パートやアルバイトというような非正規雇用が増え続けている現代。いわゆるフリーターと呼ばれているアルバイトやパート以外に、女性に多いのが派遣社員という働き方。「派遣社員」とは、派遣会社が雇用主となり派遣先に就業に行く契約で、派遣先となる職種や業種もバラバラです。そのため、思ってもいないトラブルも起きがち。

自ら望んで正社員ではなく、非正規雇用を選んでいる場合もありますが、だいたいは正社員の職に就けなかったため仕方なくというケース。しかし、派遣社員のままずるずると30代、40代を迎えている女性も少なくありません。

出られるようで、出られない派遣スパイラル。派遣から正社員へとステップアップできずに、ずるずると職場を渡り歩いている「Tightrope walking(綱渡り)」ならぬ「Tightrope working」と言える派遣女子たち。「どうして正社員になれないのか」「なぜ派遣を選んでいるのか」を、彼女たちの証言から検証していこうと思います。

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今回は、都内で派遣社員として働いている平尾涼子さん(仮名・26歳)にお話を伺いました。

1年以上切っていないという伸ばしっぱなしのロングヘアを後ろにまとめ、大き目のバナナクリップで留めています。紺色の前ボタンのシャツに、白いサブリナパンツを合わせ、素足に紺地のスリッポンを履いていました。日焼けした地黒の肌に、マスカラと眉を描いただけのメイクですが、くっきりとした顔だち。「こっちだと目立つのですが、親戚も、みんな顔が濃いんです」。

現在はネットショッピング専門の化粧品メーカーで、コールセンターの入力オペレーターとして働いています。「夜間の時間帯だと、時給が上がるので主に深夜帯にシフトを入れるようにしています」という彼女。保育士の資格を取得するために借りた学費を、まだ支払っています。

涼子さんは鹿児島県大島郡で生まれ育ちました。父は地元の漁業組合に所属し、食品加工製造員として働いています。母も、内職や地元の食品販売などを家計を助けていました。4歳上の姉、4歳下の弟、6歳下の弟の4人姉弟のため、裕福ではない家庭に育ちました。子どもの頃から住んでいた一軒家は、子供部屋が一部屋しかなく狭苦しい中で生活をしていました。赤ちゃんだった弟のおむつ替えや、抱っこなどをしていたため、小さな子供のお世話には抵抗がなかったと言います。

「うちの地元はみんな子供が多いんです。同級生には13人兄弟の子もいました。4人姉弟もそんなに特別ではなかったので、上京して”4人姉弟”っていうと驚かれるのが不思議でしたね」

4つ年上の姉は昼間はバイトをしながら定時制高校に通っていましたが、涼子さんは全日制の高校に進学します。

「親は小学校も中学校も、義務教育だから進学するという考えでした。私も勉強が得意な方ではなかったので、高校はどうしようかと迷ったのですが、周りの先生からも”高校は出ておいた方が良い”と説得されて、商業科がある高校に進学しました」

就職先では、パート職員から仲間外れにされる過酷な日々

子どもの頃から、大学や専門学校に進学するのは無理だと感じて過ごしてきました。

「地元は島だったのですが、本当に勉強ができる子は、高校で地元から出て奄美市の高校に進学をして、大学受験の準備をしているんです。うちは親から“後ろが詰まってるから(下にまだ弟がいるから)”というふうに言われていたので、高卒で就職するのには抵抗はありませんでした」

涼子さんには、保育士になりたいという夢がありました。一度就職をしてから学費を貯めて、資格を取ろうと決めます。

「鹿児島市で就職をするか、福岡に出るか、大阪で就職するか。色々と迷ったのですが、鹿児島市に就職をすると、なにかあると実家に帰らなきゃならないって思ったんです。実家は、姉が21歳で結婚していて、姪っ子の面倒を頼まれたりもするし、いっそのこと東京で就職しようと決めました」

高校時代から、親に頼るのは悪いと感じ、荷物の仕分けのバイトなどをしてお小遣いは自分で稼いでいました。

「高校では、バレーボール部に所属していました。そんなに強くはなかったのですが、部活の顧問だった先生が、東京の大学を出ていて、その先生のツテで北関東に営業所がある配電工事を行なう会社に就職しました」

姉弟が多かったため、一人暮らしを始めた時に、初めて自分の部屋が持てたのが嬉しかったそう。

「それまで、修学旅行でしか東京に行ったことがなかったので、土地勘が全くなかったんです。就職準備の時に出た時に、自分が住むのが都内ではなくて、県だって気づいたくらい。職場の近くで家を借りたのですが、簡単に都内に出られるだろうと思っていたら、家から原宿まで1時間半以上かかりました」

しかし、希望に満ちて就職した職場は、女性の職員の間で派閥ができていました。

「職場には、異動で来た部長よりも古くからいるパート職員の女性が威張っていたんです。だれか社員が入ってくると、かならずその古いパート職員からのいじめや無視があって、それを耐えて残った人が続いている状況でした。最初にランチに誘われたのですが、パート職員がほかの社員の悪口をずっと言っていて気分が悪くなったので、そのあとはランチの誘いを断るようにしたら仲間外れにあいました」

ある時、パートの女性職員が作成した書類が見づらかったため、新たにパソコンで作成しなおしました。すると“あなたはここのルールを知らないの”と怒られます。それ以来、涼子さんは、パート職員の女性からいじめに遭います。

「部署では、回覧板をまわしてハンコを押すルールがあって、私だけ回覧板をまわすのを飛ばされたため、大事な防災訓練の日を知らされなかったり。コピー用紙など、備品の発注の権利がその女性が持っていたため、注文するときにはすべて稟議書を書くように言われ、“どうして必要なのか”、説明させられました。ボールペンなどの備品が入っている棚の鍵も彼女が管理していたので、私はすべて文房具は自分のものを使っていて、消耗品も自費で購入していました」

職場の人間関係はつらかったですが、学費を稼ぐために仕事を続けていました。

「辛かったのですが、家賃補助も出ていて、土曜出勤も隔週であったのでお金をあまり使わないで暮らせました。保育士の学校に通うためと思って我慢していました」

念願の保育士の学校に通うも、重くのしかかる学費ローン。保育士の仕事がつらくてコールセンター勤務に……。〜その2〜に続きます。

街中で、子どもたちを見ると姉や弟を思い出すのだとか。