良いことも悪いことも、人生、迷うことばかり。そんな他愛もない日常をゆるゆると綴ったアルム詔子の「日日是迷走」。

今回は、誰にでも経験のある「喧嘩」について。それも、揉めたあとの決着の付け方についての内容だ。

じつは、現在、とある人物と喧嘩中のワタクシ、アルム詔子。自分でも大人げない態度にどうしたものかと頭を抱える始末である。

果たして、私たちの喧嘩の行く末は…?

10年に1度の姉との仲違い…その理由は?

いい年をして笑われるかもしれないが、およそ2ヵ月前から、珍しく姉と喧嘩をしている。喧嘩というよりは、正確には、私が一方的に怒っているという構図だ。

私たち姉妹は、5つほど年が離れている。堅実な姉は早々と結婚し、実家の横に家を建て、2人の娘を育て上げた。全国を行ったり来たりする風来坊のような私と違い、長女という意識もあってか、両親の近くで平穏に暮らしている。

それこそ、老いを迎える両親らは心強く感じるだろうし、実家を離れた身の私からしても姉は非常に有難い存在だ。口から生まれたかと思うほど弁が立つ人で、余計な一言は確かに玉に瑕ともいえるが、それを差し引いても残るのは感謝しかない。

そんな姉との関係は非常に近いものといえるだろう。「姉妹」ならば「双子」のような、「友人」ならば「親友」のような、特別な間柄だ。毎日LINEのやり取りをしても飽き足らず、さらに週に数回は1時間以上の長電話をするという仲。一体、何を話すことがあるのかと、パートナーの彼が呆れるほどの親密ぶりだったのである。

しかし、昨年の暮れに、珍しく雲行きが怪しくなった。

姉の気付かないところで、私が一方的に激怒したのである。そこからピタッと連絡が止まってしまった。

じつは、これまでもそうなのだが、10年に1度くらいの割合で、姉は私を怒らせる。

恐らく、彼女はこの事実に気付いてもいないだろう。姉にとっては、取るに足らないほんの何気ない言葉なのだが、何故かそのときの私には大層堪えるのだ。

そうして彼女の知らないところで私は深く傷つき、心が底なし沼へとどっぷり沈んだところで、ほんの少し遅れて、怒りがふつふつとこみあげてくる。結果、かんしゃく玉を破裂させるが如く、私が遂にブチ切れるという流れなのである。

ちなみに、姉の言葉が決定的な内容なのかといわれれば、そうでもない。ただ、10年くらいの間に積もり積もった些細な不満や傷心の傷跡が、最後の小さな一撃で堰を切って溢れ出すというイメージだろうか。

私の腹の中のマグマが10年周期で溢れ出すのである。

ホントに、あのどうしてあの人は気付かないのか!

子どもの頃は、簡単に喧嘩を終わらせたはずなのに…

はて?こんなに喧嘩の終わらせ方って難しかったっけ?

私は遠い目をして、子どもの頃を思い出していた。

子ども時代も相変わらず、私たち姉妹は喧嘩をした。

いや、待てよ。

あの頃も…大してその構図は変わっていなかったようだ。というのも、姉が私に怒ることはほぼなかった。何をしても、母親のように変わらぬ愛情で許してくれたからだ。その一方で、姉のデリカシーのなさは昔からなのか。いつも、私が姉に激怒し地団太を踏む。そんな構図であった。

そういえば、あの時も…。

未だビデオテープしかなかった我が幼少時代。楽しみにしていたテレビ番組を私が録画したときの話である。大事にビデオテープを保管し、ラベルまでつけていたのだが、姉はそれを注意深く見なかった。そして、そのまま上書き録画をしたのである。

この失態を茶化して終わらせようとした姉に、幼き私は怒りのあまり我を忘れた。そして、あろうことかビデオテープを引きちぎり、ヒステリックに責め立てたのである。あの饒舌な姉が一言も発せず青ざめるほどの、とんだブチ切れようであった。

そうか。私は今も昔も変わらずに、暴れん坊将軍なのか…と、昔の思い出話に戯れるつもりはない。

重要なのは、そこではない。

「子どもの頃の喧嘩はとてもシンプル」という事実を伝えたいのだ。

というのも、子どもの頃は自分の感情に正直でいれた。だから、怒りを純粋にそのまま相手にぶつけることができたのである。相手がどう思うかとか、自分の怒りを表明するのは恥ずかしいとか。そんな雑多な想念など気付かずに、ただ「怒る」という、自分の気持ちに忠実な行動を起こすことができたのである。

そして、その分、喧嘩も長引かず、始まりと同様にあっさりと終わって決着がついた。まさに、怒りを発散させたあとの私はケロッとしたもので、ドン引きの姉とは正反対に、すぐさまフツーの状態へと戻ることができたのである。

しかし、今は違う。

大人になるにつれて、見えないものが見えるようになった。世界はシンプルではなくなったのだ。

これまではスルーできた様々な事柄を1つ1つ熟慮し、取捨選択をする。周りがクリアに見えてしまったせいで、自分の気持ちに正直になるなんて、怖くてできるはずもない。それほど、自分をがんじがらめにする余計なモノが増えてしまったのだ。

だから、こうして2ヵ月経った今も、私はうじうじじめじめと過ごしている。

振り返れば、これまで1度だけ仲直りのチャンスはあった。

しかし、残念ながら、タイミングを逃してしまったのである。

【後編に続く】