40代ロックTシャツ論争に見る「自分が着たい服?or世間を意識した服?」“折り合い問題”への唯一の答え
みなさん、こんにちは!ファッションスタイリスト&ライターの角佑宇子(すみゆうこ)です。ここ最近、SNSで話題に上がっている、「年齢に見合わない服を着ている大人」問題。

ロックTシャツや好きなミュージシャンTシャツをはじめとして、“イタ見え”すると指摘する意見と歌手・荻野目洋子さんの「おばあちゃんになっても着ていたい」というコメントなど反論する意見。

ファッションライターとして各メディアで同テーマの記事を執筆している筆者としても、ネットに上がる賛否両論の声を無視することはできません。そこで今回は改めて、ファッションは「着たい服を着るべき」or「TPOに合った服を着るべき」問題にどう折り合いをつけていくべきかについて考えてみました。

◆着こなしは「個性を表現するもの」と「TPOを考慮するもの」がある

着こなしには主に2つの定義があります。ひとつは「私はこういう人間です」という個性を他者に表現する着こなし。もうひとつは「会う人、行く場所にふさわしい服装」を考慮する着こなし。

着たい服を着ればいいという在り方とTPOを考えた服を着るべきという在り方が同時に存在するので、ファッションに関する記事はつねに今回のような賛否両論の声があがりやすいのですね。

そして難しいのは、どちらの定義にも偏(かたよ)りすぎるものではないということです。

「着たい服を着ればいいじゃない!」とは言いますが、じゃあTPOにふさわしくない場でそのような着こなしをしても良いのでしょうか。無論、本人はそれでいいかもしれません。しかし、その場を共にする周りの人が不快に思う服装をしていては、結果的に身につける人の社会的評価を下げてしまいます。

かといってTPOや年齢にとらわれ過ぎては、おしゃれを楽しむこともできません。私たちは常に、この“着たい服と着るべき服”のはざまで揺れているのです。さて、どうすれば自分も周りも納得のいく着こなしができるのでしょう?

◆コミュニティで「不快」に感じさせない範囲で個性を出す

意識をすると良いのは、その場にいる人に不快感を与える服装かどうか、です。

例えば、子どもの保育園のお迎え時の場合、出会う人は保育士、保護者、そして子どもたち。この場において胸の谷間や下着が見えそうなほどの露出、子どもを傷つけてしまいそうなほど長く尖(とが)った爪や過剰なアクセサリーをしていたら? それはきっと周囲に不快感を与えてしまうかもしれません。(あくまでも一例です)

派手な服装、露出、長い爪がたとえ自分のアイデンティティであっても、行く場所やそのコミュニティで与える影響を考えた時にふさわしくなければ、それは周りとって「不快」となってしまうのです。

しかし、不快を感じさせない範囲であれば個性は存分に発揮していても構いません。同じく保育園のお迎え時に、ド派手なロックTシャツを着ていても、Tシャツに清潔感があって、過度な露出もなく、ケガを誘発するようなアクセサリーを多用していなければ、不快に思われることはほとんどないのではないでしょうか。

考えるべきポイントは、出向く場所において「何が人を不快にさせるのか」を意識すること。多くの場合、清潔感のなさ・性的な刺激・オケージョンのルールに反していると不快感を与える傾向にありますので、やり過ぎていないかを一度振り返ることも大切ですね。

◆清潔感があれば、自信を持っていい

人に不快感を与えない服装を総括すると、清潔感のある身なりということになります。

それは服のデザインの問題ではなく、服そのものの状態と露出度合いが大きく起因しています。

つまり、汚くみえる服でもなく、目のやり場に困る激しい露出でなければ、基本的にはどこで何を着ていても大きな不快感を与えることはそうそうありません。