栗原美和子さん


フジテレビが「視聴率の三冠王」といわれた時代の、1987年に入社して以降、プロデューサーとして、ドラマ『ピュア』『バージンロード』『ムコ殿』など数々の大ヒットドラマを生み出すなど、テレビ業界の第一線で活躍し続けている栗原美和子さん。

新刊『テレビの企画書 新番組はどうやって生まれるか?』(ポプラ新書)には、情熱に満ちたヒット番組の裏側が描かれている。そこで、栗原さんが見た働き方の変化、テレビの今後についてお話を伺った。

「とんでもない女性ADがいる」と言われた80年代

――栗原さんは、フジテレビに入社して、『オレたちひょうきん族』や『笑っていいとも!』のADをしていた頃は、服装や態度から「とんでもないAD」とも言われていたそうですが、そんな評判に対しては、どんな対処をしていたんでしょうか?

栗原美和子さん(以下、栗原):どちらかというと、対処しませんでした。賛否両論あって、怒られてばっかりでもなかったんです。当時は、スタッフの中で女性は私だけだったけど、出演者の側も女性は山田邦子さんひとりだけだったので、邦子さんがかばってくれたり、「栗原にしかできないことがある」と言ってくれる人もいて、そんな中で、「栗原、自分のアイデアでやってみろ」と言われることも増えていったんです。

――もし今、自分が新入社員として会社に入ったら、どういう働き方をしていると思いますか?

栗原:以前よりは女性が働くことが当たり前になっていますが、完全に男女平等かというとそうではないし、基本はあまり変わらないとは思っています。今ある会社組織のやり方を壊すのではなく、その中で居場所を見つけたり存在価値をアピールすると思いますね。

呼び捨ての「仲間感覚」の時代から、全員「さん」付けへ

――これまで働いてきた中で、以前と今とで、変わったなと思うところはありますか?

栗原
:私たちが入社したころって、男性と女性の間に差がなくなり始めたときだったんです。男女が仲間のようになった時期で、女性が男性を呼び捨てにしちゃうのが当たり前だったんです。

――柴門ふみさん原作のドラマとか思い浮かべると、そういう「仲間」みたいな空気があったのってわかります。

栗原:同期は呼び捨てだったし、後輩ができても、その延長で男性も女性も呼び捨てにしてきたんです。でも、呼び捨てとか男っぽい言葉を使うのが昔は流行っていたけど、それは今はちょっと違うなど感じてきて。そんなとき、私がフジテレビから共同テレビに出向をしたんですね。そんなこんなで、ある日、先輩でも後輩でも、男性でも女性でも、一緒に仕事をする人には全部「さん」付けで呼ぶように徹底して変えたんです。

ドラマ時代のひとつの終わり、出向で見えた可能性

――栗原さんは45歳のときに共同テレビへ出向し、共同テレビに在籍しながらさらにケーブルテレビ局の「女性チャンネル♪ LaLaTV」の改革をすることになったそうですね。本書では、ドラマ文化がひとつの終わりを迎え停滞感を感じていた中、LaLaTVでプロデューサーとしての感覚を取り戻して、新しいことに進んで行く感じが出ていて、非常にわくわくしました。

栗原:人間ってよくない方向に進んでいるときに、自分を必要としてない、居場所がないと悩むじゃないですか。でも、LaLaTVでやらないかというチャンスがまわってきて、私の力を必要としてもらえるということがうれしかった。

自分ひとりでは仕事はできないけど、人や組織とのつながりの中で自分の力が発揮できるということを、再認識させてもらえた感じですかね。

もちろん、社風が全く違うので最初はつらかったんですよ。でも、気持ちの持ちようで絶対に好きな場所に変わるし、楽しむことができる。それをLaLaTVに行って実感したら、今後どこの会社に行っても生きていけるなと思いました。

“プレイングマネージャー”という働き方

――女性男性に限らず、40代くらいになると、管理職になってしまい、現場にいられなくなることを危惧していると思います。栗原さんの場合は、今でも現場の仕事と管理職の両方をされていますよね。

栗原:40代になって現場にいられるか、心配する気持ちはわかります。そういう人はプレイングマネージャーになるのがベストでしょうね。自分の場合も、今も管理職も制作の仕事もやっています。でも、これからはそういう人は増えていくんじゃないですかね。

「あなたにお願いしたい」と言わせる仕事

――そういう仕事のやり方を自分でも作り出せるものだと思われますか?

栗原:私の場合は、部下の企画をとりまとめて、いろんなところに営業に行くのですが、当然、その中には自分の企画も入っています。もし、その企画が売れれば自分でも制作ができますよね。それに、会社に指名があるのではなく、「あなたにお願いしたい」と言わせてしまえばこっちのもの。会社の利益になるし、管理職をおろそかにしないでいれば、現場の仕事を続けることができるんじゃないでしょうか。

――以前よりも、逆に動きやすいのかもしれないですね。

栗原:そうですね。今は小さい利益を大事にする時代なので、小さい仕事でも自分で受注できるという強みを持っているほうがいいんじゃないかと思いますね。管理職であろうがなかろうが、全部積み重ねですよね。

若い子でも、早く芽が出る人は、「あなたにお願いします」と指名がある人であることは多いですね。会社では、まだ無理かな、早いかなと思っていても、外部から「彼や彼女にお願いしたい」って言わせたら、やらせてみるかと思いますからね。私は管理職なので、注意したり助言しないといけない立場ではあるんですが、内心ではもっとそういうことが増えたらいいなって思います。

テレビ業界は局の垣根を越える時代へ

――栗原さんは、LaLaTVに在籍しながらフジテレビのスペシャルドラマ『抱きしめたいForever』のプロデューサーを務めたり、フジテレビの子会社である共同テレビに在籍しながら、TBSの連続ドラマ『美しき罠〜残花繚乱〜』を手掛けられたり、テレビ局の垣根を越えた仕事をしているわけですが、そういう動きも、やはり小さな業績も大切にしている今だからこそできる仕事の一つなのでしょうか。

栗原:景気がよくて、フジテレビと共同テレビの関係だけでやっていける時代だったら、そんな発想は浮かばないでしょうね。今までのようなやり方だけではやっていけないから、新しいことをやっていこうよという会社の方針があるからこそですね。

――栗原さんの例だけでなく、最近はWOWOWとTBSがコラボした『MOZU』など、たくさんの例が出てきていますね。

栗原:この業界では、多くの人が垣根を越えて一緒に仕事をしていこうという気持ちになりつつあって、それに乗り遅れたらアウトだという気持ちすらあると思うんです。でも、だからって焦ってもいけない。そのとき大切なのはやっぱり人間関係なんだと思います。

これからのテレビを元気にするために

――これからはどういうことを、やっていきたいと思われますか?

栗原:テレビ業界を少しでも元気にしたいという思いはあります。でも、それは精神論ではどうにもならないんですね。やっぱり、変わるときは、たった1個のコンテンツから変わると思うんです。そのひとつを自分で作れればいいなと思っています。

――そのときの、テーマやターゲットというのはあるのでしょうか。

栗原:ちょっと前まではすごくあったんですよ。40代になったころは、女性の先輩もいないので、大人の女性を描くドラマだったり、大人の女性が見たいと思うものを私が作らないといけないと思っていました。でも50歳になった今は、「それだけが栗原の仕事です」とは思っていないんです。

――とはいえ、雇用機会均等法が施行されてから2016年で30年を迎えますし、ドラマの世界では「企業もの」の人気も高いので、女性管理職をじっくり描いてほしい気もします。

栗原:もちろんそういった作品も作りたいと思っているんですけど、今はスキームや枠組みをどうするかという方向に気持ちが移行しはじめていますね。このアイデアをもっとこうしたら大きな仕事になるんじゃないかなんて考えることのほうが多いです。でも、私にしかできない仕事についても考えていきたいですね。

(西森路代)