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相手のことを知らずに「妄想頑張りすぎ」(by水季)の人たちによる認識のズレが他者を傷つけていく。

月9『海のはじまり』(フジテレビ系 月曜よる9時〜)の第7話では、第6話で少しはほっこりしたかと思いきや、再び人間関係がギスギスしてきたような……。

◆コロッケがこんなにも切ない思い出であったとは

海(泉谷星奈)が好きだというコロッケを弥生(有村架純)が作る練習をしていたほっこりエピソードも、苦い思い出の底に沈んでしまったからびっくりである。コロッケがこんなにも切ない思い出であったとは。

冒頭の回想では、水季(古川琴音)が海を連れて夏(目黒蓮)の部屋を訪ねると、弥生と出てくる夏を目撃し踵(きびす)を返す。態度の急変の理由を、コロッケの安売りの時間だからと咄嗟(とっさ)に誤魔化す水季。コロッケはスーパーで安くなっているときのみ購入するシンママの経済事情と、別れた恋人に新しい恋人がいたことを知った二重苦の象徴だった。

そして現在。水季の四十九日が過ぎ、もうすぐ納骨が行われる頃。それまで南雲家に遺骨が置かれて、一緒に過ごしていたわけだが、ここからは亡くなった人はお墓に入り、すこし遠く離れることとなる。

死をリアルタイムで見つめる悲しみをまだ夏は知らない。それを知っているのは、津野(池松壮亮)である。でも納骨に津野は来ない。家族ではないから。独身の津野が、スーパーのコロッケを皿に入れ替えずパックのまま食べようとしている様子も物悲しかった。

かつて、図書館の仕事で知り合った水季が、ひとりで子供を生む事情を知って、津野は手を差し伸べた。傍(はた)からはいい感じに見える水季と津野と海だが、水季は津野を海の父親にする気はない。ある意味、好意の利用に「最低です」と一応、反省はしているのだが……。

津野は誠実なあまり、夏のことを誤解して責めるようなことを言うが、「妄想頑張りすぎです」と水季は、何も知らないのに余計なことを言うなというように反発する。実際、彼女の勝手な判断で問題がこんがらがっていることなので、津野に悪く思われる夏もお気の毒である。

◆水季は海と少しでも長くいることを選択

そうこうしていると病気が発覚し、水季は世の中には自分で選べないことがあることを思い知らされる。人間は生と死を選ぶことができない。

何事も自分で決めて、その決断に自由でありたいと考えてきた水季だから、その事実には絶望しかないだろう。自ら死ぬ人の気持ちが少しわかる水季は、治療して治らなかったことを憂慮して、治療しないことを選択する。ある意味、自ら死を選んだのだ。

視聴者としては治療して死に抗うことを選んでほしかったが、水季は海と少しでも長くいることを選択する。医学上治らない可能性が高い認識のうえのことなのか、「妄想頑張りすぎ」ているのか、どちらだろうか。

みかんのヨーグルトがなかったらほかの選択肢はないという水季と、みかんのヨーグルトがなかったらみかんとヨーグルトを買ってくる津野の判断。津野のような判断もあるのに水季の頑(かたくな)さがつらい。けれど、か弱い人間なりに必死に考えた結論かと思うとなにも言えなくなる。

◆水季が泣く場面だけブルーが目につかない

死を前に準備する水季は、朱音(大竹しのぶ)に海のこれからを託す。達観しているのかと思えば、死ぬのが怖くなったと朱音にしがみついて泣く。

この場面は少しだけいつもと違って見えた。ブルーを基調にした画作りをしている『海のはじまり』が、この場面だけブルーが目につかないのである。水季の服も朱音の服もグリーンで、部屋の端の植木の緑が印象に残る。

そこから場面が変わり、津野が水季の死を知らせる電話を受ける場面も木々の緑に彩られている。津野のシャツが薄いブルーではあるがそれもあまり気にならない。