「女のくせに」を完全スルーするワンダーウーマン

さて今回も、前回に引き続き『ワンダーウーマン』。

ワンダーウーマンことダイアナは異次元空間にある、神話の国の美しく平和な(でもいざという時のためにバリバリ鍛えている)女子だけの島に住むお姫様です。何の拍子かその島に突如現れた第二次大戦下の英軍人スティーブ(イケメン)を通じて、彼が追う極悪ナチ将校の存在を知った彼女は、「そいつこそ幼い頃から聞いてきた"世界を破壊する戦争の神アレス"に違いない」と思い込み、「アレス」を倒すべく生れた自身の宿命に駆り立てられて、人間界の戦争へと飛び込んでゆく――とこんなお話です。

というわけで人間界にやってきた彼女、初めての場所で見るもの触るものすべてが新鮮で、「なぜ?なに?」だらけ。前回、この描写が往年のロマンティック・コメディ『ローマの休日』にそっくりだということを書きましたが、オードリー・ヘプバーンが演じたアン王女とダイアナが歴然と違うのは、彼女が女子だけの世界――女子が王で、女子が戦闘員で、女子が自己主張してすべてを決定し、男が一人もおらず、だからこそ「男に頼る」という発想すらない世界にいたことです。

傑作は、彼女の世話を焼くスティーブの秘書に「セクレタリーって何?」と聞いたときのこと。「命じられたことを何でもやるの」と答えた相手に、ダイアナは言います。「私の世界では、それはスレイバリー(奴隷)っていうけど」。

「なんで女だけが!?」と爆発して、意外と気が済んじゃう人

そんなわけで、人間界の常識なんて知らないダイアナは、女性が普通はしないこと、女性に許されないことを、思うままに実行。「そういうことはするもんじゃない」と言われば「なぜ?」と聞きかえし、「いいから言うとおりに」と言われれば「ふーん」と返しながら本質的にはスルー。空気を読む気全然ナシ。「これをやったらまずいかな?」という「事前読み」はもちろん、「周囲は私を変な目で見てるかも」という「事後読み」も全くナシ。

そして最も素晴らしいのは、その際に「女だから許されないなんて頭にくる!」とか「なんで私が悪く言われなきゃいけないの?」とか「白い目で見られるのが悲しい」みたいな感情的反応も一切せず、それでいて納得しないことには全然従わないところ。こういうのがほんと大事なんだよ……と思った私の頭の中に、かつて一世を風靡したあるヒロインが思い浮かんびました。『アナと雪の女王』のエルサです。

「私って、意外と、かなりデキるんじゃね?」と気づいた瞬間の、ワンダーウーマンことガル・ガドット

エルサはものすごい能力を持ちながら、それゆえに疎まれ、周囲に望まれる自分と本当の自分のギャップに悶々とし、ありのままの自分でいるために世界を捨て、そいう自分の悲劇をめちゃめちゃ実感しながら強がりまくってるお姫さまです。『アナ雪』が20〜30代の大人の女子の琴線に触れたのは、「エルサは私なのよぉぉぉ〜」という、その悲しみへの共感にほかなりません。

そうした『アナ雪』フィーバーのさ中、私は密かに思いました。「誰かに望まれる自分でいたい」女子だらけの日本に、「"ありのままの自分でいたい"と思ってる人って、そんなにいたんだ?」と。そしてもしかするとそういう女子たちって、この映画で「私だけじゃない」と共感して号泣して、それだけで意外とすっきりしちゃって、理不尽な明日を生きていく勇気をもらっちゃうんじゃないだろうか、と。状況は何ひとつ変わらない、変えないままで。

だからこそ、その3年後に登場したヒロイン、ダイアナの「空気の読まなさ」を、私はより一層称えたい。自分の思うように行動し、納得できなければ「なぜ?」と問う。周囲の反応をスルーしながらこれを何度も繰り返し、「ありのままの自分」を周囲に理解させる人だからです。だって欲しいのは、傷を舐めあう仲間じゃなく、自分が傷つけられることのない世界なんだから。

『ワンダーウーマン』

© 2017 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC

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