そしていつしか、「Aiちゃんを支える役割として存在しよう」と思うようになっていきます。

「自分が何をしたらいいのかわからなくなってしまい、Aiちゃんがやりたいことを一緒にやろうと思いながら活動していました。一方で、私個人がやりたいこと……たとえば大好きなジャズの要素を入れたいと考えても、『この情熱は共有できないだろう』って感覚があった。でも、それを直接言えないし、上手く伝えられない。決して不仲ではなかったけど、『いつか“離婚”するから頑張ろう』って意識を持っていたから走り抜けられましたね」

 グループを取り巻く“大人の事情”やしがらみ、自己否定に劣等感。外側からも内側からも襲ってくるそれに、「歌ったり喋ったりしようとしても、体が拒否して喉がキュッと締まるときがあった」のだとか。何度も悩み、苦しみ、喜びを分かち合った果てで解散を迎えたとき、Sakiさんは「救われる出来事があった」と明かします。

◆「完成された理解者」解散後にわかった相方の想い

「音楽としては不完全燃焼で終わってしまいましたが、最後に救われたというか、浄化できたことがあるんです。解散後、Aiちゃんはすぐにソロ活動を始めて、私とのことを書いた『Y字道(わかれみち)』という曲を出しました。歌の中で私のことを“完成された理解者”と表現してくれて。私がそうであろうとしていたこと、彼女のいちばんの理解者であろうとしていたことを、わかってくれていた」

 RSPの中で自分の軸を見つけられず、長く苦しんだSakiさん。しかし苦楽を共にした相方からのメッセージに、「人を理解して支えていくのも、私のひとつの特質だった」と気付かされたといいます。そのことが、解散後の生き方に影響を与えました。

◆「RSPのSakiであることを忘れたかった」

「解散後、私は“RSPのSaki”であることを忘れたかったし、みんなにも忘れてほしかった。フラットな自分に戻りたくて、どこにも所属せず表に出るのを一度やめようと決めました。

来るべき時のために頑張ろう。そう思って大阪に移り、ジャズレストランでバイトをしながらライブハウスにも遊びに行くうちに、自分でもジャズライブをするようになっていきました。そんなとき、ボイストレーニングの講師にならないかと声がかかりました。一度は断ったんですが、講師になればプロを目指す子の力になれて、“RSP時代に自分の周りにいてほしかった大人”になれるんじゃないかと考えたんです」

 精神的に追い詰められていたとき、信頼できて何でも喋れる大人を自身が見つけられていたら、違っていたのではないか。バラバラに集まったグループだからこそ、メンバーの悩みをフラットに受け止めてくれて、対処してくれる役割を担った大人が必要だったのではないか。つらさを経験した身だからこそ、ボイトレで若い才能を支えられると感じたSakiさんは、講師としての道を歩み始めます。

◆コロナ禍でライブ配信をスタート

「講師として教えるうちに、ボイトレの奥深さに気付いたんです。そこで、言語聴覚士や心理カウンセラーなど、専門家の方に話を聞いたり、解剖学などの本を読み漁ったりしました。心・頭・体は別々のようでいて、じつは全部つながっている。そして、つながっていると認識することが、生きる上で大事になる。それをもっとボイストレーニングに活かせないかと思いました。

そこで、“ボイスフィットネス”と名付けて一般向けのフィットネスとしてやりたい! って思うようになって。それで稼いだお金で、40歳の誕生日までに名刺代わりになるアルバム作ろうと考えました」

 ところが新しい夢を見つけ動き出した矢先に、新型コロナウイルスの感染拡大が訪れます。思うように活動できなくなり、音楽業界の先輩の誘いで始めたのがライブ配信でした。歌ったり雑談したり、リスナーとの交流に楽しみを見出したSakiさんでしたが、当初は「RSPのSaki」であることを公表せずにいたそうです。