【11/29〜12/5の運勢】12月1週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!
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今週のおひつじ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のおひつじ座は、大いなる開き直りへと突き抜けていこうとするような星回り。
「枯草の大孤独居士ここに居る」(永田耕衣)という句は、当時95歳だった作者が東日本大震災に遭遇したときの体験について、その翌年に詠んだ句。たまたま2階のトイレに入っていて、狭く堅牢な空間だったため、壁土やタイルに埋まってしまったものの、肉体的な損傷をまったく受けずに済み、たまたま隣人が瓦礫となった家にのぼり、トイレの窓から作者を救出したのだそう。
まさに九死に一生を得たわけですが、これは誰かの助けを呼んでいる句ではありません。「大孤独居士」とは、大いなる孤独の存在であるということであり、また自分はこの世に存在しない死者と同じだということでもあります。なにより、まだ死んでもいない自分のことをみずから戒名めかして呼ぶおかしみや諧謔(かいぎゃく)のうちに、そこにこそ人間本来の生きてある姿があるのだと、言外に主張しているのではないでしょうか。
そこには、家も家族もなにもかも失っても、それでも悲しみや孤独に耐えながら、明るさを忘れずに生きている、たくさんの老人の姿が重なっていくように思います。あなたもまた、そんな「大孤独居士」のひとりとして過ごしてみるといいでしょう。
今週のおうし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のおうし座は、みずからに投じられた種によって生じた変化に、思い当っていくような星回り。
茨木のり子の「居酒屋にて」という詩は、他者の発した言葉に反応して書かれたのであろう『人名詩集』という詩集のうちのひとつで、文字通り居酒屋にて、源さんという男がこんな風に言っていたのです。
「俺はもう誰に好かれようとも思わねえ/いまさらおなごにもてようなんざ/これんぽんちも思わねえど/俺には三人の記憶だけで十分だ!/三人の記憶だけで十分だよ!」「いくばくかの無償の愛をしかと受けとめられる人もあり/たくさんの人に愛されながらまだ不満顔のやつもおり/誰からも愛された記憶皆無で尚昂然と生きる者もある」
最初の一節は、源さんがまさにそうであったところを詠み、次の一節はその対極にある者について詠み、最後の一節は、おそらくよく知っているようで名前の浮かばない誰かについて想像しながら詠んだのでしょう。あなたも、自分はどの一節にあたるのか、またあたらないのか、ということを考えてみるといいでしょう。
今週のふたご座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のふたご座は、自分が大切にしていきたい様式美を再発見していくような星回り。
「何かある山門前に焚火して」(高浜虚子)で詠まれているのは、山門の前で焚火をしている情景。「何かある」とは、何か行事でもあるのだろうかという心持ちであり、出かけたついでに馴染みのある寺をのぞいてみた、といった場面なのかも知れません。実際、作者はこの句を鎌倉の長谷にほど近い、人里に隣した寺でつくったそうです。
冬、焚火、なじみの寺。それらが結びついたことで「何かある」という心のはずみが生まれたのであり、そこにはある種の型にのっとった様式美のような趣きさえ感じられます。
今の世の中では「全米が泣いた」とか「100万部の大ベストセラー」などの宣伝や、とにかく脳が反応せざるを得ないような強い感情フックをいかに仕掛け、人々を消費に走らせるか、というある意味で「負の様式美」とも呼べるようなものが横行していますが、本来は掲句のような様式を通して人間は人間らしさを培うことができるのではないでしょうか。あなたも、そうした些細で繊細な数学を身近な自然や人間関係のなかに見出していきたいところ。
今週のかに座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のかに座は、対する相手も、自分自身も、どちらも特別扱いしないようフラットに徹していくような星回り。
“ぜひ治そう”という気持ちはかえって視野狭窄を起こす、ということは精神科医やカウンセラーに限らず、かつては結核医にもよくあったそうです。それは大抵の場合、相手がやりがいのある患者で、時間をかけても惜しくないと思わせる魅力があり、治療する側が「自分が破滅しても患者が救われればいい」という思いに駆られてしまう。
精神医学者の中井久夫は、そうした投影に陥らないためには、医者なら「医者」、臨床心理士なら「臨床心理士」というように、役割的な自己規定を以って対するのが一番よく、そこから外れれば外れるほど、患者の幻想的な側面を肥大させ、治療を困難にしていくことになるのだと述べていました。
そして、できるだけ「しらふ」的な雰囲気を保って、生活の資を稼ぐための仕事としてやっているのだという裏表のない「しらふ」的な態度に徹して、場合によっては、波長を外すとか、とぼけるなどして、「甲斐なき努力の美しさ」みたいな誘惑的な道に入り込まないよう十分に注意しなければならないのだと。あなたもまた、さめたニュートラルさや距離感を大切にしていくべし。
今週のしし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のしし座は、深い寂寥を伴っていくような星回り。
「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」(久保田万太郎)で見つめられているのは、たぎってきた湯豆腐が灯にゆれる光。それは、作者のこころのなかで、みずからの命そのものの光と一体となっていたのでしょう。
当時作者は劇作家として華々しい成功を収めており、文化勲章も受賞していましたが、私生活ではさまざまな困難に遭遇しており、妻の自殺、長男の病死、それに再婚した妻とも不和となっていました。そんな中、おそらく作者の心を癒してくれたのは、再会後まもなく一緒に棲み始めた昔なじみの女性の存在だったのですが、精神的支柱だったその女性も脳溢血で急逝してしまいます。
掲句が作られたのは、その10日後ほどのことであり、「うすあかり」という結びに何かしら救いを求める心理や祈りのようなものが感じられるとしたら、それは作者の深い悲しみとも寂寥とも定かならぬ実感ゆえでしょう。そして作者もまた、同じ年のうちに赤貝をのどにつまらせて急逝しています。あなたもまた、願わくば作者のようにできるだけさらりと胸中を開示していきたいところ。
今週のおとめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のおとめ座は、予期せぬ出来事を受け入れていこうとするような星回り。
それはまるで、安部公房の『砂の女』の主人公のごとし。アマチュア昆虫採集家の仁木順平は、新種の昆虫を探しに海岸沿いの砂地へ出かけ、たえず形を変える砂丘によって外界から隔離された村に行き着く。そこには地表から15メートル掘り下げた穴の底の住居に住む人々がおり、彼らは家が埋もれてしまわないよう、毎日夜になるとバケツ何杯分もの砂を掻き出し、地上にいる村人にロープで引き上げてもらっていたのでした。
順平はそんな穴のひとつに誘いこまれ、その底にあった若い未亡人の家で、砂を掻き出す作業を手伝うことに。しかし、思いがけないことに、翌朝目を覚ますと、穴の外へ出るためのはしごが外されてしまっていたのです。それ以来、順平はなんとか外へ逃げ出そうと試みるものの、砂を運搬道具に入れ、地上の村人に引き上げてもらう作業を続け、合間に食事をしたり眠ったりするうちに、次第に新しい奇妙な生活を受け入れ始めている自分に気付きます。
あなたもまた、砂の壁に包囲されてしまった主人公のように、急な人生の変転があったとしても、そう悪くないものだと思い直してみるといいでしょう。
今週のてんびん座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のてんびん座は、ただただ感性的な吐息を漏らしていくような星回り。
沈黙が続くなか、言葉を発したものがあった。しかし、言葉を口にしたものは、人間ではなく、飼っている鳥であった。窓の外は見渡す限り、冬らしくひっそりとしていて、いつも以上に寂れているように感じられた。
「冬ざれやものを言ひしは籠の鳥」(高橋淡路女)は、人恋しさを確かめている句でしょう。「鳴きし」ではなく、あえて「言ひし」としているところからも、誰かと言葉を、それもできるだけ何気ない、ごく自然な会話を交わしたいという気持ちが溢れてかえっています。
作者は結婚の翌年に早くも夫と死に別れており、掲句においても、その夫の不在を改めて確かめているところがあったように思います。しかしそうした渇望こそが、飯田蛇笏が女流界一とも評した大正期を代表する俳人としての活動の原動力ともなっていったのではないでしょうか。あなたも、そうした言葉への渇望を痛感していくことになるかもしれません。
今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のさそり座は、いきいきとした生命力をみずからに吹き込んでいくような星回り。
ドリス・レッシングが1970年代に女性の自己発見について描いた『暮れなずむ女』では、キャリア・ウーマンになるより結婚を選んだケイトが、末の子供がついに家を出て独り立ちしたのをきっかけに、四十代半ばにして初めての仕事につこうとしていました。
それはミセス・ブラウンではなくケイト・フェレイラとしての人生への旅立ちを認めるパスポートのようなものであり、そこで彼女はみずからをスケールダウンさせて中流階級の主婦たちの一員に見えるように着込んでいた古い服を脱ぎ捨て、セクシーで洗練された服を買いました。しかし、ケイトはすぐにそれに飽きてしまうのです。
彼女は職場で評価されていましたが、どうしてもみんなの母親的役割についてしまっていることに気付き、その発見によって彼女は落ち込み、神経衰弱になってしまいます。しかしこの精神的混乱のなかで、彼女はついに未来は昨日の続きではなく、おてんばで、怖いもの知らずで、貪欲で、もちろんセクシーでもあった少女のころに中断してしまったところから、再び始まるのだという真理をやっと悟ることができたのでした。あなたも、花の開花に遅すぎるということはないのだと思い直していくべし。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のいて座は、ふと我に返っていくような星回り。
さて、いよいよ12月です。あれもしなければ、これもしておかなければと、諸事雑務に追われ、自分を見失いがちになる月。「盛り上がり珠となる血や十二月」(渡辺鮎太)はそんな12月の慌ただしい空気感のなかで、ふいに我に返った瞬間をとらえた句と言えます。
忙しく動いている最中に、うかつにも何か鋭いもので手の指を突いてしまったのでしょう。「あっ」と意識を向けると、みるみるうちに血が「盛り上が」ってきたのを見て、それが「珠」のように美しいと感じたとき、作者はかまけていた目の前の雑事の一切を忘れて、自分には現に生きている生身の身体があることを思い出したのです。
大きな12月に、小さな血の珠を対比させつつ、それを起点に空気に飲まれていた自分に気づいて、いつもの自分に戻ることができた。それはまさに作者の感性とたまたまの偶然が重なった僥倖でしょう。あなたも、たまたまや偶然のきっかけを見逃すことなく、ほんらいの自分を取り戻していきたいところ。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のやぎ座は、弱くていいじゃんと、自分をやさしく諭していくような星回り。
人を蹴落とせば孤独になる。そんな簡単なことも、実際に経験してみないとなかなか分からないものです。特に若いころは、とっとと何か目立った業績をあげたり、いつも何かに怒ってみせたりすることで、自分の価値があがったような気になり、それで中途半端に成功してしまったりすると、かえって後に引けなくなって、あっという間に中年になっていたりする。
でも思うように成功が続かず、活躍する場がなくなったり、仕事そのものが来なくなったりして、狼狽したり絶望したりしていると、ある日ふいに人間エキセントリックである必要も、どこにもない個性を光らせている必要も本当はないんだ、と気付くわけです。
弱い自分というのもいいのではないかと。国でも人でも、強い者というのは結局まわりに迷惑をかけますから。競争社会では、みな他人のことなど構わなくなり、弱い者から切り捨てられがちですが、弱いからこそ、誰かのことを真剣に思うことができるし、孤独から逃れられ、気持ちも豊かになるのかも知れません。あなたもまた、強さの呪縛から自分を改めて解き放っていきたいところ。
今週のみずがめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のみずがめ座は、いつも以上に熱い血がその脈管の中を波打っていくような星回り。
それはまるで、「世を恋ふて人を怖るる夜寒哉」(村上鬼城)という句のよう。耳の聞こえない聾者である作者が世間の人を「怖るる」のは、世間の人がみな聾ではないから。もし世間の人がみな聾であったなら、作者は大手を振って、誰にも遠慮することなく、馬鹿にされることもなく、大道を闊歩していたはずです。
しかし、現実には世間の人はたいていはよく聞こえる耳を持っており、そのため耳の遠い聾者や目の見えない盲者を下に見たり圧迫したりする獣性が備わっていて、作者はあたかも爪とか牙を持っている猛獣を怖れるのと同じ心持ちを抱いている。それで何かにつけて人の集まりに顔を出さずにいると、世間からはすぐに奇人変人の烙印を押されてしまう。
けれど、作者にはそうして世間の人を怖れる一方で、世間を恋慕う心持も普通の人間以上に持っているのであって、この熱情こそが時に自己に対する滑稽となり、また他の弱きものや劣っているもの、無視されているものへの溢れるような同情の原動力となっていったように思われるのです。あなたも、作者のように少なからず相矛盾した思いのなかで自分なりの繋がり方を模索していくことでしょう。
今週のうお座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のうお座は、自分は猿と作者のどちらの立場に立っているのか考えてみるべし。
「岨(そば)行(ゆ)けば猿に打たれる木実哉」(巌谷小波)の「岨(そば)」とは、山の切り立った斜面のこと。その歩きにくい場所をいくと、猿がいてなにやら威嚇してくる。それでもすすむのをやめないで猿に近づくと、猿が何かものを投げてきた。それが体にあたったので見てみると、木の実であった。
どこか童話や昔話のようなテイストの句ですが、木の実は猿が厳しい冬を越すために必死でかき集めてきた貴重な食料源であり、それだけ必死の威嚇行為だったはず。しかし、それでも作者が引き返すことはなかったのではないか。やはりどこか物語や夢のワンシーンのように、起こった出来事に反応はすれど、それを受け入れるのが当たり前のような雰囲気が掲句の底に流れているように感じます。
猿に共感はできなくても、その行為を受け止めていくことはできる。これは、人間同士においても話はそうは変わらないように思います。あなたもまた、いかに自分とはまったく異質な他者と共感ベースではない仕方で付き合っていくことができるかが問われていくはず。
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今週のおひつじ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
いけいけどんどん
今週のおひつじ座は、大いなる開き直りへと突き抜けていこうとするような星回り。
「枯草の大孤独居士ここに居る」(永田耕衣)という句は、当時95歳だった作者が東日本大震災に遭遇したときの体験について、その翌年に詠んだ句。たまたま2階のトイレに入っていて、狭く堅牢な空間だったため、壁土やタイルに埋まってしまったものの、肉体的な損傷をまったく受けずに済み、たまたま隣人が瓦礫となった家にのぼり、トイレの窓から作者を救出したのだそう。
そこには、家も家族もなにもかも失っても、それでも悲しみや孤独に耐えながら、明るさを忘れずに生きている、たくさんの老人の姿が重なっていくように思います。あなたもまた、そんな「大孤独居士」のひとりとして過ごしてみるといいでしょう。
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今週のおうし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
キャッチボール
今週のおうし座は、みずからに投じられた種によって生じた変化に、思い当っていくような星回り。
茨木のり子の「居酒屋にて」という詩は、他者の発した言葉に反応して書かれたのであろう『人名詩集』という詩集のうちのひとつで、文字通り居酒屋にて、源さんという男がこんな風に言っていたのです。
「俺はもう誰に好かれようとも思わねえ/いまさらおなごにもてようなんざ/これんぽんちも思わねえど/俺には三人の記憶だけで十分だ!/三人の記憶だけで十分だよ!」「いくばくかの無償の愛をしかと受けとめられる人もあり/たくさんの人に愛されながらまだ不満顔のやつもおり/誰からも愛された記憶皆無で尚昂然と生きる者もある」
最初の一節は、源さんがまさにそうであったところを詠み、次の一節はその対極にある者について詠み、最後の一節は、おそらくよく知っているようで名前の浮かばない誰かについて想像しながら詠んだのでしょう。あなたも、自分はどの一節にあたるのか、またあたらないのか、ということを考えてみるといいでしょう。
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今週のふたご座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
ささやかな聖地
今週のふたご座は、自分が大切にしていきたい様式美を再発見していくような星回り。
「何かある山門前に焚火して」(高浜虚子)で詠まれているのは、山門の前で焚火をしている情景。「何かある」とは、何か行事でもあるのだろうかという心持ちであり、出かけたついでに馴染みのある寺をのぞいてみた、といった場面なのかも知れません。実際、作者はこの句を鎌倉の長谷にほど近い、人里に隣した寺でつくったそうです。
冬、焚火、なじみの寺。それらが結びついたことで「何かある」という心のはずみが生まれたのであり、そこにはある種の型にのっとった様式美のような趣きさえ感じられます。
今の世の中では「全米が泣いた」とか「100万部の大ベストセラー」などの宣伝や、とにかく脳が反応せざるを得ないような強い感情フックをいかに仕掛け、人々を消費に走らせるか、というある意味で「負の様式美」とも呼べるようなものが横行していますが、本来は掲句のような様式を通して人間は人間らしさを培うことができるのではないでしょうか。あなたも、そうした些細で繊細な数学を身近な自然や人間関係のなかに見出していきたいところ。
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今週のかに座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
場所的個ということ
今週のかに座は、対する相手も、自分自身も、どちらも特別扱いしないようフラットに徹していくような星回り。
“ぜひ治そう”という気持ちはかえって視野狭窄を起こす、ということは精神科医やカウンセラーに限らず、かつては結核医にもよくあったそうです。それは大抵の場合、相手がやりがいのある患者で、時間をかけても惜しくないと思わせる魅力があり、治療する側が「自分が破滅しても患者が救われればいい」という思いに駆られてしまう。
精神医学者の中井久夫は、そうした投影に陥らないためには、医者なら「医者」、臨床心理士なら「臨床心理士」というように、役割的な自己規定を以って対するのが一番よく、そこから外れれば外れるほど、患者の幻想的な側面を肥大させ、治療を困難にしていくことになるのだと述べていました。
そして、できるだけ「しらふ」的な雰囲気を保って、生活の資を稼ぐための仕事としてやっているのだという裏表のない「しらふ」的な態度に徹して、場合によっては、波長を外すとか、とぼけるなどして、「甲斐なき努力の美しさ」みたいな誘惑的な道に入り込まないよう十分に注意しなければならないのだと。あなたもまた、さめたニュートラルさや距離感を大切にしていくべし。
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今週のしし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
ひびき
今週のしし座は、深い寂寥を伴っていくような星回り。
「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」(久保田万太郎)で見つめられているのは、たぎってきた湯豆腐が灯にゆれる光。それは、作者のこころのなかで、みずからの命そのものの光と一体となっていたのでしょう。
当時作者は劇作家として華々しい成功を収めており、文化勲章も受賞していましたが、私生活ではさまざまな困難に遭遇しており、妻の自殺、長男の病死、それに再婚した妻とも不和となっていました。そんな中、おそらく作者の心を癒してくれたのは、再会後まもなく一緒に棲み始めた昔なじみの女性の存在だったのですが、精神的支柱だったその女性も脳溢血で急逝してしまいます。
掲句が作られたのは、その10日後ほどのことであり、「うすあかり」という結びに何かしら救いを求める心理や祈りのようなものが感じられるとしたら、それは作者の深い悲しみとも寂寥とも定かならぬ実感ゆえでしょう。そして作者もまた、同じ年のうちに赤貝をのどにつまらせて急逝しています。あなたもまた、願わくば作者のようにできるだけさらりと胸中を開示していきたいところ。
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今週のおとめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
ウッホ、ウッホッホ
今週のおとめ座は、予期せぬ出来事を受け入れていこうとするような星回り。
それはまるで、安部公房の『砂の女』の主人公のごとし。アマチュア昆虫採集家の仁木順平は、新種の昆虫を探しに海岸沿いの砂地へ出かけ、たえず形を変える砂丘によって外界から隔離された村に行き着く。そこには地表から15メートル掘り下げた穴の底の住居に住む人々がおり、彼らは家が埋もれてしまわないよう、毎日夜になるとバケツ何杯分もの砂を掻き出し、地上にいる村人にロープで引き上げてもらっていたのでした。
順平はそんな穴のひとつに誘いこまれ、その底にあった若い未亡人の家で、砂を掻き出す作業を手伝うことに。しかし、思いがけないことに、翌朝目を覚ますと、穴の外へ出るためのはしごが外されてしまっていたのです。それ以来、順平はなんとか外へ逃げ出そうと試みるものの、砂を運搬道具に入れ、地上の村人に引き上げてもらう作業を続け、合間に食事をしたり眠ったりするうちに、次第に新しい奇妙な生活を受け入れ始めている自分に気付きます。
あなたもまた、砂の壁に包囲されてしまった主人公のように、急な人生の変転があったとしても、そう悪くないものだと思い直してみるといいでしょう。
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今週のてんびん座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
透明な不在
今週のてんびん座は、ただただ感性的な吐息を漏らしていくような星回り。
沈黙が続くなか、言葉を発したものがあった。しかし、言葉を口にしたものは、人間ではなく、飼っている鳥であった。窓の外は見渡す限り、冬らしくひっそりとしていて、いつも以上に寂れているように感じられた。
「冬ざれやものを言ひしは籠の鳥」(高橋淡路女)は、人恋しさを確かめている句でしょう。「鳴きし」ではなく、あえて「言ひし」としているところからも、誰かと言葉を、それもできるだけ何気ない、ごく自然な会話を交わしたいという気持ちが溢れてかえっています。
作者は結婚の翌年に早くも夫と死に別れており、掲句においても、その夫の不在を改めて確かめているところがあったように思います。しかしそうした渇望こそが、飯田蛇笏が女流界一とも評した大正期を代表する俳人としての活動の原動力ともなっていったのではないでしょうか。あなたも、そうした言葉への渇望を痛感していくことになるかもしれません。
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今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
自分への帰り道
今週のさそり座は、いきいきとした生命力をみずからに吹き込んでいくような星回り。
ドリス・レッシングが1970年代に女性の自己発見について描いた『暮れなずむ女』では、キャリア・ウーマンになるより結婚を選んだケイトが、末の子供がついに家を出て独り立ちしたのをきっかけに、四十代半ばにして初めての仕事につこうとしていました。
それはミセス・ブラウンではなくケイト・フェレイラとしての人生への旅立ちを認めるパスポートのようなものであり、そこで彼女はみずからをスケールダウンさせて中流階級の主婦たちの一員に見えるように着込んでいた古い服を脱ぎ捨て、セクシーで洗練された服を買いました。しかし、ケイトはすぐにそれに飽きてしまうのです。
彼女は職場で評価されていましたが、どうしてもみんなの母親的役割についてしまっていることに気付き、その発見によって彼女は落ち込み、神経衰弱になってしまいます。しかしこの精神的混乱のなかで、彼女はついに未来は昨日の続きではなく、おてんばで、怖いもの知らずで、貪欲で、もちろんセクシーでもあった少女のころに中断してしまったところから、再び始まるのだという真理をやっと悟ることができたのでした。あなたも、花の開花に遅すぎるということはないのだと思い直していくべし。
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今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
DNAのスイッチON
今週のいて座は、ふと我に返っていくような星回り。
さて、いよいよ12月です。あれもしなければ、これもしておかなければと、諸事雑務に追われ、自分を見失いがちになる月。「盛り上がり珠となる血や十二月」(渡辺鮎太)はそんな12月の慌ただしい空気感のなかで、ふいに我に返った瞬間をとらえた句と言えます。
忙しく動いている最中に、うかつにも何か鋭いもので手の指を突いてしまったのでしょう。「あっ」と意識を向けると、みるみるうちに血が「盛り上が」ってきたのを見て、それが「珠」のように美しいと感じたとき、作者はかまけていた目の前の雑事の一切を忘れて、自分には現に生きている生身の身体があることを思い出したのです。
大きな12月に、小さな血の珠を対比させつつ、それを起点に空気に飲まれていた自分に気づいて、いつもの自分に戻ることができた。それはまさに作者の感性とたまたまの偶然が重なった僥倖でしょう。あなたも、たまたまや偶然のきっかけを見逃すことなく、ほんらいの自分を取り戻していきたいところ。
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今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
強さの呪縛
今週のやぎ座は、弱くていいじゃんと、自分をやさしく諭していくような星回り。
人を蹴落とせば孤独になる。そんな簡単なことも、実際に経験してみないとなかなか分からないものです。特に若いころは、とっとと何か目立った業績をあげたり、いつも何かに怒ってみせたりすることで、自分の価値があがったような気になり、それで中途半端に成功してしまったりすると、かえって後に引けなくなって、あっという間に中年になっていたりする。
でも思うように成功が続かず、活躍する場がなくなったり、仕事そのものが来なくなったりして、狼狽したり絶望したりしていると、ある日ふいに人間エキセントリックである必要も、どこにもない個性を光らせている必要も本当はないんだ、と気付くわけです。
弱い自分というのもいいのではないかと。国でも人でも、強い者というのは結局まわりに迷惑をかけますから。競争社会では、みな他人のことなど構わなくなり、弱い者から切り捨てられがちですが、弱いからこそ、誰かのことを真剣に思うことができるし、孤独から逃れられ、気持ちも豊かになるのかも知れません。あなたもまた、強さの呪縛から自分を改めて解き放っていきたいところ。
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今週のみずがめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
血がたぎる
今週のみずがめ座は、いつも以上に熱い血がその脈管の中を波打っていくような星回り。
それはまるで、「世を恋ふて人を怖るる夜寒哉」(村上鬼城)という句のよう。耳の聞こえない聾者である作者が世間の人を「怖るる」のは、世間の人がみな聾ではないから。もし世間の人がみな聾であったなら、作者は大手を振って、誰にも遠慮することなく、馬鹿にされることもなく、大道を闊歩していたはずです。
しかし、現実には世間の人はたいていはよく聞こえる耳を持っており、そのため耳の遠い聾者や目の見えない盲者を下に見たり圧迫したりする獣性が備わっていて、作者はあたかも爪とか牙を持っている猛獣を怖れるのと同じ心持ちを抱いている。それで何かにつけて人の集まりに顔を出さずにいると、世間からはすぐに奇人変人の烙印を押されてしまう。
けれど、作者にはそうして世間の人を怖れる一方で、世間を恋慕う心持も普通の人間以上に持っているのであって、この熱情こそが時に自己に対する滑稽となり、また他の弱きものや劣っているもの、無視されているものへの溢れるような同情の原動力となっていったように思われるのです。あなたも、作者のように少なからず相矛盾した思いのなかで自分なりの繋がり方を模索していくことでしょう。
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今週のうお座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
固い<わたし>がほどけゆく
今週のうお座は、自分は猿と作者のどちらの立場に立っているのか考えてみるべし。
「岨(そば)行(ゆ)けば猿に打たれる木実哉」(巌谷小波)の「岨(そば)」とは、山の切り立った斜面のこと。その歩きにくい場所をいくと、猿がいてなにやら威嚇してくる。それでもすすむのをやめないで猿に近づくと、猿が何かものを投げてきた。それが体にあたったので見てみると、木の実であった。
どこか童話や昔話のようなテイストの句ですが、木の実は猿が厳しい冬を越すために必死でかき集めてきた貴重な食料源であり、それだけ必死の威嚇行為だったはず。しかし、それでも作者が引き返すことはなかったのではないか。やはりどこか物語や夢のワンシーンのように、起こった出来事に反応はすれど、それを受け入れるのが当たり前のような雰囲気が掲句の底に流れているように感じます。
猿に共感はできなくても、その行為を受け止めていくことはできる。これは、人間同士においても話はそうは変わらないように思います。あなたもまた、いかに自分とはまったく異質な他者と共感ベースではない仕方で付き合っていくことができるかが問われていくはず。
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