12月17日(金)に全国公開された映画『偶然と想像』。人生を大きく、静かに揺り動かす「偶然」をテーマにした3つの物語が織りなされる本作は、ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞しました。

濱口竜介監督へのインタビュー後編では、本作の企画段階から「時間をかけること」をコンセプトに据えていたという点に着目。時短や効率化など、スピードアップすることが重視される時代において、あえて時間をかけることの価値についてうかがいました。

役者が本当に“そういう人”に見える

--『偶然と想像』は、キャスティングからリハーサル、撮影まで、時間をかけて作られたそうですね。前編でも、企画の段階で「基本的なコンセプトは時間をかけること」と決めていたとお話いただきました。最近の働き方としては、スピードアップすることに価値が置かれています。個人的にも時間をかけることに罪悪感を覚えやすいのですが、今回、時間をかけたことによってどのような効果がありましたか?

濱口竜介監督(以下、濱口):なかなか一足飛びに「こうしたからこうなりました」とは言えなくて……。時間をかけたことが何につながるかは、これからわかるのではないかと思っています。映画が公開され、社会から評価されて、初めて真価が見えてくるのではないでしょうか。ただ、肌感だけで語ると、リハーサルに時間をかけた結果として、役者とキャラクターとの親和性みたいなものはすごく上がった気がします。

「第二話:扉は開けたままで」より

--役者とキャラクターとの親和性とは、つまり?

濱口:結果として言えば、キャラクターを演じている役者さんが、本当に“そういう人”に見えるということです。それが起こるよう、リハーサルの時間を通じて、役者さんがテキスト(キャラクターの台詞)をそのまま受容した、ということが大きいんではないかと思います。テキストっていうのはいかようにも読み得る多義的なものです。それをいったん解釈を加えず、多義的なまま役者さんの身体に保存してもらう。で、それが実際どのような意味であるのかは、現場での相手役と演じ合うその瞬間にまさに決まります。

『偶然と想像』は、脚本だけ読むと、どの話も割とめちゃくちゃな展開なんですよね(笑)。それにもかかわらず、でき上がった映像を見ると、一定の説得力みたいなものが備わっているように感じています。それは、役者の皆さんが説得力のある演技をしてくれたからだと思いますし、そういうふうに演じることができたのは、やはり時間をかけたことが大きいのではないかと思っています。

--あらかじめキャラクターの型を作ってそこにはめ込むのではなく、時間をかけて形作っていったことで、キャラクターの人間性が立ち上がってきたということですね。とはいえ、すべての工程に時間をかけられるわけではなかったと思います。特に時間をかけて撮影したシーンはありますか?

濱口:『魔法(よりもっと不確か)』の事務所のシーンは、2日かけて撮りました。『扉は開けたままで』の研究室のシーンは、3日半かけましたね。本来は3日で終わる予定でしたが、もうちょっとだけ撮りたいと思って、役者さんのスケジュール的に翌日の午前が空いていたということで、撮影を追加させてもらえました。『もう一度』も、歩道橋のシーンに2日、家の中のシーンは3日かけて撮影しました。日本映画の現場にいなければ、これが通常の時間のかけ方とどう違うのか、なかなかわかりにくいかもしれません。通常、いま挙げたような1箇所のシーンは、1日で撮りきってしまうことのほうが多いんですよ。

「第三話:もう一度」より

違和感を流さないために時間を確保する

--『もう一度』の歩道橋のシーンなどは、長回しで一気に撮っているように見えたので、2日かけたということに驚いています。なぜ、そこに時間をかけたのでしょうか?

濱口:時間をかけたといっても、細切れに撮影したというわけではないんです。役者さんの動きは、現場ですべて決まります。リハーサルでは無感情な状態でホン読みをしてセリフを入れてもらい、その上でどういう動きや感情が立ち上がってくるかは、現場に委ねる。そのため、1日目の撮影は、あくまで結果的にですが「ゲネリハ」(編集部註:本番前に行われる総稽古)のような役割を果たすんです。毎回「1日目にすばらしいものが撮れたら終わらせる」という気持ちで臨みますが、もう1日やってみたら、もうちょっと伸びるかもしれないと感じることのほうが多い。だから、実際に動いてもらって、ある程度納得できる状態まで持っていき、一度寝かせるんです。

--寝かせることで、リフレッシュされるんですね。

濱口:そう。一度寝かせると、2日目や3日目には、動きも言葉もより洗練された形で役者に身体化されます。一方で、実際に「寝る」ことである種の新鮮さも回復されます。そうすると、それまでとは違うレベルの演技が出てくることが多くあるんです。だから今回、特に大事なシーンは、予備日も含めて必ず2日以上とるようにスケジューリングしていました。

--私も、原稿を一晩寝かせて翌日の朝に読み返し、「もっと良くなるかも?」と感じて手を入れることがよくあります。締切が迫っていて、そういう時間がとれないと「一応形にはなっているけど、なんか違う……」と違和感を抱きながら提出して、その結果、ムズムズと居心地の悪い思いをすることもありますね。

濱口:時間がないと、違和感の正体をつかめずに「なんかモヤモヤするけど、時間がないからこれで進めちゃおう」ということが往々にして起こりますよね。「言語化できないけれど、このまま進むとヤバそうだぞ」っていうセンサーは、誰もが持っていると思うんですよ。時間の制約によってそれを無視してしまうことで、違和感通りのことが起きたり、腹落ちしないまま終わってしまったりすることになる。仕事に従事している人たちが違和感を覚えたとき、「何かわからないけれど、ちょっとストップしたいです」と言えるようにしておくことは、クオリティーを保つ上でも大事なのではないでしょうか。

--本当にそうだと思います。途中でストップすることも見越して、時間を確保しておく必要がありますね。

濱口:僕らの仕事の場合、時間が確保されていれば、何度もリハーサルやリテイクができます。でも本来それって、映画制作やコンテンツ制作だけでなく、どんな仕事でも同じじゃないでしょうか。上手くいかなければ、その部分で立ち止まって修正する。そのために、ほんの少しだけ余白を用意しておくというか、「ここは時間をかけても大丈夫」というスペースを確保しておくだけで、クオリティーが変わってくる気がします。その仕事に関わる全員が「時間はかかるもの」といった認識を共有しているだけでも、余裕が生まれますよね。今回は、時間をかけるプロジェクトであることを最初に説明したので、キャストもスタッフも、それを認識して協力的に携わってくださり、とてもありがたかったです。

(取材・文:東谷好依、編集:安次富陽子)

■映画情報

『偶然と想像』
監督・脚本:濱口竜介 出演:古川琴音 中島歩 玄理 渋川清彦 森郁月 甲斐翔真 占部房子 河井青葉
12月17日(金)Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー!
©2021 NEOPA / fictive
配給:Incline