番高いところで、私が一番美しくほほ笑むのだ。

ようやく花嫁らしい高揚した気分を取り戻し、打合せの部屋に戻ろうとすると、奥から徹くんたちの声が聞こえてくる。

「しっかしお前も執念深いよなあ。あのCA、成美ちゃんだっけ?振られてから、『俺は絶対に成美よりきれいなCAと結婚する』って言い続けて、有言実行だもんなあ」

「成美と同じ会社で、成美より若い女と結婚して、鼻を明かしてやるってきめたんだ、フフフフッ。ぴったりだろ?」

「そうだなあ、あの子に成美ちゃんほどの品はないけど、ま、お前にしては上出来だろうな」

…失望も、絶望も無用だ。

私が医者と結婚したかったように、彼も若いCAと結婚したかっただけ。

不意ににじんだ涙は、長年の目標を達成しつつある喜びの涙だと、自分にいいきかせて、ノックしてからゆっくりとドアを開けた。

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