お泊まりデートの翌日。男は先にベッドを抜け出し、女の目を盗んでこっそり…
松坂由里香は、パーフェクトな女。
美貌。才能。財力。育ち。すべてを持つ彼女は、だからこそこう考える。
「完璧な人生には、完璧なパートナーが必要である」と。
けれど、彼女が出会う“未来の夫候補”たちは、そろいもそろって何やらちょっとクセが強いようで…?
松坂由里香の奇妙な婚活が、いま、幕を開ける──。
Vol.1 慎重な男
無機質なブラインドの隙間から、うっすらと朝の光が差し込む。
― 2回目のデートでお泊まりなんて、まだちょっと早かった…?
起き抜けの頭で考えるなり、由里香はすぐにそれを否定した。
― ううん。早めに確かめておきたいもの。結婚するかもしれない相手とは、体の相性だってパーフェクトじゃないとね。
タカシとのデートはたった2回目とはいえ、愛情らしき感情が芽生えているかもしれない。
そう思い、隣で寝ているはずの彼の顔を見て確認しようする。
しかし、だんだんと覚めてきた由里香の目に映るのは、自分だけが取り残されたもぬけの殻のベッドなのだった。
― 朝活とかするタイプ、なのかな?
身につけていたアップルウォッチは、5:17を示している。まだ早朝だ。
「タカシくん…?」
由里香は、タカシの姿を探して寝室を出る。
そして…リビングの真ん中で目にした彼の姿に、思わず愕然とするのだった。
「うそでしょ…。ねえ、一体何してるの?」
◆
「…で、そのまま男の家から早朝のオフィスに出社…ってわけですか。えーと由里香さん、今いくつでしたっけ?」
呆れた顔でそう聞いてきたのは、隣のデスクの星野祐太だ。
「30歳、になったところ」
「ですよね。まったく、いい大人が何やってるんですか」
「仕方ないじゃない!婚活は始めたばっかりで、普通の恋愛とは事情が違うんだから」
「事情ねぇ」
メタルフレームのメガネ越しに投げかけられる、星野の冷ややかな視線。その無言の非難を痛いほどに感じながら、由里香は反論の声をあげた。
「星野くんだって知ってるでしょ。私、今までの恋愛はダメ男ばっかりだったんだもん。だからパーフェクトな結婚をするために、恋愛感情に振り回されないで、条件ありきで婚活をしてるの。
32歳。年収1,400万。下から暁星育ちのおぼっちゃまで、大学は早稲田。都内中小企業の3代目になるべく、ただいま大手商社で武者修行中…。
ほら。これって、婚活市場ではいわゆるハイスペの優良物件でしょ?」
結婚相手としては疑いようのない好条件。そんなタカシとアプリでマッチングしたときには、「この人こそパーフェクトな結婚相手かも」と、確信めいたものさえ感じたのだ。
「1回目のデートは『たきや』で天ぷら。2回目は、シミュレーションゴルフで遊んで、『タイトル アッシュ』でたくさんワイン飲んで、いいムードで…。
そりゃ確かに、アプリで出会ってるし、まだお互いのことはそんなに知らないよ?でも、結婚願望があることは前提なんだし『この人かも』って考えちゃうじゃん」
「で?その、『この人かも』って思えるような男が、一体何してたっていうんです?そんなに怒って」
星野の言葉に、由里香は、今朝の男の行動をまた思い起こす。
「そう!聞いてよ星野くん。ほんとありえないんだから!」
◆
「うそでしょ…。ねえ、一体何してるの?」
早朝のリビングで、コソコソと背中を丸めるタカシ。その後ろ姿に声をかけると、タカシはビクッとして由里香の方を振り返った。
「あ、由里香ちゃん。朝早いね。おはよう」
「何してるのって聞いてるの」
つかつかと歩み寄り、タカシの手元を確認する。
手に持っているのは…由里香の財布だ。
タカシはその中から免許証を勝手に取り出し、差し込む朝日に照らし、まじまじとチェックしていたのだった。
信じられない光景に、由里香は目を見開いたままタカシを見つめる。
タカシはしばらくの間黙り込んでいたが、ふと、ふっきれたように笑顔を浮かべ、開き直って弁明を始めた。
「いや、勝手に財布を漁ったのはごめん。でもさ、僕の特殊な事情、知ってるよね…?」
「特殊な事情?」
怪訝な顔を浮かべる由里香に向かって、タカシは諭すようにつらつらと言葉を続ける。
いずれは家業を背負う立場になること。
会社の業績がよく、業界でも注目を集めていること。
これまで自分に寄ってきた女の子は、“社長夫人”という立場に憧れる、お金目当ての子が多かったこと…。
「だからさ、由里香ちゃんはそんな子じゃないとは思うけど、お金目当ての得体の知れない子だと困るじゃん?
僕、本当に結婚したくて、アプリには正直にスペック書いてるからさ。由里香ちゃんも嘘ついてないか、モラルの低い子じゃないかどうか、早いうちに身辺調査させてもらいたいと思って」
タカシは悪びれもせず、照れ笑いのような笑みさえ浮かべている。
その言い分にじっと耳を傾けていた由里香だったが、ついに彼の足元にあるカバンを奪い取ると、ノートパソコンを取り出す。
「なるほど。自分はハイスペの優良物件だから、私の素性とモラルのレベルが釣り合うかどうかが知りたい…ってわけね」
そう言うや否や、由里香はGoogleの検索窓に『松坂由里香』と入力する。そして出てきた検索結果を、タカシの鼻先に突きつけた。
<松坂由里香 代表取締役CEO…>
<スタートアップニュース:松坂由里香 新卒で外資系投資銀行に入社後、…新規事業部にて…をローンチ…>
<YURIKA MATSUZAKA President and CEO:20◯◯ award winning…>
検索結果には、ずらりと由里香の名前を冠したWebページが並ぶ。
ヘルステック/フェムテック事業の、新進気鋭のスタートアップ。由里香がその経営者であることは、フルネームでの検索結果を見れば一目瞭然だ。
何度も取材を受けている経済メディアのプロフィールには、CEOになる以前のプロフィールも記載されている。
幼稚園から雙葉。大学は慶應SFC。在学中、学生ターゲットのリサーチ会社を起業するも、「就活を経験してみたい」と外資系投資銀行に新卒入社。
その後、やはり自分で事業をしたいという想いから起業…。
「はい、私の身元。普通に聞いてくれれば全部話すのに、どうしてコソコソこんなことするの?」
「あ、いや…ごめん。ほら。中にはさ、自分ではいいことしか言わない子もいるからさ…。
でもまさか、由里香ちゃんがこんなちゃんとした子だったなんて。これなら全然問題ないね!」
タカシは気まずそうな笑みを浮かべると、ごまかすように由里香の肩を抱き寄せようとする。
けれど由里香は微動だにしないまま、息つく暇もなくタカシの名前を検索しはじめた。
「えーと、タカシくんの名字なんだっけ?漢字は?ご実家の会社の名前はなんだっけ?」
「え?由里香ちゃん、なにやってるの?」
「え、だって、婚活では相手のことをしっかり調査しておくべきなんだよね?あれ…。でもタカシくんの名前は、なんのニュースにも、経済メディアにも出てこないね…。
確かにおうちの事業はすごいみたいだけど、タカシくん自身がすごいかどうかは、これじゃ分からないね…?」
さらに、執拗な検索を重ね、由里香はタカシのFacebookにたどり着く。すっかり放置されたタイムラインには、大学時代のインカレサークルの合宿で酔っ払うタカシの写真が、大量に放置されていた。
「わぁ〜。こういうのって、もし身辺調査したらすぐに明るみに出るんじゃない?羽目外しすぎな、おバカな3代目…ってさ」
何も言えないタカシに、由里香はニッコリと微笑みかける。
「やっぱり私たち、気が合うね。私もね、結婚するならモラルの高い男性がいいと思ってたの。
少なくともコソコソ女の子の財布を漁るような人とは、絶対に結婚したくないかな!」
◆
「で、それを捨て台詞にして早朝出社した、と」
「うん」
「なかなか出だしのいい婚活じゃないですか」
「…うん」
「すぐにでも結婚が決まっちゃいそうですね」
「……」
星野のちくちくとした呆れ声に、由里香はついにデスクに突っ伏して声を絞り上げた。
「分かってるよ。星野くんに言われなくても、私が気が強くて傲慢な女だってことは!ああ〜、こんなんじゃ私、いつ結婚できるんだろう…」
「別に、結婚しなくてもいいじゃないですか。女の幸せは結婚〜なんて時代でもないですし」
淡々とそう言い放つ星野の言葉に、由里香はバッと顔を上げる。
長い栗色の髪が揺れ、溢れそうな好奇心を閉じ込めた瞳がきらめいた。
「私はね、星野くんみたいな冷めた人間じゃないの。なんでも経験してみないと気が済まないし、女に生まれたからには“妻”だって“母親”だって経験してみたい。
完璧な人生を送るために、必ず、完璧なパートナーを見つけるのよ」
「俺のことを連れて前の会社を辞めた時もそうでしたけど…。由里香さんってほんと、傲慢ですよね」
「だから、自覚してるって!それに、外銀から引き抜いたのは私じゃなくて、星野くんが『由里香さんが起業するならついていく』って…」
さらなる反論をしようとした由里香だったが、星野は全く取り合わない様子で、オフィスの時計に目をやった。
「さ、雑談はここまで。始業時間です。婚活は業務時間外にどうぞ、社長」
朝の状況とは打って変わって何も言い返せなくなった由里香は、「はいはい、エンジニア兼、敏腕秘書の星野くん」とふてくされ気味につぶやく。
― なによ。今回は、たまたま失敗だっただけ!今まで目標はすべて叶えてきたし、パーフェクトな男を見つけて、結婚だって絶対にするんだから…!
ハーマンミラーのセイルチェアを一回転させて、由里香は決意を新たにするのだった。
▶他にも:「怪しい…他の女といるの?」LINEは盛り上がるのに、電話には一切出ない彼の“事情”
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次に由里香が出会うのは、“情報通な男”。果たしてどんなクセあり男子なのか…?