この街では、誰しもが“コンプレックス”を抱えて生きている。

あなたも身に覚えはないだろうか?

学歴、外見、収入…。どれだけスペックを磨き戦闘力を上げても、どんなに自分を取り繕っても、何かが足りない。「劣っている」と感じてしまう。

…そう、それがコンプレックスだ。

先週は失われていく若さと美貌にコンプレックスを抱く女を紹介した。

今週は、「一般家庭の生まれ」というコンプレックスを持つ専業主婦・麻子(33歳)の例をお届けする。




根本麻子のコンプレックス:「私はそんなに蔑まれなくてはいけない対象なの?」


人生を大きく変える出来事は、一生でそう何度も起こるものではありません。

私の人生が大きく変わったのは…夫・祐輔との出会い、そして結婚でした。

出会いこそお食事会ですが、すぐにお互い惹かれあい交際をスタートした私たち。

祐輔と私は不思議なほどに気が合ったのです。

付き合って3カ月が経つ頃には、お互いに結婚を意識するようになりました。

彼の実家は渋谷区の高級住宅街にあり、非常に裕福な家庭の一人息子であると知った時は少し不安になることもありました。私はごく普通のサラリーマン家庭の出身なので。

しかし特に彼のご両親に反対されることもなく、29歳で結婚。その後スムーズに子宝にも恵まれ、夫の両親がプレゼントしてくれた都心のマンションで幸せに暮らしていました。

金銭的に困ったことは一度もありませんし、5つ年上の夫・祐輔はとても穏やかな性格で、小さな娘の世話も率先して担当してくれます。

私は極めて恵まれた専業主婦になったのです。友人たちは羨望とも妬みともつかない視線を私に向けましたが、両親が喜んでくれたのが本当に嬉しかった。

義両親もご夫婦仲が良く、頻繁に夫婦で海外旅行やクルーズに出かけていました。なので心配していたような煩わしい嫁姑問題もなく、極めて良好な関係だったのです。

けれど、ある日突然。75歳の義父が心筋梗塞でこの世を去りました。

そしてこの義父の死が、私の人生を再び大きく変えるきっかけとなったのです。


独り残された73歳の義母。その存在が麻子の人生を狂わせていく。


「今日からこの家で独りか…寂しくなるわ」

葬儀の後、お義母さまがそう仰るのを聞いて私は心から可哀想に思いました。

当然夫も同じ気持ちだったようで、私たちは義父の死以来努めて渋谷の家に遊びに行くようにしたのです。それでなくても心の弱った73歳の老人を独りにしておくのは心配ですから。

そのうち、週末は実家に戻り皆で夕食を囲むのが習慣になりました。そんなある晩のことです。お義母様は、私たちにこう言いました。

「ねぇ、あくまでも提案なんだけれどね。あのマンションは売って、あなたたち、この家に来ない?2世帯にして、キッチンもお風呂も分けて、プライバシーもきっちりするから」

お義母様の突然の提案に、私は大いに狼狽えました。

けれども夫は乗り気のようです。ちょうど不動産価格が高騰していて、売却するにもとても良いタイミングだったということもありました。

私はそれとなく反対してみたのですが聞き入れられることはなく...あれよあれよという間に2世帯の話が現実的になってしまったのです。

当然、不安だらけでした。けれど介護が必要となった時は人を雇うという約束をしてもらい、大好きな夫から頭を下げられたしまえば…私は断れません。

そして、日々のお食事とお風呂が別ならそう大きなトラブルにはならないだろうと同居を承諾したのです。

それから1年もしないうちに、見事に生活空間の分離した大きな2世帯住宅が誕生しました。




「わぁー、大きなお家だね」

ブランコなどの遊具まで備え付けられた庭を見て、娘は大喜び。そんな彼女の様子に、祐輔と私は顔を見合わせ微笑み合いました。同居はスムーズにスタートしたかのように思えましたが…。

1ヶ月が過ぎた頃でしょうか。私は早くもこの同居を後悔し始めたのです。

理由は、料理の味に文句を言われたとか生活音を気にしてしまうなどのよく聞くトラブルではありません。

では何が問題なのかというと、お義母さまが常に悪気なくお話される会話の内容でした。

他意があるのかないのかはわからないのですが...私の心に深く傷を残すような言葉をほぼ毎日、聞かされる羽目になってしまったのです。


義母が悪気なく放つ言葉で刺激された、麻子のコンプレックスとは...


屋台の食べ物を与えるのは、ダメなこと?


「あら、麻子さん。それ美香ちゃんに食べさせるの…?」

例えば皆で出かけた帰り道。

楽しそうなお祭りの音に誘われ立ち寄った屋台で、私が美香にたこ焼きを買い与えようとした時に言われた言葉です。

「ああいうのは何が入ってるか分からないから…」と心配そうに言うお義母さまに、「中にはタコが入ってるんですよ」と無邪気に答えた私はなんて世間知らずだったのでしょう。

後から聞いたところ、夫の祐輔は今までお祭りの屋台の食べ物を買って貰った事がないそうです。理由は「あれは私たちが食べるような物じゃない」からだそう。

これは祐輔の通っていた学校の保護者の間では至極当たり前の常識だそうですが、一般家庭の私には馴染みのない考え方でした。

今まで自分の出自を恥ずかしいなどと思った事は一度もありませんでしたが、その日を境に私は自分の育った環境を少しだけ恥じるようになったのです。




また別の日。

「あら、麻子さん本当にあの幼稚園でいいの…?受験はしないの?」

有名な私立幼稚園の名前を出して受験を促されました。しかし私にその価値観はなかったし、こんなに小さな娘に受験をさせるのは気が進まないと話しました。するとため息まじりにこう仰ったのです。

「それは麻子さんはそういうご家庭で育ったからかもしれないけど…」

ーそういうご家庭。

そのセリフに、私は深く傷つきました。

新しい家はお風呂やキッチンは別で、生活は完全に分離しています。私がお義母さまの世話に明け暮れる生活をしているわけでもありません。

けれども美香の子育てに口を挟むだけでなく、私の育ちにまで言及してくるお義母さまに、だんだんと嫌気がさしてきたのです。

ーやっぱり同居なんてするんじゃなかったわ…。

けれども、それは遅すぎる後悔でした。近所にママ友を作ろうとも、その両親とお義母様に関係があるとも知れず、うかつに愚痴もこぼせません。

以前は快活で悩みもなく、同じような境遇のママ友と過ごしていた私。

しかし今ではお義母さまのお茶に付き合わされ、同じ自慢話を壊れたレコードのように延々と繰り返される毎日で、私は精神的におかしくなっていきました。

自分の生まれや育ちに変なコンプレックスを抱くようになり、頭痛に悩まされ無気力感を感じ、そしてとうとう限界を迎えたのです。


麻子が考えついた、復讐の方法とは


−お義母様に家を出て行ってもらおう。

私が頭痛や無気力を誘発しているストレスの原因は明らかにお義母様です。

であればお義母様に家を出て貰うしかない。考えれば考えるほど、それしかないと思うようになりました。

「ねぇ祐輔。最近、お義母様が何回も何回も同じことを言ったり、どうも物忘れも激しいみたいなの」

私は夫に訴えました。これは、あながち嘘でもありません。だってお義母様は本当に、毎日同じようなお話ばかりされるのですから。

いかに自分が素晴らしいお育ちで私とは格が違うというようなことや、祐輔の教育にどれだけの手間暇をかけたかについて延々と繰り返すのです。

優しい夫は私の負担を考え、介護の人を家に雇おうと提案してくれました。

しかしそれに対し私は「とんでもない、嫁として何とか頑張るから」と一度拒絶をしました。そしてしばらくしてから再び、今度は少し事実を誇張して夫に訴えました。

「お義母様はプライドの高い方だから絶対に言わないでね。でもね、最近お手洗いを失敗しているみたいなの…それに、あるはずの私の持ち物が失くなっていたりするのよ」

初めは信じられない様子でした。しかし本人に聞けない以上、夫には真実を確認する術がありません。

私は近所にある高級老人ホームのパンプレットを取り寄せ、夫にそっと渡しました。そうして...ついに、愛する夫が決断してくれたのです。

夫が施設の話を切り出すと、お義母様はひどく取り乱し「この女の差し金よ!」などと私を口汚く罵りました。

まあ、それは事実です。

しかし穏やかだったはずのお義母様の豹変は、夫の目に「母はおかしくなってしまった」と映ったよう。

こうして私は、お義母様を老人ホームに送り込むことに成功しました。ストレスの原因は取り除かれたのです。けれど...。

なぜでしょう。私の無気力は治らず、頭痛も以前より酷くなっているのですー。

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