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今回の東日本大震災で被害を受け、この数日間も強い余震に見舞われている街、仙台。ここは、世界のファッション界において非常に知名度の高い都市でもある。その理由は、新しいクリエイティブなファッションを直感的に理解し、良いものは購入するという、日本にいくつかあるファッション感度の高い人々の拠点都市の一つであることだ。

なかでも、仙台のファッションを長年リードしてきた安藤俊夫社長のセレクトショップ「リヴォルーション」は伝説的な存在だ。88年にパリコレデビューしたマルタン・マルジェラが、まだ相当に異端視されて頃からバイイングを続け、長い間このブランドを世界一売り上げていた店であることは、ファッション業界内でよく知られた話である。

デザイナーの多くはデビュー後の5年間、持続力の強いデザイナーなら10年間、もっとも強力なスタイルを作り出す。マルタン・マルジェラが、その独特の美意識において何よりも強く輝くことができた90年代の当時からデザイナーを強く支え、現在あるブランドの礎を築いたのは、ファッション感度の高い日本人の、とりわけ仙台と周辺の人々の、マルジェラへの愛と購買力であった。

上写真:仙台のセレクトショップ「リヴォルーション」の店舗のひとつ、マルタンマルジェラ 仙台店が2階に位置するA1ビル
(尚、リヴォルーションは、巨大地震発生後の3月19日に店を開け、「まずは自分たちができることを」と、店舗に持ち込まれた衣料品を集め、避難所へ届けるサービスを行った。非被災地から支援物資が届く前段階の応急支援という位置づけの、迅速な行動。現在はWEB STOREも稼働している)


巨大地震のすぐ後に、ユニクロの柳井社長が多大な金額の寄付と、大量のヒートテックなどの製品を被災地に届けるという発表があったとき、そのニュースは私たちに大きな勇気と希望を与えた。それとともに、これだけの打撃を受けた被災地に対して、ファッション業界は何ができるのだろう、ということをより一層考えるようになった。最近になってラグジュアリー系メゾンの寄付も発表されているが、パリコレで名前を見るようなデザイナーズブランドはなかなか見かけない。

ファッションの世界は多様であり、さまざまなブランドが存在する。とりわけクリエイティブなファッションデザイナーに関しては、90年代、多くのデザイナーにとって日本人が一番の顧客だった。マルジェラのほかにもヘルムート・ラング、ヴィクター&ロルフ、ベルンハルト・ウィルヘルム、ブレス、etc.。いま、ファッション産業はどこも難しい時期にあることは自覚しているし、ブランドのいくつかは買収されている。とはいえ、デザイナーとしては、若い時期の自分のブランド存続を支えてきた日本のファッション愛好者たちが数多く住む地域が、無残な災害に見舞われたことへの反応が期待される。

たとえば、'97年にルイ・ヴィトンのアーティスティック・ディレクターとなったマーク・ジェイコブスは、それ以前にシグネチャーブランドでデザイナーとして最初に大きな契約を交わした相手が日本企業(Marc Jacobs、Marc By Marc Jacobsの代理店)であった事から親日家であり、「僕がデザイナーとして成功できたのは日本の消費者のおかげ」とコメントしている(Wikipediaからの引用)。
今回マーク・ジェイコブス&ロバート・ダフィー(マーク ジェイコブス インターナショナル社長)は、個人として義援金を寄付したという。日本からのインタビューに答えて、『何か我々にできることがあれば遠慮なく言って下さい。そして少しでも早く事態が終息に向かうことを願っています』(WWD JAPAN March 21, 2011 vol.1624より)と述べている。

他のデザイナーたちもおそらく、同じ気持ちでいるだろう。ただ目下のところ伝える術、為す術がないのかもしれない。世界に衝撃を与えたこの災害に対し、心が落ち着いたところで、皆の思いが、何らかの形をとって動き始めるといいのだが。

この度の震災で膨大な被害に遭われている地域の皆様へ、お悔やみと、お見舞いを申し上げます。一日も早い復興を、心よりお祈りいたしております。

文/林 央子

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