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Drawing for “Dress” 2014 ©Nobuhiro Shimura

「未見の星座」展で出逢った志村信裕の<Dress>という作品をきっかけに、スタジオでカメラに立つ前にモデルがひとときをすごす更衣室兼ヘアメークルームが「dressing room」であることや、ファッション撮影やショーの準備過程で「dress」という言葉が頻繁に交わされていた、ということを思い出した。なかでも、ことさらつよく立ち上がってきたのはスーザン・チャンチオロRUN6のビデオ映像の記憶、それとともにスーザンが繰り返し使っていたフレーズ「I dress you.」という言葉の記憶である。

1995年から2001年まで、全12回のRUNコレクションを発表してきたスーザンは、新作プレゼンテーションのなかに映像作品を含む形態をとったことが多々、あった。RUN3とRUN6はとくに映像が重要な要素であり、なかでも多数のNYの女性アーティストとのコラボレーションによって制作され、パリのパープル・インスティテュートで発表されたRUN6<DIADAL>映像は、コラボレーションによって明快になった彼女のエッセンスが凝縮されたような、美しいストーリーであった。このときの映像は、基本的にはそのシーズンに発表した服を解説するためのもので、その時に彼女が発表した服は、着る側がパーツに解体していくことが可能であり、まったく別の着方を再構築できる、という、服作りにおける双方向性を提示したものだった。たとえば、ジャケットやニットの袖が外されてベストになったり、身頃がスカートになったり、という具合である。さらにスーザンがデニムにはさみを入れ、布地を切り裂いてそれを友人の身体の上に着せ安全ピンで留めることによってあらたな服を創出するというプロセスも撮影し、見るもののDIY精神を鼓舞するエッセンスも含まれていた。

その映像を思い返していくうちに、たちまちスーザンの「I dress you.」というささやくような声が聞こえてきたような気がした。それが、互いに女性が服を着せ合うという行為を映した<DIADAL>の映像のなかで発せられたものか、その後のインタビューのどこかで聞いたものか、あるいは忙しいバックステージの隅に取材で入れてもらったときに聞いたものか、今となっては記憶も判然としない。けれども「I dress you.」がスーザン・チャンチオロという作家のきわめて重要なスピリットを表していたフレーズであることは、長年彼女の制作を見続けてきた私にとって、明白なことであると思えるのである。

服の解体と再構築というテーマは、90年代のファッションの流れのなかでは、マルタン・マルジェラをはじめ実験的な行為が多々試みられていたなかで、スーザンだけが行った行為というわけではなかった。意識の高い何人もの作り手はそこの可能性に目を向け、試行錯誤を繰り返していた。しかしスーザンの場合は服をつくり出すということがもっと彼女が生きることにかかわる根源的な何かにつながっている気配を漂わせていた。「I dress you.」という言葉にはその彼女の生きる世界が集約されているようであった。「なぜわたくしはものをつくるのか?」という問いへの解答へのヒントが。

なぜ彼女は、パターンを工場に渡して大量生産で服を作るというルートにのることを頑に拒んだのか。なぜ友人やアシスタントの身体をかりながら(裁縫用語ではオートクチュールの立体裁断ということになるのだろうが)服の位置を決めて作っていくやり方にこだわり続けたのか? 仕上げた服を、慌ただしく行われる新作発表(服の新作発表の場は、どのメゾンでどの規模で行われてもつねに、非常に慌ただしいものだ)のたびに、友人やモデルたちの身体に「着付ける」こと、できるかぎり生身の人に自分の作った服を着せることにこだわり続け、その着付けの仕上げを自分で行うことに意識的だったのはなぜなのか?それはスーザン自身が誰かを「dress」することによってはじめて、服に生命を宿らせることができるということ、自分がうみ出したものにいのちを吹き込む行為になるということ、それは生きながら祈り続けるという行為でもあること、「人と身体と服」が切り離すことのできない関係にあることを、無意識のうちに彼女が確信しているからではなかったのか。たとえば、「幼いころの人形遊び(服を人形に着せたり脱がせたりして遊ぶ行為)と、成人してからファッションデザイナーとして服を作っていることは、自分にとっては同じこと」であると、その後幾度もの取材で、彼女が語ったように。「dress」という一つの言葉を前に行われた、私の記憶のあらたな上書きは、スーザン・チャンチオロという、ファッション界からもアート界からも異質で在り続けながら最先端のクリエーションを行っている作り手の姿勢を、再定義させるものだった。ものをつくるということは、世界のなかで神秘的な行為であり続けるとともに、人類が昔から日常の中で営んできた、身近な行為でもある。

志村信裕は東京都現代美術館「未見の星座」展カタログ解説文のなかで「物事は見直すことで、つねに新しい文脈が生まれる」と語った。<Dress>という作品の鑑賞体験は私のなかで、美術館を後にした時間の中でも続いていて、スーザン・チャンチオロと彼女のフレーズを思い出す、という気づきをもたらした。まさしく私は<Dress>によって、「Dress」という見慣れた言葉と新しく出逢い、見慣れた言葉のその奥にある、新たな世界への通路へと接続されたのである。

池に投げ入れた小石が、水面を揺るがせながらしずかにふかく沈んでいくように、<Dress>の残像は、私の中の大切な記憶を呼び覚まし、新たな認識を促した。それは「現代アート」がなぜ、現代という時代性を背負っているかのひとつの解答とも言えるのではないか。普段は離れたところにあると思われているものやことを、意外なところで結びつけてそのつながりを知らせ、そして新たな気づきを呼び覚ますこと。今日、いま、ここをどこまでもふかく見つめることの先に拓かれる世界の可能性を信じて。

(text / nakako hayashi


「未見の星座〈コンステレーション 〉−つながり/発見のプラクティス」
期間:2015年1月24日(土)〜3月22日(日)10:00〜18:00*入場は閉館の30分前まで
会場:東京都現代美術館 企画展示室1F、ほか
URL:本展詳細はこちら

<志村信裕(しむら のぶひろ)プロフィール>
1982年東京都生まれ。武蔵野美術大学大学院造形研究科映像コース修了。現在、山口県在住。
鉛筆、画鋲、マッチなど見慣れた日常イメージをスケール変換して投影する映像インスタレーションを数々手がける。展示される場所の文脈を採り込み、その空間を異化することにより、そこに眠る歴史や物語を見る者の脳裏に静かに立ち上げる。
主なグループ展、個展に、2010年「あいちトリエンナーレ 2010 都市の祝祭」(長者町会場)、2013年「ヴァンジ彫刻庭園美術館コレクション展 この星のうえで」(ヴァンジ彫刻庭園美術館)、2014年 「パランプセスト 重ね書きされた記憶/記憶の重ね書き vol.5 志村信裕」(gallery αM)ほか。
http://nshimu.blogspot.jp/

1988年、ICU卒業後資生堂に入社。宣伝部花椿編集室(後に企業文化部)に所属し、『花椿』誌の編集に13年間携わる。2001年よりフリーランスとして国内外の雑誌に寄稿、2002年にインディペンデント出版のプロジェクト『here and there』(AD・服部一成)を立ち上げ、現在までに11冊を刊行。著書に『パリ・コレクション・インディヴィジュアルズ』『同2』、編著に『ベイビー・ジェネレーション』(すべてリトルモア)、共著に『わたしを変える”アートとファッション” クリエイティブの課外授業』(PARCO出版)。2014年、茨城県の水戸美術館と四国の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で開催された同名の展覧会の原案となった書籍『拡張するファッション』(スペースシャワーネットワーク)に続いて、展覧会の空気や作家と林央子の対話を伝える公式図録『拡張するファッション ドキュメント』(DU BOOKS)が発売された。



「日々の生活が、アートになる」スーザン・チャンチオロ:MIMOCA「拡張するファッション」展より journal by林央子