歌手として40年のキャリアをもつ長山洋子さん。2019年に初期の乳がんが見つかり、 全摘手術を受けた経験があります。ひとり娘は当時まだ9歳。不安との希望の間で揺れ動いた当時の経験についてお聞きしました。(全4回中の1回)

【写真】「まるで姉妹」14歳になる娘と映る長山洋子さんの近影 など(全21枚)

乳がんです」に「あ、そうなんですね」人ごとのように返すも

歌手活動40周年を迎えた長山さん

── 2019年に初期の乳がんが見つかり、手術をされました。当時の状況を教えていただけますか?

長山さん:人間ドッグは毎年受けていましたが、2019年の検査の際に「ちょっと気になるところがある」と言われ、もう1度検査をしたんです。でも、小さくてよくわからなくて。少しでも疑いがある状況は不安ですから、4か所くらい病院を回ったのですが、やっぱりきちんとした結果が出ない。「細胞組織をとって顕微鏡で見れば100%わかる」と聞き、検査を受けたところ、ようやくがんだと判明しました。それくらい本当にちっちゃいものだったようです。

── それまで体の不調は感じていらしたのでしょうか?

長山さん:いえ、まったく。しこりもなかったですし、元気に過ごしていて、自覚できるような症状はなかったんです。

細胞を採った後、すぐに結果を知りたくて電話をしたら、「乳がんでした」とさらっと言われました。「告知をされた瞬間、動揺して思考停止になってしまう」なんて話もよく聞きますが、意外と冷静に受け止めていて、「あ、そうなんですね」となぜか人ごとのように返事をしてしまって。それまで時間があれば1日中調べていたので、「もしかしたらそうなのかも」という覚悟ができていたんだと思います。がんだと聞いて、「私、死ぬのかな…」と一瞬思いましたが、初期だということだったので、「とにかく悪いものはすべて取ってしまおう」と切り替えました。

幼いわが子のため「乳房は全摘一択」

── 手術では、乳房の全摘を選択されました。迷いはありましたか?

長山さん:温存についても説明を受けましたが、幼い子どももいるので、命が最優先。私の場合、小さい粒のようながんが広い範囲に散らばっていたので、それが残ってしまうのもイヤですし、悪い部分はすべて取り除いてしまいたかったので、迷わず全摘を選びました。自分でもさんざん調べ、先生にもしつこいくらい質問をして。知識がないと、病と戦えないですから。もちろん先生もきちんと説明して選択肢を示してはくださるけれど、最終的に決めるのは、私自身なので、後悔のない選択をしたかったんです。

── 8月1日にがんが判明し、8月30日には手術を受けたとか。

長山さん:「早いですね」とよく言われますが、本当はもっと早く手術したかったくらい。その後は、3週間に1度の抗がん剤治療を4クール行いました。

── 当時、お子さんは9歳だったそうですね。病気のことはどんなふうに説明されたのでしょうか。

長山さん:娘には、私の口からは直接伝えませんでした。子どもだから、死に直結して考えてしまうかもしれないし、自分がそれくらいの年齢のころを考えると、説明されても理解が追いつかないだろうなと。不安にさせたくなかったので、「ママは病気をしたから入院をして手術してくるね」とだけ伝えましたが、あとから夫が娘に話してくれたみたいです。

仲のよさが伝わる家族ショット。今や娘さんは14歳

── 闘病中はどんなふうに過ごされていたのでしょうか。

長山さん:抗がん剤の影響で体はつらかったですが、常に最悪の状態を想定して、「それよりはマシかもしれない」と考えるようにしていました。胸がムカムカして吐きそうになっても、「実際に吐くまでには至っていないから、まだラクなほうなのかもしれない」とかいう感じで。小さな口内炎が2、3個できたときには、「ネット上の画像で見たもっとひどい口内炎と比べたら、まだマシ」と自分に言い聞かせていました。先生には、「何もしないと筋肉が落ちて体が弱ってしまうから、可能な範囲で動いたほうがいいですよ」と言われたので、できるだけ普通の生活を心がけていましたね。

ネカティブな気持ちはノートに書きまくった

── 闘病中はどうしても大きなストレスにさらされてしまいます。気持ちがつらくなったときには、どんなふうにメンタルを保たれていたのでしょう?

長山さん:闘病中は、どうしてもメンタルがネガティブに傾いてしまいます。そんなときは、つらい思いをノートに書き込んでいましたね。誰にも見せないストレス発散のためのノートだから、普段使わないような乱暴な言葉も感情のままにダーッと書いて。すると、不思議と気持ちがスッと落ち着いていくんです。私には、すごく効果がありましたね。

同じがん仲間の存在にも支えられました。がんを公表してから「実は私も…」と、明かしてくれた友人がたくさんいたんです。仲間と交流し、いろんな話を聞いたり、励まし合ったりしたことで、ずいぶん気持ちが落ち着きました。

定期的に検査を受けながら精力的に活動する長山さん

── 同じ思いを共有できる仲間の存在は心強いですね。

長山さん:そう思います。同じ乳がん患者でも、人によって症状も違えば、治療の選択も違っていて、考え方は十人十色だと知りました。

抗がん剤の治療をしながら、後半はレギュラー番組の収録に参加。10月には、コンサートの舞台に復帰しました。落ち着いてからステージに戻るという方法もあったと思いますが、治療でこもりきりだと、余計なことを考えてしまうので、無理のない範囲で歌わせてもらうほうが自分には合っていたようです。

PROFILE 長山洋子さん

ながやま・ようこ。1968年、東京都生まれ。1984年に「春はSA-RA SA-RA」でアイドル・ポップスシンガーとしてデビュー。86年にユーロビートの代表曲「ヴィーナス」をカバーし、大ヒット。88年、映画『恋子の毎日』に主演し、女優としても活躍。93年に25歳で演歌歌手に転身し、以後、演歌界で活躍。2009年にアメリカ人実業家と結婚し、翌年に長女を出産。

取材・文/西尾英子 写真提供/長山洋子