DJあおいさんと「仕事がデキること」について考えていく連載「私は仕事ができない。」14回目のボヤきは「年々怖くなっていく」です。

【今週のボヤき】

30代になり、後輩や部下もできました。後輩を指導したり注意したりする場面も増えましたが、その際にアタマの片隅で気になるのが「私は怖くなっていないか?」ということです。端から見たら、私が部下や後輩に指導する(時には説教する)姿は意地悪な義姉がシンデレラをいじめているようにしか見えないよなあ…と思うこともあります。もちろん仕事なので、言うべきことは言うようにしているのですが、アタマのどこかで「シンデレラのシーン」がよぎるのです。これも後輩や仕事のためと振り切れればよいのですが、年をとるにつれて怖くなっていくのかと思うとモヤモヤします。怖くならないできちんと指導するには何を心がければよいのでしょうか?

“怒る”と”叱る”の違いって?

感情は自分のために働くものであり、理性は人のために働くものであり、「お前のためを思って怒っているんだ」と感情的になって怒る人はその人のためとは思っていません。「お前のため」という免罪符を振りかざして自分のストレスを発散しているだけです。

本当にその人のためを思っているのなら決して感情的にはなりません、どう教えたらちゃんと伝わるのか、何をすれば理解してもらえるのか、理性で考え叱ることはしても怒ることはしないものです。

“怒る”と”叱る”の違いは理性の有無だと心得てください。

人を育てる怖さはあって当然

指導することに恐怖心があるのは自分本位に怒っていないか、自分の感情を押し売りしていないか、客観的に自分を見ることができていることであり悪いことではないです。

指導する責任の重さを感じている証ですからそのままで大丈夫です、安心して怖がってください。その怖さがなくなってしまうと客観的に自分が見られなくなり主観だけでモラハラをするような先輩や上司になってしまうんですよ。

責任の重さと恐怖心は比例するものです、恐怖心がなくなれば無責任になってしまいます。人を育てる怖さはあって然るべきもの、自分が間違いを冒さないようにちゃんと恐怖心で自分を監視してあげるようにしてください。

目指すのは「魔法使いのおばあさん」

人は自分に余裕がなくなると感情が優先してしまうものでして、余裕がなくなると自己防衛のために感情的になって怒ってしまう生き物なんです。

人を育てるためには常に気持ちに余裕がなければならないということ。気持ちの余裕は公私の充実度から作られるもので、仕事はもちろんのこと私生活も充実させなければなりません。

生活習慣を乱さないように規則正しい生活を心掛けていつも気持ちに余裕を持って指導にあたってください。

後輩や部下を育てるということは、同時に先輩や上司として育ててもらっているということですからね。自分の成長のためにも育ててもらっている感謝を忘れずに敬意を持って指導するように。

シンデレラで言うのなら、魔法使いのおばあさんになってあげるのが指導者の務めってもんよ。