42歳で乳がんが発覚した私が「生かしてもらっているのに、消えたい」と思ったワケ
時間があるからこそ余計なことを考えてしまい、メンタルが絶不調なのに、今度は息子の心配をし始めてしまいました。けれど考え始めると止まりません。私立中学に入れるなら、もう急がなくちゃいけない。
夫にそれを話すと、怒り出しました。「引っ越しでさえ唐突だったのに、今度は中学受験だなんて何を突然言い出すんだ!」と。もう次から次へと新しいことをするな!と。
子どもの教育に関してはわたしがすべてやっていたのと、夫は私立中学への進学に関して反対ではなかったのでそれ以上は何も言いませんでしたが、ただ教育にはまったくの無関心。夫に細かく相談するわけにもいかず、ひとりで悩むしかありませんでした。
しかも中学受験は親のサポートや家庭学習が不可欠。小さいころから何かを強制されるのが嫌いな息子は、家庭学習を促しても泣いて嫌がっている状態。これでは中学受験どころではありません。
◆「精神腫瘍科」でカウンセリングを受けることに
もともとネガティブ思考の癖はありましたが、この時期はすべてを悲観的に捉えてしまい、中学受験ができなければ息子はまずいことになる! と考えて塾探しに奔走。無我夢中だったので塾の方もわたしの必死の形相にさぞかし驚かれただろうなと思います。
勉強しない息子をなんとかしなくてはいけない。絶不調で食欲も落ち、不健康に痩せて顔色も悪く、体力も落ちていたわたしでしたが、家で寝ているわけにはいかない、なんとかせねば、と必死で塾を探しても、うちの子のようにやる気のない子の面倒見てくれる塾は見つからず、行き詰まってしまいました。
ここからさらにメンタルが不調になっていき、ときどき混乱して頭の整理が追い付かないことが増えてきました。
当時わたしは、同じ病院に併設されていた「精神腫瘍科」という科にもお世話になっていました。
がん治療中にメンタル不調に陥る人は少なくなく、メンタルケア専門の「精神腫瘍科」という科が設置されていました。わたしは不眠などのうつ症状も出ていたので精神腫瘍科を紹介され、抗がん剤の点滴を打っている時間を利用してカウンセリングも受けさせてもらっていたのです。
◆布団をかぶって「どうしよう、どうしよう…」
それまでのカウンセリングでは、夫とのいざこざの中で抱いた罪悪感などを話していましたが、新たに「息子の進路」で頭がいっぱいになってしまったわたしは、カウンセリングでもこの状況を話し、整理してもらうことにしました。
カウンセラーさんもお子さんの中学受験経験があるようで「中学受験は親も体力と精神力が必要。今の状態で挑戦しなくてもいいのではないか?」など意見をくれました。子どもは私立中学じゃなくてもちゃんと育つよ、と。
ですが当時のわたしは不安に溺れ、思い込みも強かったのでカウンセラーさんの話さえまともに聞けませんでした。「なんとかしなくちゃ」という気持ちばかり先行して「なんとかなるさ」の視カ点は一切持てなくなっていました。頭はいつもグルグルと考え、もつれ、ときどきパニックも起こします。
なんとなしなくちゃと思えど何も案が浮かばず、布団をかぶって「どうしよう、どうしよう」と思っているだけで1日が過ぎる日もありました。口を開けば「塾どうしよう」と言い出すありさまになり、常に何かを考えている状態で、目もうつろな状態でした。