淫らに漂う不倫妻の色気。“純愛”を掲げる女を現実に引き戻した、夫の衝撃の告白
―あの頃の二人を、君はまだ覚えてる...?
誰もが羨む生活、裕福な恋人。不満なんて何もない。
でもー。
幸せに生きてるはずなのに、私の心の奥には、青春時代を共に過ごした同級生・廉が常に眠っていた。
人ごみに流され、都会に染まりながらも、力強く、そして少し不器用に人生を歩む美貌の女・里奈。
運命の悪戯が、二人の人生を交差させる。これは、女サイドを描いたストーリー。
7つ年上の直哉との結婚した里奈は、裕福な専業主婦生活を満喫するものの、サークルの同窓会で再会した廉と結ばれてしまう。

エントランスに響くヒールの音が、やけに大きく聞こえる。
金曜日とはいえ、午前0時を過ぎた真夜中のホテルは、午後にチェックインした時とはまるで別の場所のように静まり返っていた。
―こんな時間に、リッツで何してんだよー
直哉からのメッセージを瞼に焼き付けたまま、私は礼儀正しいドアマンの視線から逃げるようにして、タクシーに乗り込む。
そして、窓ガラスに映った自分の顔を見てゾッとした。
潤んだ瞳に、やけに血色良い艶を放つ肌。化粧も髪も乱れているのに、その女の顔には妙な色気が滲んでいるのだ。
消そう、と意識して消せるものではない。
それは、たった今までの情事を生々しく彷彿とさせるものだった。
つい30分程前には、“10年越しに結ばれた”などと、夢見心地で純愛に浸っていたのに。
しかし私はどこからどう見ても、醜く淫らに欲情した人妻にしか見えなかった。
二人の関係は、とうとうバレたのか? 夫・直哉の反応は...
脆い“純愛”
震える手で自宅玄関のドアを開けると、予想に反し中は真っ暗で、人の気配はない。
前回のように直哉が家にいるのかと思ったが、今夜は本当に出張でバンコクにいるようだ。
私は何度も深呼吸をし、できる限り冷静でいるように意識しながら通話ボタンを押す。
「...なんだよ」
数回の呼び出し音の後、直哉が応答した。あまり電波が良くないのか、その声は遠く曇って聞こえる。
「ごめん...寝てた?今日も未祐と飲んでて、遅くなっちゃって...」
「......」
夫は返事をしないが、スマホ越しにわずかに感じられる怒りを含んだ息遣いに焦りを刺激された。冷静に、と頭では強く言い聞かせているのに、私はどうしても媚びた口調で早口になる。
「あの...電話は、ただ気づかなかっただけなの。心配かけたよね。今家に帰ってきたから大丈...」
「知ってるよ」
やはり廉が予想した通り、スマホで位置情報を見られているのだろうか。
しかし、「なんで知ってるの」という返答を堂々と返すことができなかった。思わず口籠もってしまった私は、直哉から見れば、罪を認めたに等しいかもしれない。
「ねぇ、誤解しないでね。金曜だったし、いつもみたいに盛り上がってただけで...」
それでも私は、自分でも白々しく聞こえる言い訳を続けた。口数少ない直哉に対して、それ以外に方法がなかったのだ。
「...もう、寝るから。電話切っていい?」
だが直哉は、最後に冷たい声でそう言うと、私の返事を聞かずに一方的に電話を切った。
夫は、ほとんど確信を持って私を疑っている。
そして彼が本気になれば、廉との関係が暴かれるのも時間の問題かもしれない。そんな風に思うと、いよいよ全身が恐怖に包まれた。

しばらくリビングのソファで放心していると、再びスマホが鳴った。
―大丈夫?
廉だった。私はそのまま彼に電話をかけると、事情を説明した。
位置情報を探られていたのは間違いないこと。直哉は敢えて私を泳がしていたこと。けれど恐らく、決定的な証拠は掴まれていないこと。
「そうか...」
二人の間に、重苦しい沈黙が流れる。
「...とりあえず、様子を見よう。俺たちは、しばらく下手に連絡は取らない方が良さそうだな。でも、何かあったらすぐ連絡して」
廉の判断はもっともだと思うし、そうすべきなのは頭では分かっている。
しかし私は、廉が冷静であるほど胸が痛み、どこか見放されたような、裏切られたような気持ちが湧いた。
つい先ほどまで甘い時間にどっぷりと浸り、深い絆を確かめ合っていたのが嘘みたいだった。今度はこの関係を隠蔽するために、手のひらを返すように赤の他人を気取るのだ。
「そうだね、わかった。また私から連絡する」
そうして電話を切ったときには、廉の存在は、すでにどこか遠くに感じられた。
遂に、直哉との対峙。そして判明する衝撃の事実とは...!?
想定外の、夫の告白
一睡もできない、なんて経験は初めてだった。
プライドが高く、負け知らずの直哉が「妻の不貞」などという不名誉に対してどんな報復をするのか、想像するだけで恐ろしい。
その怒りの矛先が私だけに向くのならまだいいが、万一廉の存在を突き止められでもしたら、一体どうなってしまうのか。
今更ながら事の重大さに気づき、私は自分の注意力の欠如を呪い、そして情けないほどに怯えていた。
しかしー。
帰宅した夫の反応は、私の予想とは全く異なるものだった。
◆
「おかえり...」
玄関の鍵を開ける音が、直哉の帰宅を知らせた。
「...あぁ」
私は通常通りの笑顔を浮かべながら恐る恐る彼を迎えたが、彼は心なしか青ざめたような顔色をしていて、私とほとんど目を合わせようともしない。
「...ご飯できてるけど、いる?」
「あぁ、あとで貰うかも」
直哉はそれだけ答えると、まるで空気のように私を素通りし、書斎にこもってしまった。
「直哉...、具合でも悪いの?大丈夫...?」
しばらくして、私は物音一つしない部屋を怖々と覗いた。直哉はただ机に座り込み、背中を丸めて頭を抱えている。

「...大丈夫」
彼はそう答えたが、どう見ても正常な状態ではない夫の姿に、私は戸惑いを隠せない。
やはり、昨晩の出来事が尾を引いているのだろうか。
けれど、覚悟していた罵声や追求もない。目の前にいるのは、高慢で自信に溢れたいつもの夫ではなく、どこか抜け殻のように覇気のない男だ。
「あの...昨日のことなんだけど...、心配かけたなら本当にごめ...」
「今、それどころじゃないんだよ」
直哉は相変わらず青ざめた顔のまま、自嘲気味に笑った。そして、振り向いたその目が赤く充血していたことに驚かされる。
「ど、どうしたの...?」
すると直哉は、「一応、言っといた方がいいか...」と独り言のように呟いたかと思うと、ポツリポツリと、会社が経営不振に陥っていることを説明し始めた。
実は最近、直哉自身が採用を決めた中途社員の使い込みが発覚し、それを皮切りに、いくつものトラブルが起こったこと。
アジア支店の業績不振、優秀な支店長の引き抜き、そして決め手となったのは、祖父の代からの長年の大口顧客を失ったことで、このままだと銀行の融資すらも危うい状況だという。
「え...」
潤沢な口座の残高も、上限を気にせず使用できるクレジットカードも、記念日のたびに与えられる贅沢なプレゼントも、結婚当初から当然のものとして手にしてきた。
そして私は、その裏で直哉がどんな労力を払っているか、ほとんど考えたこともないことに気づく。
「まぁ...でも、これはあくまで会社の話で、俺個人の話じゃないから。リナは心配しなくていい」
「あの...何か私にできることがあったら、言ってね」
咄嗟にこんな言葉が口を出たのは、夫への労いなのか、同情心なのか、あるいは社交辞令なのか、自分でもよく分からない。
「あぁ、ありがとう。もう少ししたら、飯もらうから」
そして私は、また机に向かってしまった直哉の背中を見送り、書斎のドアを閉めた。
よくよく思い返してみれば、最近の直哉は以前よりもさらに多忙で、実家にも足繁く通っている様子だった。
てっきりまた新しい女でも作ったのだろうと思い込んでいた自分のおめでたさに、心底呆れてしまう。
頭が混乱したまま、リビングに戻る。
すると、そんな私を待ち構えていたかのように、固定電話がけたたましい音を立てた。
「里奈さん、ですよね」
「もしもし」と応答した途端、自分の名前を呼ぶ女の声が耳に響いた。ゆったりした柔らかな口調にも関わらず、なぜだか全身に不快感が走る。
そして次の瞬間、私はその理由を知ることになった。
「私、一条美月、と申します」
▶NEXT:9月19日 明日更新予定
「連絡をとらない」と約束した二人。そのとき、廉が考えていたこととは...?

