紗倉まな✕ヨシダナギ:「大きくなったらマサイ族になりたい」が、はじまりだった【前半】

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「モノづくり大国」と言われる日本。その中でも「エロ」は世界でも有名。そんなアダルト業界で、自らを「えろ屋」と称しAV女優として活躍する一方、小説家としても活動する紗倉まなをホストに、文化やエンタメを支える様々な「クリエイター」をゲストにお届けする、『紗倉まな対談企画 モノづくり大国♡ニッポン』。


第3回目は、フォトグラファーのヨシダナギさんをゲストにお届けします。

■◆幼少時代の将来の夢は「マサイ族」だった

紗倉まな(以下、紗倉):ヨシダさんは小さい頃からアフリカ人に憧れていたということですが、それってなにかきっかけがあったんですか?


ヨシダナギ(以下、ヨシダ):5歳のときに、たまたまテレビでマサイ族を見たんですよね。当時は人種という概念がなくて、純粋に「かっこいいな。将来こうなりたいな」って思ったのがスタートですね。紗倉さんは小さいときに憧れていたキャラとかいましたか?


紗倉:私はセーラームーンになりたかったですね。


ヨシダ:私の場合、その対象がマサイ族だったって感じです。


紗倉:みんながセーラームーンとかレンジャーものに夢中になってるときに、ナギさんはマサイ族に夢中だったわけですね。


ヨシダ:肌の黒いかっこいい人と漠然と思っていて。「私もあの職業についたらあの姿になれる」、「大人になったらこの職業に就く」と信じてましたね。


紗倉:私はセーラームーンになりたかったけど、職業としては捉えていなかった気がします(笑)。ちなみにマサイ族はどんな仕事をする人たちだと思っていたんですか?






ヨシダ:槍を持って青いマントを付けて飛び跳ねる仕事なんだろうなと。


紗倉:発想が斬新!!マサイ族になりたいっていう思いは何歳ぐらいまで持っていたんですか?


ヨシダ:10歳までは純粋にその仕事につけると思ってましたね。ただその頃には、もう肌の色の違いはわかっていて。


紗倉:あの肌にはなれないと?


ヨシダ:ううん。それは、どこかのタイミングで市役所の人が「黒・黄・白」のボタンを持ってきて、ボタンを選んで押したらその肌の色になれるものなんだと思ってました。


紗倉:か、かわいい…!(笑)


ヨシダ:私の周りには、たまたま黄色を選んだ人が多かったんだろうなって。それで、小学4年生の頃に「私のボタンはいつくるんだろう?」母に聞いてみたら、「あんたその話どこで聞いたの!?」ってなって。


紗倉:お母さんはびっくりしちゃいますよね。


ヨシダ:そこで初めて「アフリカ人はその国で生まれたからそういう姿をしているのであって、あんたがあの姿になることはない」って教えられたんですよね。


紗倉:断言されちゃったんですね。


ヨシダ:まぁ、親はいやですよね(笑)。


紗倉:でも、それを告げられた時はなかなかショッキングだったんじゃ?


ヨシダ:人生初の挫折でした。






紗倉:そうですよね…。私も小さい頃に、セーラームーンになれないって突然断言されたらショックで引きこもってたと思います。


ヨシダ:「がんばったら何でもなれる」と聞いていたのに、がんばってもなれないものがこの世の中にあるんだなって。


紗倉:その年で悟ってた!そこで夢は破れたわけですが、マサイ族に対する思いは変わらなかったんですか?


ヨシダ:マサイ族になれないと知ってからは、「なりたい」という思いから「いつか会いに行きたい」という気持ちに変わっていて。それで、大人になってから実際に会いに行きました。


紗倉:やっぱり初めて会えたときは感動しましたか?


ヨシダ:それが、意外と観光客慣れしてて!写真撮ったら「お金ちょうだい」みたいな感じで。


紗倉:ビジネス臭が…。


ヨシダ:そうなの!だから、その辺りはドライなんだなと。


紗倉:がっかりして嫌いになることはなかったんですか?


ヨシダ:少数民族に関しては「思っていたのとちょっと違うな」とは正直思ったけど、旅を共にしたガイドや旅で出会った人がすごくいい人で。そういうこともあって旅そのものはいい思い出になっていたから、その後も少数民族に会いに行くことはやめなかったですね。




■◆14歳で芸能界デビュー。でも本当はすぐ辞めたかった

紗倉:中学2年生で学校に行かなくなったということでしたが、その後は何をして過ごしてたんですか?


ヨシダ:ちょうどこの時期に家にパソコンが来たので、パソコンばっかりさわってましたね。それで14歳の頃、掲示板で30代前半の出版社に勤めているという人とメール交換をするようになって。


紗倉:え!?若干いかがわしく思っちゃうのは私だけでしょうか。


ヨシダ:当時はネットの掲示板もピュアだったので(笑)。それで、その人になぜか「HPを作ってあげる」って言われたんですよ。


紗倉:ますます怪しいんですけど!


ヨシダ:けっきょく、今でいうブログみたいなのを作ってもらって。ある日、「このHPを作ってる人の顔をみんなに見せてあげたいから、バストアップの写真を送って」って言われて、よくわからないけど送ったんですよね。そしたら、その写真が私のHPのトップページのど真ん中にどーーんって掲載されてて(笑)。


紗倉:使い方(笑) 


ヨシダ:私もびっくりでしたよ〜。でもそれをきっかけに、14歳の子がパソコンをいじっているという珍しさもあって、ネットアイドルランキングみたいなので一気に人気が出て。それで、芸能事務所からスカウトが来たんです。






紗倉:すごい流れですね!芸能界入りの話が来たときに、ご家族は反対されたりしなかったんですか?


ヨシダ:「勉強ができないお前は、人とは違う何かをする必要がある」って言われて。じゃあこれもいい機会なのかなということで、グラビアアイドルをすることになりました。まぁ、父がアイドル好きだったってこともあるんですけど(笑)。


紗倉:唯一無二の芸能界入りの方法ですね。ナギさんのお話を聞いて、私は14歳の頃何していただろうと思い返してみたんですが、パソコンでエロ画像見てたぐらいしか思い出せなかった…。


ヨシダ:あはは(笑)。


紗倉:当たり前ですが、全然違う生き方をしているなって(笑)。でもそこからグラビアのお仕事ってなると、引きこもっていたころの生活とは180度変わったわけですよね。


ヨシダ:まぁそうですね。


紗倉:恥ずかしさとかはなかったんですか?






ヨシダ:やっぱり人前に出ることは苦手でしたよ。でもそれ以上に苦手だったのは、グラビアの世界にたくさんいるハングリーな子たち(笑)。


紗倉:やっぱり気が強い子が多かったんですか?


ヨシダ:そうなんです。学校でいじめられていたのに、グラビア界でも同じような状況が起こっちゃったんですよ。


紗倉:ものすごい競争社会というか。


ヨシダ:そう!だから、「私なんでこの業界にいるんだろう?」って嫌になっちゃって。なんでブスにブスって言われなきゃいけないんだろうって。


紗倉:(笑)。女だけの世界ですもんね。もちろんグラビア界の方が全員そうっていう訳じゃないですけど、そういうきつい面もありそうですね。


ヨシダ:そうそう、だからすぐ辞めたかったんですよ。でも、事務所の契約の問題もあったし、親からは「まだ辞めるのは早いんじゃない?」って言われるしでなかなか辞められなくて。それに、この仕事を辞めたところで自分に何ができるかもわからなかったから。辞めるっていいながらけっきょく6年グラビアの仕事をしてました。


紗倉:長く続けてらしたんですね!辞めるタイミングはどうやって決めたんですか?


ヨシダ:20歳っていう年齢かな。あとは、ちょうどグラビアが過激になってきた時代だったから、これ以上はきわどくて嫌だなって思って。
それで、お世話になっているカメラマンさんに相談したら、「お前は絵が描けるんだから、イラストレーターっていう道もあるんじゃないか?」ってアドバイスをくれて。で、グラビアを辞めたいがために「イラストレーターになる!」って次の目標を設定しました。

■◆気が付いたらフォトグラファーになっていた



紗倉:イラストレーターを経て、カメラマンになったんですね。そこはどういう流れだったんですか?


ヨシダ:21歳でイラストレーターになったんですが、23歳には早くもスランプになっていて。で、自分の世界観とか価値観が変われば、生み出せるものも変わるんじゃないかという浅はかな考えで、記録用にカメラを買って1人で海外に旅に出るようになったんですね。今思うと、それが現在につながったのかなと。


紗倉:ということは、そもそもカメラを始めようと思ってカメラを買ったわけではなかったと…?。


ヨシダ:そうなんです。最初はイラストレーターを続けるための道具と言う感覚で。


紗倉:カメラを誰かに教わったわけでもないっていうことですよね?自分の感性で、撮りたいと思うものを撮っていた感じなんですか?


ヨシダ:うーん。撮りたい人やものを撮っていたというか、会いたい人に会いに行っていたとう感じですかね。


紗倉:なるほど!このときもアフリカに行かれたんですか?


ヨシダ:そうです。アフリカって聞くと、貧困とか戦争とか、ネガティブなイメージを持っている人がまだまだ多くて。私が小さいときに憧れていた“ヒーロー”っていうようなかっこいいアフリカ人の姿を見たことがない人がほとんどだったんですよね。
見たことがないのに否定するっていうのが、自分の友達を否定されたように感じてすごく悔しくて。だったら、かっこいい人がいるっていうのを見せてやる!って感じで。


紗倉:そういう思いもあって写真を撮ってたんですね。


ヨシダ:当時はポートレートを撮って、「ほらかっこいいでしょ」って周りの人に見せていたぐらいなんですけどね。


紗倉:それは、これを仕事にしたいっていう思いが少なからずあったんですか?


ヨシダ:ううん、全く。趣味で会いに行って、ついでに撮るっていう感覚です。続けているうちに2年ぐらい前から今の作風になって、それがインターネットで拡散されて今に至るって感じですかね。だから正直なところ、カメラマンになりたいと思ったことは1回もなかったです。






紗倉:グラビアのときもカメラマンのときも、ネットの力を有効に使われていたってことですよね。純粋にうらやましい!タイミングや拡散のされ方で、良くも悪くもなっちゃうじゃないですか。


ヨシダ:確かにそこは恵まれてたかな。


紗倉:写真で食べて行こうと思ったきっかけはあったんですか?


ヨシダ:うーん、それもやっぱりないかなぁ。ただ、イラストレーターをやっているときに、友人が私の写真を見て「上手だね」って言ってくれたことがあって。そのときに「写真の方が楽かも」って思いはしました。キレイなモデルさんさえいれば、写真でいけるんじゃないかなと。


紗倉:イラストのように、0から生み出すのとはちょっと違いますもんね。


ヨシダ:そうですね。と言ってもカメラマンになる方法を自分で模索するほど、その仕事をしたかったわけではなくて。「今からなれるよ」って言われたら楽だなって思ったぐらい。


紗倉:なるほど(笑)。結果的にカメラマンになられたんだと思いますが、「私、カメラマンになった」と感じた瞬間はあったんですか?


ヨシダ:2年半ぐらい前の「クレイジージャーニー」に出演したときですね。テレビ番組に初めて出演した時に“フォトグラファー/ヨシダナギ”ってテロップで流れたのを見て、「私、フォトグラファーなんだ。じゃあ今日からフォトグラファーになろ!」みたいな。


紗倉:あはは(笑)。受け身な部分と、積極的な部分がキレイに融合したんですかね。


ヨシダ:完全に受け身ですよ(笑)。私の場合は、嫌なことはやりたくないけど、特にやりたいこともない。だから、我慢できることであればそれを受け入れるってだけで。


紗倉:流れに身を任せながらも、選択するところはきちんとされてるんですね。クレイジージャーニーの出演依頼が来たときは出演することに迷いはなかったんですか?


ヨシダ:もともとその番組を見ていて、楽しそうだなって思ってたので、声をかけていただいたときは嬉しかったですよ!なので、私にできることならという感じでした。(12月24日公開の後編に続く)


(石部千晶:六識/ライター)
(渡邊明音/撮影)
(KANAKO/紗倉まなヘアメイク)
(ハウコレ編集部)