【11/15〜11/21の運勢】11月3週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!
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今週のおひつじ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のおひつじ座は、みずからの境遇の根底にあるものを、しみじみ感じていくような星回り。
「柿売つて何買ふ尼の身そら哉」(村上鬼城)で詠われているのは、尼寺の軒のはしで尼が柿を商売人に売っているといった情景。尼はそうして得たわずかばかりのお金でいったい何を買おうというのか。なにぶん墨染の衣をまとって、粗末なものを食べ、貧しい田舎の尼寺に引っ込んでしまっている身ですから、多少のお金を得たからといって何をどう楽しもうということもできないではないかと。
ただ「身そら」とありますから、作者はそれをバカにしたり、なじったりしている訳では決してなくて、そういう境遇にいる世捨て人としてのひとりの女性に何とも言えない憐れみを感じたのでしょう。
作者は耳が聞こえず、人並みに働くことも一苦労な上に、家族も多く長らく困窮した生活を送ったためか、貧しいもの、弱きもの、老いや病いを抱えたものに対する熱情はひとかなたならぬものがありました。この句でも、尼の境遇に自身のそれを少なからず重ねていたはず。あなたも、自分の「身そら」からにじみ出す個性や人間性がどんなものであるかという実感を深めていくことになりそうです。
今週のおうし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のおうし座は、境界のところで立ち止まって、なにか語りえないものに触れていこうとするような星回り。
それはまるで、ヘルダーリンの「功績は多い。だが人は詩人としてこの世に住んでいる」という詩のよう。世の中の人はみな功績によって生きている。企業経営者であれ、絵描きであれ、肉屋であれ、みな生きている以上、この世に功績を残すことをやっているし、その意味でこの世は功績でいっぱいです。
けれど、人はこの世で詩人として住んでいる。つまり、実用性や有効性の次元と違う生の次元に触れているじゃないかと、ヘルダーリンは歌っているのです。生活と生存のための社会的地平は水平ですが、ヘルダーリンが言っているような詩的感性はそこに垂直に立ち上がってくるものであり、仏教ではそういう垂直的地平を他力と呼びます。
それは人間が自分の力で支配できない次元、人間に対して贈られている次元であり、詩や詩的なものはそういう次元に人間を連れていってくれる。そうすると、菩薩も単に神々しい存在というだけでなく、仏に向かおうとする人間の根源的な在り方の問題ということにもなってくる。あなたも、そういう垂直的な次元に触れているところで、ひとりの菩薩と化していくことがテーマとなっていきそうです。
今週のふたご座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のふたご座は、何度でも味わい直すべき“感じ”を、ふいに取り戻していくような星回り。
「涅槃像尼に抱かれて拝みけり」(村上蛃魚)という句は、子供の時の記憶をふと思い出したのでしょう。まだ幼い自分に行ったお寺には尼がいて、その尼が自分を抱き上げてくれて、壁一面にかかっているような涅槃像を拝ましてくれたというのです。じつに素朴な句ではあるのですが、きっとそれを追懐した作者のこころには、なにかあたたかいものが広がったのではないでしょうか。
作者が掲句で詠んだ記憶をどういう状況で思い出したのかは分かりません。しかし、人には折に触れて思い出してはそこから力をもらったり、救われたりするような記憶がひとつふたつあるものです。
あたかも大きな山を仰ぎみたような、そしてそうした存在がふと振り返ったときに、後ろについてきているような、そんな“感じ”を作者は気取った風でもなく、ひねくれたところもなく、ただ素直に出しているように思います。あなたもまた、そうした微妙な調整を通して、素直な心持ちに戻っていくことでしょう。
今週のかに座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のかに座は、コントなんだから、特別な意味なんかなくてもいいじゃないか、とうそぶいていくような星回り。
稲垣足穂の処女作にして代表作である『一千一秒物語』は、四辻を横切った影がふいに消えたとか、誰もいないはずの部屋にシガーの香りが微かに残っていたとか、よく見ると月が金貨だったとか、そういうちょっとした微妙な出来事や気配のみを描いた数行の短い文章を集めた作品なのですが、それを「オブジェクティブ・コント」と呼んだ人がいました。
オブジェクティブの反対語はサブジェクティブ(主観的)で、そういう個人的な感情が一切入っていない、というより個人的であることができない領域では、すべてがある種の「コント(寸劇)」になるという訳です。私たちは大げさな出来事のなかで、なにか人生に意味が与えられると考えがちですが、あんまりそうして意味を追い求めすぎると、人生というのはだんだん窮屈になっていきますし、人間もどこか不機嫌になっていくのではないでしょうか。
その点、「オブジェクティブ・コント」は人間を意味から解放し、どうしたって近くに寄り過ぎた目のやりどころを、すこし遠くへと戻してくれるのだとも言えるかも。あなたも、ひとつ寸劇をこしらえていくつもりで過ごしてみるといいでしょう。
今週のしし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のしし座は、精神がシーンと静まり返っていくような星回り。
「しみじみと日を吸ふ柿の静かかな」(前田普羅)では、雨にも風にも動かされない、よく晴れ渡った日のしたで、梢の先の柿が赤い色をして静かに丸い形を見せている。太陽は偏ることなく万物を照らしているが、その中でもこの梢の赤い柿は飽くことを知らないかのように、しみじみとその日の吸い取っているというのです。
当然この柿は、はじめは青かったものが日を経るにしたがって赤くなってきた訳ですが、静かな小春日和に柿が落ち着いて日光を吸い取っているように感ぜられたのは、おそくらその柿に対した時の作者の心それ自身が落ち着いて深くそのおもむきに吸引されたからでしょう。
つまり、柿がしみじみと日を吸うというのは、とりも直さず作者がしみじみと柿をながめているということであり、掲句ではほとんど作者が柿になってしまっているほどに深く立ち入っているのだと言えます。あなたもまた、そんな作者のごとくいったん自分を空っぽにしてみるといいでしょう。
今週のおとめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のおとめ座は、「延長の自由」を謳歌していこうとするような星回り。
新宿御苑をぶらぶらと歩いてみると、葉を茂らせている樹木というのは、ただ目の前に見えているこんもりとした輪郭にとどまっている訳ではなく、目に見える以上にたいそう巨大な空間をあたりに占めていて、そこでエネルギーを発揮しているということが分かってきます。
同様に、私たち人間もまた皮膚の内側に閉じられた存在として考えない方がいいでしょう。体表はたんに目に見える輪郭に過ぎず、私たちの体にひそむエネルギーはいつもどこかにはみ出しており、その意味で幼児が自分の体がどこにもでも移動できるという幻想はむしろ幻想ではなく、むしろ「延長の自由」というリアルなのだと言えるかもしれません。
富永太郎はそのことを「私は透明な秋の薄暮の中に墜ちる」と表現していましたが、あなたもまた、いつも以上に自分自身を閉じた系としてではなく、開いた系として実感していきやすいはず。
今週のてんびん座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のてんびん座は、だんだん原点にかえっていくような星回り。
「冬空に聖痕もなし唯蒼し」(中村草田男)という句の前書きには、「川端茅舎を偲ぶ」とあります。作者は毎年繰り返し「まことに天才の名に値するものと思う」とこの亡き友をしのんでは句を作っていますが、この句も失われたもののを大きさを詠っているのでしょう。
「聖痕」とあるのは、十字架のキリストの釘打たれた掌の痕を生まれながらにして持っていた聖パウロの掌の痕のことを指しているものと考えられますが、おそらく茅舎の姿を重ねているはず。そして、限りなく澄んだ冬空がガランと広がっているこの世には、二度と茅舎のような作家が生まれることはないのだという意味を込めているのかも知れません。
「唯蒼し」という結びには宇宙的孤独の響きがありますが、しかし考えてみれば作者は亡き友の存在を通してそれを年々深めていったのだとも言えます。あなたもまた、だれかなにかを通じて自身の深めるべき境地を思い定めていきたいところです。
今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のさそり座は、生活と言葉の一致をあらためて図っていくような星回り。
アリストテレスやプラトンといえば、私たちはどうしても学問の神様のような存在としてしか想像できませんが、彼らだって人並みの人間で、友達と談笑したりもすれば、酔っぱらったり遊んだりなど、生活にまったく哲学者らしからぬ部分があったはずです。実際、アリストテレス自身も『ニコマコス倫理学』の中で次のように述べています。
「われわれは徳が何であるかを知ることを目的としてではなく、よき人となることを目的としてこの考察を行っているのである。でなければ、それが無意味であろう。」「しかし、実際はこうした行為をしないで、言論に逃避し、そして自分は哲学しているのであり、それによってよき人となるであろうと考えている人々が多いのであって、彼らのこうしたやり方はいわば注意して医者の言葉を傾聴しながら少しもその命令を守らない病人に似ている。」
あなたもまた、アリストテレスが言った意味での「よき人」となるべく、自身の振る舞いや暮らしの内実をただしていきたいところです。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のいて座は、間の不思議によぎられていくような星回り。
風に吹かれて落ちる葉がある一方で、風もないのに枝を離れる葉もある。いつ見ても庭に落葉が舞っていた。ところが、ふと気が付くと、あれほど舞っていた落葉が途絶えている。
もちろん、また時がたてば盛んに舞い落ち始めることでしょう。しかし「舞うてゐし庭の落葉の何時(いつ)かなし」(高浜虚子)は、そうしたささやかな一瞬の「間」を捉えた作品。こういう作品は、慌ただしく日常に追われるようになった現代の日本人は、なかなか詠めなくなってしまったのではないでしょうか。
日常の風景のささやかな変化を捉えるだけの感受性というのは、やかんでお湯が沸かした時の音に耳を澄ましたり、寿司の肴の色が変わる分かれ目を見たり、ポツンと雨が降ってきたときの最初の点線だったり、そういう日常に潜んだ音楽を感じることで少しずつはぐくまれていくものなのです。あなたもまた、そうした「間」や「音楽」を自身の日常に取り戻していきたいところ。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のやぎ座は、エモが溢れ出していくような星回り。
20世紀を代表するフランス印象派の画家で、『睡蓮』などの代表作で知られたモネは、その最晩年に、白内障になって、ほとんど眼が見えなくなったそうです。ところが、眼が不自由になってからの彼の作品は凄まじく、それは苦悩に満ちているというより、むしろ歓喜に満ちた画面が表出していきました。
色とりどりの色彩が視神経に直接入り込んでくるかのような『バラの小径』もその頃の作で、これは眼を失ったモネが、写るかすかな光のその奥に突進するように、無我夢中にキャンバスに向かっていった姿勢がそのまま出ている作品です。
こうした絵の前に立つと、直接モネの感情がこちらの感情を刺激し、魂に振動を呼び起こすように感じられるのですが、そこにはやはり失明の影響が大きかったように思います。あなたもまた、ある種の「魂の再起動」を促すようなきっかけを得ていきやすいでしょう。
今週のみずがめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のみずがめ座は、みずからに課すハードルをむしろ下げていくような星回り。
「土佐脱藩以後いくつめの焼芋ぞ」(高山れおな)の主人公は、おそらく坂本龍馬なのでしょう。彼が脱藩したのは28歳のとき。脱藩は死罪となることもあったり、血縁者が罪に問われることもありましたから、相当の覚悟を必要としたとされたわけで、実際に竜馬の場合も城下町から四国山脈をこえての決死の脱藩行でした。
彼の思想や実績への評価はここでは脇に置くとして、まさに革命家と呼ぶのにふさわしい生涯だった訳ですが、掲句はそうした激動の人生を「焼芋」をあわせて表現してみせたところがミソ。
いくら天下国家を語ろうが、革命家であろうが、同じ人間であれば腹も減れば焼き芋だって食う。私たちは歴史上の英雄や偉人を実際の人間以上の存在に祭り上げてしまいがちですが、掲句はそうは問屋はおろさないよ、とやんわりと告げているのだとも言えます。あなたもまた、無理をして自分を高く見せようとするのではなく、哀感や添えつつありのまま自分を許していくといいでしょう。
今週のうお座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
今週のうお座は、だれか何かをの力を借りて邪気をはらい、エネルギーを自然に高めていこうとするような星回り。
最近、外国人観光客向けにお神輿のことを「持ち運び可能な神社」と説明することが多いのだそうです。お祭りでは複数の人間で神輿を激しく振り動かしますが、これは神の霊威を高め、豊作や大漁を願うためのものでした。
ただもともと、神は豊作や大漁をもたらすだけでなく、神は祟り(天変地異)を起こすものとも考えられていましたから、神輿をかついで町内を練り歩く行為は、町を鎮める力を高める意図も込められていたそうです。
最初は、呼吸を合わせるためのちょっとした掛け声だったものに、だんだんと記憶や感情が乗せられ、畳みかけるように何度も執拗に繰り返されていくなかで、リズムをはらみ、ちっぽけな個という枠組みを超えて大きなひとつの力のうねりとなり、そのうねりが広がっていく時、秘められていたパワーが自然と増幅されていく。あなたもまた、すこし弱っている自分に必要な「魂の振り動かし」をみずからに与えていくことがテーマとなっていくでしょう。
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今週のおひつじ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
お前はもうにじみ出ている
今週のおひつじ座は、みずからの境遇の根底にあるものを、しみじみ感じていくような星回り。
「柿売つて何買ふ尼の身そら哉」(村上鬼城)で詠われているのは、尼寺の軒のはしで尼が柿を商売人に売っているといった情景。尼はそうして得たわずかばかりのお金でいったい何を買おうというのか。なにぶん墨染の衣をまとって、粗末なものを食べ、貧しい田舎の尼寺に引っ込んでしまっている身ですから、多少のお金を得たからといって何をどう楽しもうということもできないではないかと。
作者は耳が聞こえず、人並みに働くことも一苦労な上に、家族も多く長らく困窮した生活を送ったためか、貧しいもの、弱きもの、老いや病いを抱えたものに対する熱情はひとかなたならぬものがありました。この句でも、尼の境遇に自身のそれを少なからず重ねていたはず。あなたも、自分の「身そら」からにじみ出す個性や人間性がどんなものであるかという実感を深めていくことになりそうです。
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今週のおうし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
地獄に菩薩
今週のおうし座は、境界のところで立ち止まって、なにか語りえないものに触れていこうとするような星回り。
それはまるで、ヘルダーリンの「功績は多い。だが人は詩人としてこの世に住んでいる」という詩のよう。世の中の人はみな功績によって生きている。企業経営者であれ、絵描きであれ、肉屋であれ、みな生きている以上、この世に功績を残すことをやっているし、その意味でこの世は功績でいっぱいです。
けれど、人はこの世で詩人として住んでいる。つまり、実用性や有効性の次元と違う生の次元に触れているじゃないかと、ヘルダーリンは歌っているのです。生活と生存のための社会的地平は水平ですが、ヘルダーリンが言っているような詩的感性はそこに垂直に立ち上がってくるものであり、仏教ではそういう垂直的地平を他力と呼びます。
それは人間が自分の力で支配できない次元、人間に対して贈られている次元であり、詩や詩的なものはそういう次元に人間を連れていってくれる。そうすると、菩薩も単に神々しい存在というだけでなく、仏に向かおうとする人間の根源的な在り方の問題ということにもなってくる。あなたも、そういう垂直的な次元に触れているところで、ひとりの菩薩と化していくことがテーマとなっていきそうです。
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今週のふたご座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
このせかいの“感じ”
今週のふたご座は、何度でも味わい直すべき“感じ”を、ふいに取り戻していくような星回り。
「涅槃像尼に抱かれて拝みけり」(村上蛃魚)という句は、子供の時の記憶をふと思い出したのでしょう。まだ幼い自分に行ったお寺には尼がいて、その尼が自分を抱き上げてくれて、壁一面にかかっているような涅槃像を拝ましてくれたというのです。じつに素朴な句ではあるのですが、きっとそれを追懐した作者のこころには、なにかあたたかいものが広がったのではないでしょうか。
作者が掲句で詠んだ記憶をどういう状況で思い出したのかは分かりません。しかし、人には折に触れて思い出してはそこから力をもらったり、救われたりするような記憶がひとつふたつあるものです。
あたかも大きな山を仰ぎみたような、そしてそうした存在がふと振り返ったときに、後ろについてきているような、そんな“感じ”を作者は気取った風でもなく、ひねくれたところもなく、ただ素直に出しているように思います。あなたもまた、そうした微妙な調整を通して、素直な心持ちに戻っていくことでしょう。
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今週のかに座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
職業:コント師
今週のかに座は、コントなんだから、特別な意味なんかなくてもいいじゃないか、とうそぶいていくような星回り。
稲垣足穂の処女作にして代表作である『一千一秒物語』は、四辻を横切った影がふいに消えたとか、誰もいないはずの部屋にシガーの香りが微かに残っていたとか、よく見ると月が金貨だったとか、そういうちょっとした微妙な出来事や気配のみを描いた数行の短い文章を集めた作品なのですが、それを「オブジェクティブ・コント」と呼んだ人がいました。
オブジェクティブの反対語はサブジェクティブ(主観的)で、そういう個人的な感情が一切入っていない、というより個人的であることができない領域では、すべてがある種の「コント(寸劇)」になるという訳です。私たちは大げさな出来事のなかで、なにか人生に意味が与えられると考えがちですが、あんまりそうして意味を追い求めすぎると、人生というのはだんだん窮屈になっていきますし、人間もどこか不機嫌になっていくのではないでしょうか。
その点、「オブジェクティブ・コント」は人間を意味から解放し、どうしたって近くに寄り過ぎた目のやりどころを、すこし遠くへと戻してくれるのだとも言えるかも。あなたも、ひとつ寸劇をこしらえていくつもりで過ごしてみるといいでしょう。
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今週のしし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
柿のように熟していく
今週のしし座は、精神がシーンと静まり返っていくような星回り。
「しみじみと日を吸ふ柿の静かかな」(前田普羅)では、雨にも風にも動かされない、よく晴れ渡った日のしたで、梢の先の柿が赤い色をして静かに丸い形を見せている。太陽は偏ることなく万物を照らしているが、その中でもこの梢の赤い柿は飽くことを知らないかのように、しみじみとその日の吸い取っているというのです。
当然この柿は、はじめは青かったものが日を経るにしたがって赤くなってきた訳ですが、静かな小春日和に柿が落ち着いて日光を吸い取っているように感ぜられたのは、おそくらその柿に対した時の作者の心それ自身が落ち着いて深くそのおもむきに吸引されたからでしょう。
つまり、柿がしみじみと日を吸うというのは、とりも直さず作者がしみじみと柿をながめているということであり、掲句ではほとんど作者が柿になってしまっているほどに深く立ち入っているのだと言えます。あなたもまた、そんな作者のごとくいったん自分を空っぽにしてみるといいでしょう。
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今週のおとめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
むすんでひらいて
今週のおとめ座は、「延長の自由」を謳歌していこうとするような星回り。
新宿御苑をぶらぶらと歩いてみると、葉を茂らせている樹木というのは、ただ目の前に見えているこんもりとした輪郭にとどまっている訳ではなく、目に見える以上にたいそう巨大な空間をあたりに占めていて、そこでエネルギーを発揮しているということが分かってきます。
同様に、私たち人間もまた皮膚の内側に閉じられた存在として考えない方がいいでしょう。体表はたんに目に見える輪郭に過ぎず、私たちの体にひそむエネルギーはいつもどこかにはみ出しており、その意味で幼児が自分の体がどこにもでも移動できるという幻想はむしろ幻想ではなく、むしろ「延長の自由」というリアルなのだと言えるかもしれません。
富永太郎はそのことを「私は透明な秋の薄暮の中に墜ちる」と表現していましたが、あなたもまた、いつも以上に自分自身を閉じた系としてではなく、開いた系として実感していきやすいはず。
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今週のてんびん座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
ふと思い出すものこそが人生の本質
今週のてんびん座は、だんだん原点にかえっていくような星回り。
「冬空に聖痕もなし唯蒼し」(中村草田男)という句の前書きには、「川端茅舎を偲ぶ」とあります。作者は毎年繰り返し「まことに天才の名に値するものと思う」とこの亡き友をしのんでは句を作っていますが、この句も失われたもののを大きさを詠っているのでしょう。
「聖痕」とあるのは、十字架のキリストの釘打たれた掌の痕を生まれながらにして持っていた聖パウロの掌の痕のことを指しているものと考えられますが、おそらく茅舎の姿を重ねているはず。そして、限りなく澄んだ冬空がガランと広がっているこの世には、二度と茅舎のような作家が生まれることはないのだという意味を込めているのかも知れません。
「唯蒼し」という結びには宇宙的孤独の響きがありますが、しかし考えてみれば作者は亡き友の存在を通してそれを年々深めていったのだとも言えます。あなたもまた、だれかなにかを通じて自身の深めるべき境地を思い定めていきたいところです。
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今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
言行一致はさりげなく
今週のさそり座は、生活と言葉の一致をあらためて図っていくような星回り。
アリストテレスやプラトンといえば、私たちはどうしても学問の神様のような存在としてしか想像できませんが、彼らだって人並みの人間で、友達と談笑したりもすれば、酔っぱらったり遊んだりなど、生活にまったく哲学者らしからぬ部分があったはずです。実際、アリストテレス自身も『ニコマコス倫理学』の中で次のように述べています。
「われわれは徳が何であるかを知ることを目的としてではなく、よき人となることを目的としてこの考察を行っているのである。でなければ、それが無意味であろう。」「しかし、実際はこうした行為をしないで、言論に逃避し、そして自分は哲学しているのであり、それによってよき人となるであろうと考えている人々が多いのであって、彼らのこうしたやり方はいわば注意して医者の言葉を傾聴しながら少しもその命令を守らない病人に似ている。」
あなたもまた、アリストテレスが言った意味での「よき人」となるべく、自身の振る舞いや暮らしの内実をただしていきたいところです。
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今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
落葉的瞬間の感受
今週のいて座は、間の不思議によぎられていくような星回り。
風に吹かれて落ちる葉がある一方で、風もないのに枝を離れる葉もある。いつ見ても庭に落葉が舞っていた。ところが、ふと気が付くと、あれほど舞っていた落葉が途絶えている。
もちろん、また時がたてば盛んに舞い落ち始めることでしょう。しかし「舞うてゐし庭の落葉の何時(いつ)かなし」(高浜虚子)は、そうしたささやかな一瞬の「間」を捉えた作品。こういう作品は、慌ただしく日常に追われるようになった現代の日本人は、なかなか詠めなくなってしまったのではないでしょうか。
日常の風景のささやかな変化を捉えるだけの感受性というのは、やかんでお湯が沸かした時の音に耳を澄ましたり、寿司の肴の色が変わる分かれ目を見たり、ポツンと雨が降ってきたときの最初の点線だったり、そういう日常に潜んだ音楽を感じることで少しずつはぐくまれていくものなのです。あなたもまた、そうした「間」や「音楽」を自身の日常に取り戻していきたいところ。
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今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
制限と爆発
今週のやぎ座は、エモが溢れ出していくような星回り。
20世紀を代表するフランス印象派の画家で、『睡蓮』などの代表作で知られたモネは、その最晩年に、白内障になって、ほとんど眼が見えなくなったそうです。ところが、眼が不自由になってからの彼の作品は凄まじく、それは苦悩に満ちているというより、むしろ歓喜に満ちた画面が表出していきました。
色とりどりの色彩が視神経に直接入り込んでくるかのような『バラの小径』もその頃の作で、これは眼を失ったモネが、写るかすかな光のその奥に突進するように、無我夢中にキャンバスに向かっていった姿勢がそのまま出ている作品です。
こうした絵の前に立つと、直接モネの感情がこちらの感情を刺激し、魂に振動を呼び起こすように感じられるのですが、そこにはやはり失明の影響が大きかったように思います。あなたもまた、ある種の「魂の再起動」を促すようなきっかけを得ていきやすいでしょう。
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今週のみずがめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
ハードル下げ太郎
今週のみずがめ座は、みずからに課すハードルをむしろ下げていくような星回り。
「土佐脱藩以後いくつめの焼芋ぞ」(高山れおな)の主人公は、おそらく坂本龍馬なのでしょう。彼が脱藩したのは28歳のとき。脱藩は死罪となることもあったり、血縁者が罪に問われることもありましたから、相当の覚悟を必要としたとされたわけで、実際に竜馬の場合も城下町から四国山脈をこえての決死の脱藩行でした。
彼の思想や実績への評価はここでは脇に置くとして、まさに革命家と呼ぶのにふさわしい生涯だった訳ですが、掲句はそうした激動の人生を「焼芋」をあわせて表現してみせたところがミソ。
いくら天下国家を語ろうが、革命家であろうが、同じ人間であれば腹も減れば焼き芋だって食う。私たちは歴史上の英雄や偉人を実際の人間以上の存在に祭り上げてしまいがちですが、掲句はそうは問屋はおろさないよ、とやんわりと告げているのだとも言えます。あなたもまた、無理をして自分を高く見せようとするのではなく、哀感や添えつつありのまま自分を許していくといいでしょう。
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今週のうお座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
ゆっくり、ゆさゆさ歩いてみる
今週のうお座は、だれか何かをの力を借りて邪気をはらい、エネルギーを自然に高めていこうとするような星回り。
最近、外国人観光客向けにお神輿のことを「持ち運び可能な神社」と説明することが多いのだそうです。お祭りでは複数の人間で神輿を激しく振り動かしますが、これは神の霊威を高め、豊作や大漁を願うためのものでした。
ただもともと、神は豊作や大漁をもたらすだけでなく、神は祟り(天変地異)を起こすものとも考えられていましたから、神輿をかついで町内を練り歩く行為は、町を鎮める力を高める意図も込められていたそうです。
最初は、呼吸を合わせるためのちょっとした掛け声だったものに、だんだんと記憶や感情が乗せられ、畳みかけるように何度も執拗に繰り返されていくなかで、リズムをはらみ、ちっぽけな個という枠組みを超えて大きなひとつの力のうねりとなり、そのうねりが広がっていく時、秘められていたパワーが自然と増幅されていく。あなたもまた、すこし弱っている自分に必要な「魂の振り動かし」をみずからに与えていくことがテーマとなっていくでしょう。
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