原石じゃなくても、磨けば輝く石はある。何度くじけても有澤樟太郎はあきらめない

久しぶりに錦糸町駅(東京)で降りた彼は、母校を訪ねた卒業生のような顔をしていた。

俳優・有澤樟太郎、23歳。ミュージカル『刀剣乱舞』の和泉守兼定役で一躍脚光を浴びた有澤は、今や漫画、アニメなどを原作とした2.5次元舞台の主力俳優のひとりに。6月に上演された初の主演舞台『SLANG』は初日を待たずして完売となるほど、高い人気を誇っている。

眩(まばゆ)いライトを浴び、観客の視線を独り占めするような人気俳優も、最初から花道が用意されていたわけではない。むしろ大抵の者は、その逆。誰にも見つけてもらえない不安。演出家のオーダーにうまく応えられない悔しさ。表舞台で語られることのない挫折や不遇を乗り越えて、彼らは今、ステージの中央に立っている。

有澤もまた、ここへ辿り着くまでに人知れず悔しい思いを味わってきた。錦糸町は、デビュー作である舞台『K』第二章-AROUSAL OF KING-の稽古のために通った街だ。

暗澹(あんたん)たる思いに押し潰されそうになりながら歩いた稽古場までの道。稽古開始の2時間前から自主練習をしていた近所の公園。この街のさまざまなところに、無我夢中だったあの頃の残影が息づいていた。

撮影/すずき大すけ 取材・文/横川良明
スタイリング/青木紀一郎 ヘアメイク/田中紫央

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相次ぐ怪我。大好きだった野球への情熱を失った瞬間

小さい頃からずっと役者になりたかった。きっかけは、大好きな特撮ヒーロー。いちばんハマったのは『電磁戦隊メガレンジャー』(1997-1998年)。ほかにも『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(1992-1993年)に『激走戦隊カーレンジャー』(1996-1997年)。有澤(1995年生まれ)のリアルタイム世代より少し前の作品が好きで、よくヒーローごっこをして遊んでいた。
「その頃からずっとこの画面の中に入りたいっていう気持ちはありました。ただ、まだ小さい頃はそれが恥ずかしくて、友達には全然言えなかったですけど」
そんなシャイな有澤がTVへの憧れとは別に情熱を捧げたのが、野球。高校野球が大好きで、地元の甲子園(兵庫県)によく観戦に繰り出した。自分もいつかあの場所に立つことができたら――。
憧れは、やがて目標に変わった。小学校を卒業した後は、野球の強豪校として知られる私立中学に進学。厳しい練習を耐え抜いた。
「練習はまあしんどかったです(笑)。学校からちょっと離れたところにあるグラウンドを練習用に借りていて、毎朝そこまで走らされるっていう。しかもその道が坂になっていて。行きは下りだから楽なんですけど、帰りが地獄。傾斜は緩いんですけど、地味に長いんです。重いペダルをずっと漕いでいるような感覚でした(笑)」
練習は毎日、日が暮れるまで続いた。それでも音を上げなかったのは、いつかレギュラーを獲りたいという思いがあったから。しかし、その熱意もあっけなく打ち砕かれた。
「上級生が引退して、これから自分たちの代だってなったときに両手を怪我したんです。それで2〜3週間、安静にして。そこから久しぶりに練習に合流したときに、遅れを取り返そうと張り切ったら、また怪我をしちゃって……。気持ちが折れて、しばらく休ませてもらうことになりました」
当時、部員数は約60人。その中で、たった9人のレギュラーを争っていた。伸び盛りのこの時期に練習を休むことが、どれだけのハンデになるか。ずっと頑張っていた有澤だからこそ、その意味もよくわかっていた。
自分を置いて、部員たちはどんどん前に進んでいく。そんな焦燥に駆られるうち、いつしかもう前線に戻る気力も潰(つい)えていた。中学2年生、有澤にとって人生で初めての挫折だった。

反抗期突入。立ち直るきっかけをくれたのは、母だった

「そこから反抗期へ突入です。当時はヤバかったですよ。今この場に母親を呼んで、そのときの話をしてほしいぐらい(笑)」
目標を見失い、気持ちが荒んだ時期を、気恥ずかしそうに振り返る。部活を辞めて時間に余裕のできた有澤は、友達に誘われるがまま遅くまで外で遊びほうけるようになった。
「うちは門限が夜8時と決まっていたんですね。でも、当時は携帯も持っていなかったし、腕時計もなかったから、全然時間がわからなくて。友達に『8時には帰らないといけないんだけど、今何時?』って聞いたら『全然大丈夫。まだ1時間半もあるよ』と。それを信じて遊んでいたら、あっという間に10時半になっていて。案の定、家は鍵がかかっていて閉め出し状態。それから遊びに行くときは目覚まし時計を持っていくようになりました(笑)」
反抗期と聞いて身構えたら、どこか抜けていて可愛らしい。根が真面目な有澤らしいエピソードだ。とはいえ、そんな気持ちの緩みはどんどんエスカレートしていき、家に帰らなかったり、学校をサボったり、次第に生活は不規則になっていった。
そんな怠惰な毎日から立ち直らせてくれたのが、他ならぬ母親だった。
「野球をやめて、すっかりちゃらんぽらんな生活を送っていた僕を見かねた母親が、ある日、僕に新聞の広告を突き出したんです。それが、いわゆる芸能事務所の募集広告で。『こういうのをやってみたら?』って勧めてくれました」
それは、ひそかに憧れ続けていた世界だった。だけど、そんな夢みたいなところを本当に自分が目指していいのか自信がなくて、ずっと口に出せずにいた。母親の提案は胸の中で足踏みしていた弱気を吹き飛ばし、前へ突き進む勇気をくれた。
「それで、いちばん仲が良かった友達と『このままだと俺たちはダメになる』と話し合って。そのときつるんでいた仲間と一斉に縁を切りました」
「そのタイミングで僕は公立の中学に転校したんですけど、ちょうど中3の2学期という大事な受験シーズン。でも、新しい学校での僕の内申点は当然ゼロ。これはヤバいと思って、死ぬ気で運動会を頑張ったり、転校初日から委員会にも立候補したりして。なんとか内申点を稼ごうと必死でした(笑)」

オーディションに落ちる日々。上京に込めた崖っぷちの決意

デビューへの足がかりを掴もうと、たくさんの芸能事務所に履歴書を送った。けれど、合否の返事さえないところがほとんど。高校3年間、手を替え品を替え試してみたが、反応は梨の礫(つぶて)だった。
「応募用の写真はいつも弟に撮ってもらっていました。でもあまりに落ちまくるから、ちょっとテイストを変えてみようと野球のユニフォーム姿で撮ってみたり(照)。そしたら、ちょっとだけ反応が返ってきたりもしたんですよ。少しでも目にとまればと、写真1枚にもこだわっていました」
だが、最終的に有澤を拾ってくれる事務所は現れなかった。気づけば、高校3年生。これからの進路を考えなければならない時期が近づいていた。
そこで有澤は思い切って勝負に出る。高校卒業と同時に上京。俳優養成所に通うことにしたのだ。ガラリと環境を変える一大決心だったが、胸にあるのは挑戦というよりも、むしろ諦念に近い感情だった。
「オーディションではいいところまで残っても、いつも最後の最後で落とされる。そこでわかったんですよ、僕は何もしなくても選ばれる原石みたいな人間じゃないって。あきらめといったら言葉は悪いですけど、このままやってても今の自分では無理だって痛感した。だったらお金を払ってでも勉強をするしかないと思って、1年間、養成所に通うことにしたんです」
初めての東京。初めてのレッスン。未知のことばかりだったが、心は明るかった。なぜなら、養成所に行けば同じ夢を持った仲間たちに会えるから。一緒に語らいながら、いつか世に出る日を共に夢想した。
「それこそスカウトされるのを期待して、原宿の竹下通りを何往復したことか(笑)」
何者かになりたくて焦ったり、うまくいかなかったり。そんなスタートラインより半歩手前の日々が、今の有澤をつくった。
養成所を卒業した後、今も在籍する事務所に所属が決定。程なくして念願の初舞台が決まった。それが、舞台「『K』第二章-AROUSAL OF KING-」。ここで有澤の物語はいよいよ思い出の錦糸町へと辿り着いた。

高架下の公園で自主練習。頌利くんの存在が、救いだった

舞台『K』は、テレビアニメ『K』を原作とした舞台作品だ。現実とは微妙に異なった歴史を歩んだ現代日本を舞台に、7人の《王》の確執と、その争いに巻き込まれる少年の運命が異能者バトルと共に描かれたアニメで、2012年10月より第1期が放送。その内容を舞台化するかたちで、2014年8月に初演、2015年8月に第二章が上演された。有澤がアンサンブルの一員として出演したのは、この第二章だ。
アンサンブルとは演劇用語で、役名のついていない登場人物を指す。だが、この舞台『K』に関して言うと、アンサンブルと名称はつけられているものの、それぞれに重要な役が与えられていた。初舞台の有澤が演じたのは、アドルフ・K・ヴァイスマン。この世界に君臨する7人の《王》のひとり、第一王権者《白銀の王》という役柄だ。
「台本を見たら出番も多いし台詞もある。これは頑張らなあかんと思いました」
演出を務めるのは、舞台『刀剣乱舞』などで知られる末満健一。演劇に対する情熱に溢れ、多くの若手俳優が末満の現場を経て芝居の本質に目覚めたと語る。
「現場では相当鍛えられました。前々から末満さんの現場は厳しいと聞いていたので覚悟はしていたんですけど、それ以上でしたね」
先制パンチを喰らったのは稽古2日目。その日は「ミザンス稽古」と呼ばれる役者の立ち位置や動きを決める稽古だった。初舞台の有澤は、まだ稽古の流れなんてわからない素人同然。台本を手に、なんとかこの場についていこうとアタフタしていた。そんな有澤に、末満から叱責が飛んだ。
「その日の僕は台詞もろくに入っていなくて、単に読み合わせを立ってやっているのと同じ状態。それを見た末満さんから『あしたまでに台詞を入れてこい!』とめっちゃ怒られて。いつか怒られるとは思っていましたけど、まさか2日目からこんなに怒られるとはって、正直めちゃくちゃビビりました」
「そんな中で救いだったのが、同じアンサンブルで出演していた近藤頌利くん。ふたりして一緒に怒られて、次の日は練習開始の2時間前からふたりで待ち合わせて近所の公園で自主練習していました」
それが、きょう訪れた高架下の公園だった。自分たちは他のキャストより技術も経験も圧倒的に足りない。じゃあその差をどうやって埋めるのか。答えはシンプルで、他の人よりも練習するしかなかった。

先輩俳優がくれたヒント。初めて道が開けた気がした

「正直、またきょうも怒られるのかと考えると、稽古に行くのが嫌だなと思う時期もありました」
あの日の気持ちを包み隠さずに打ち明ける。そんなネガティブな感情に呑み込まれそうになる自分を助けてくれたのが、周りの先輩俳優たちだ。
「とくにお世話になったのが、(伏見猿比古役の)安西慎太郎くんです。落ち込んでる僕に『素材はいいんだから、あしたの稽古ではもっと誰よりも大声を出してみなよ』ってアドバイスをくれて。次の日、『声出てるじゃん。じゃあ次はここをもっと気をつけようか』って新しい課題を出してくれたんです。あと、稽古が終わったらおいしい焼き鳥をごちそうしてくれたし(笑)。慎太郎くんにはよく面倒を見てもらいました」
何が正解かわからず右往左往するばかりの日々。同じ俳優同士だから伝えられるアドバイスは、有澤にとって何にも代えがたい金言になった。中でもよく覚えているのが、鎌本力夫役の松崎裕からもらった、こんなひと言だ。
「まっちゃんさん(松崎)から『他の人の台詞に自分の役のヒントがある。だから自分の台詞ばっかり読むんじゃなくて、もっと台本全部を読み込んだほうがいい』と言われて」
「たしかに当時の僕の頭の中にあるのは自分の台詞ばっかりで、他の人のところまで読み込む余裕が全然なかった。それで、言われた通りに読み返してみたら、台本の至るところに今まで気づかなかったヴァイスマンを理解するためのヒントが転がっていたんです」
ずっとどうやって演じればいいのかわからなかった。でもそれは技術以前に、まず自分自身がアドルフ・K・ヴァイスマンを理解していなかったから。理解を深めることで、役が少しずつ自分のものになっていく。そのうちに、どんどん演じることが楽しくなっていった。
「役の理解が深まると、自分の演技も変わるし、周りの人からも『樟太郎は進んだな』と言ってもらえて、めちゃくちゃうれしかった。ずっと壁にぶつかっていた僕にとって、初めて『道が開けた』と思えた瞬間でした」

ついに迎えた初舞台。有澤樟太郎は、演劇の虜になった

プロの現場がどういうものか、何もわからないまま、臨んだ初舞台。無我夢中でなんとか走り抜き、初日を迎えた。会場は、AiiA 2.5 Theater Tokyo(2018年12月閉館)。込み上げてくる緊張と興奮を抑えて、有澤は舞台に立った。
「初日のことは今でもよく覚えています。僕は暗転板付き(舞台照明が落ちている状態でステージにいること)でインして、最初は客席に背中を向けている状態でスタート。で、名乗りを上げて前を向く流れだったんです。後ろを向いているときから、どんな景色が待っているんだろうってワクワクしていて。いざ振り向いた瞬間、飛び込んできたのは視界に広がる客席。その光景に身震いしそうなほど感動しました」
「じつは、まだ養成所にいた頃、搬入のバイトでAiiA 2.5 Theater Tokyoに行ったことがあったんです。そのときはキャストの鏡台とかを運んでいて。その舞台に今度は自分が演者として立てていることに胸がいっぱいになりました」
ずっと憧れていた景色だった。多くの俳優たちが、どんなに稽古が苦しかろうと、それでも舞台に立つことをやめないのは、あの“板の上”でしか味わえない快感に身も心も虜になってしまうから。有澤もまた舞台の魔法に魅入られてしまった。
「公演期間中は、ファンの方がお手紙やプレゼントをくださって。それもめちゃくちゃうれしかったです。稽古はあんなにつらかったのに、本番の舞台に立つとこうも快感に変わるんだって。舞台ならではのよさを知って、ますます板の上に立つことが楽しくなりました」
そんな自信や喜びが、力になったのかもしれない。勢いに乗る19歳に、思わぬご褒美がもたらされる。
「末満さんは本番に入ってからも、必ず役者の芝居はチェックしていて。1公演ごとにダメ出しを紙にまとめて、それが翌日のホワイトボードに貼り出されるんですけど、1回だけ、僕の演技を認めてくれたことがあったんです。その公演で僕はいいヴァイスマンと悪いヴァイスマンを演じていて。紙にはひと言、『悪ヴァイスマン、○』って」
稽古ではひたすら怒られてばかりいた。褒めてもらえたことなんて、ほとんどなかった。そんな自分に初めてもらえた○印。それを見た瞬間、涙が溢れそうになった。共演の仲間たちも自分のことのように喜んでくれた。
「もう笑みが隠しきれなくて、ずっと口元が緩みっぱなしでした(笑)。でもその日の夜、家に帰って思い返したら、ちょっと泣けてきて。苦しいこともたくさんあったけど、この舞台『K』から僕の役者人生が始まった。そういう意味でも一生忘れられない作品ですね」

和泉守兼定に決まったとき、これは運命だと思った

舞台『K』第二章-AROUSAL OF KING-で初舞台を踏んだ有澤は、同じ2015年の秋、ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」に出演。
そこからさらに有澤の人気に火をつけたのが、ミュージカル『刀剣乱舞』(以下、『刀ミュ』)だ。同作は、名だたる刀剣が戦士の姿となった刀剣男士を収集・育成するシミュレーションゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」を原案としたミュージカル作品で、今や最も勢いのある舞台作品のひとつとして熱狂的な人気を集めている。
有澤が初めて『刀ミュ』に出演したのは、2016年秋から上演された『幕末天狼傳』。新撰組副長・土方歳三が愛用したといわれる和泉守兼定役を演じた。
「もともと僕自身、土方歳三が好きなんですけど、ルーツはうちのおじいちゃん。おじいちゃんが土方歳三のファンで、司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』(新潮社)とか土方歳三に関する本がうちにあって、僕もよく読んでいたんですね。おじいちゃんに報告したら大喜びで。そういうことも含めて、和泉守兼定役に決まったことは運命だなと思いました」
有澤が『刀ミュ』の思い出でいちばんに挙げたのは、2018年春上演の『結びの響、始まりの音』。新撰組の敗北と共に命を散らした土方歳三の最期を描いた同作で、和泉守兼定は主を自らの手で殺めなければならないという複雑な宿命を背負うことになる。
有澤がとくに悩んだのが、同じく土方歳三が愛用したと言われる脇差、堀川国広とのシーン。和泉守兼定の胸中を案じた堀川国広は、新撰組の拠点に単身乗り込むも、捕縛される。危険を顧みない堀川国広の単独行動を和泉守兼定は叱りつけるのだが、有澤の芝居に演出の茅野イサムはなかなか首を縦に振らなかった。
「和泉守兼定は土方譲りの荒っぽくて男気のある性格だと思って、僕はそのイメージから、まずは何でも言動を荒々しくすることで、彼らしさを出そうとしていたんです。でも、土方はただのチンピラじゃない。土方の行動のもとにあるのは、新撰組に対する愛。僕の演技はイメージから取り繕おうとしすぎて、大事な部分が欠けていたんです」
「お前の和泉守兼定はガキが騒いでいるようにしか見えない。もっと深みを持て」。茅野からのアドバイスを何度も頭の中で反芻(はんすう)し、有澤は和泉守兼定像をもう一度ゼロから築いた。
「“怒る”と“叱る”は違うんだっていうことを、茅野さんから何度も指摘されました。大事なのは愛なんだって。和泉守兼定が堀川国広に向けるのは、親が子どもを叱るのと同じ気持ち。もうこんな死ぬかもしれない危険なことを二度とさせないために叱るんだ。そう茅野さんは教えてくれました。そこからですね、堀川国広との関係性が変わったのは」
和泉守兼定にとって堀川国広は良き相棒。そのことはもちろん十分にわかっているつもりだった。だが、そこにある感情の機微をより繊細に拾えるようになった。
「このふた振りの(刀剣男士の)関係って、堀川国広が和泉守兼定を必要としているように見えるけど、それだけではなくて。和泉守兼定も堀川国広を必要としているんだ、と見方が変わりました」
2.5次元舞台は、漫画やゲームのキャラクターを演じることから、表面だけをコピー&ペーストしているように見られることがある。だが、それは大きな誤解だ。俳優たちはどうすればその役として偽りなく舞台の上で生きられるか。その一点を突きつめて、心を砕き汗を流す。
有澤もまた和泉守兼定との出会いを通じて、より真に迫る芝居を追い求めるようになった。元来、とてもシャイな性格だ。あまり自分から前に出るタイプではないようにも見える。
「オーディションのときは周りを蹴落としてでもこの役を掴むぞっていう気持ちでやっているけど(笑)、舞台の上だと一緒にやる相手をよく見せたいという気持ちのほうが強いかもしれないです。それで自分から引いちゃっているところもあるし」
彼が舞台に立つと、それがたとえ悪役であってもどこか品の良さを感じる。それは、彼自身が持つ、こうした心根の優しさが見え隠れするからかもしれない。同じ花でもバラやダリアというよりは、ユリやスミレのような高潔さや清らかさがある。
「俳優としてはまだまだ課題だらけ。というか、課題しかないです」

演劇で世界は変わる。観客の何人かの未来を握っているもの

彼は、葛藤のさなかにいた。デビューして4年。ただ全力でここまで走り抜いてきた。自分が今後どうなりたいかを考える余裕なんて、なかなか持てなかった。
「俳優には、技術で演じる人と気持ちで演じる人がいて。僕から見ると、台本の読み方も熟知していて、ちゃんと技術で演じられる人は、本当に羨ましい存在。でも逆に、気持ちがないと言えない台詞もあるから、そこで勝負できる人もスゴいなと思う」
「技術でやるならやるで、もっとちゃんと技術を深めたいし、気持ちでやれる柔軟な人でもいたい。その一方で、このまま何にも染まらず、今の自分でいたいっていう気持ちもあるし。まだなかなかハッキリした答えはなくて」
やっと夢だった俳優という仕事に就けたのだ。答えを焦る必要はない。ひとつひとつの作品と向き合いながら、ゆっくり考えていけばいい。これからどんな俳優になっていくのか。その答えは、彼自身がその歩みをもって証明していく。
「今、思い描いているのは、説得力のある俳優になりたいということ。舞台って、観客の中の少なくとも何人かの未来を握っているものだと思うんですよ。演劇で自分の世界が変わった人はいると思うし」
ただの希望的観測ではない。これまで自らが舞台に立った中で直接もらった言葉の数々から、有澤樟太郎はそう確信している。
「僕はただ毎日一生懸命舞台に立っているだけ。でもその姿を見て『命を救われました』と言ってくれる人がいて。その言葉をもらったとき、自分の芝居ひとつ言動ひとつが誰かの未来までをも握っているんだって実感したんです。だから、それに見合うだけの深みのある人間になりたいし、ちゃんと説得力のある俳優になりたい」

あの頃の自分には「負けんなよ」と言ってあげたい

4年前、有澤樟太郎は苦しさやプレッシャーに押し潰されそうになりながら、稽古場へと続く道を通っていた。瞼(まぶた)に浮かぶ、まだ心許ないそんな後ろ姿に声をかけるとしたら、今の彼は何と言うのだろうか。
「負けんなよ、ですね。初心を忘れず、でももっと前に出ていいぞって」
23歳の有澤樟太郎が過去の自分に贈る、精一杯のエールだ。
「こうしていろいろ経験を積んでみると、悪い意味で気を遣うことも覚えて。むしろあの頃のほうが無知だったぶん、物怖じせずやれていた気もします。本当はお芝居をするうえで気を遣うなんてしなくていいと思うんですけどね。でも自分はこういう性格だから、どうしても悩むこともあって。何も知らない、無知な自分でいたいなって、逆に最近思います」
経験を重ねることで得るものもあれば失うものもある。それも含めて、今持っているすべてで、これからも舞台に立ち続けるしかない。
あの頃からこれまでの4年間を自己採点するとしたら何点ですか。最後にそう尋ねると、有澤は少し考えてから、こう答えた。
「50点いくかいかないか、ですね。(舞台『SLANG』で)今回初めて座長をやってみて、自分はまだまだだなって痛感したので」
厳しい自己採点。成績表でいえば「優」や「良」はおろか「可」にも満たない。でもそうやって満足しないから、彼は進めるのだ、もっと前へと。足りない残りの50点は未来の自分への期待値でもある。
夢は、叶えるまでが難しい。でも、夢は叶ってからがまた難しい。悩むことばかりの毎日だが、有澤樟太郎はあきらめない。その懸命な姿が、きっときょうも誰かの元気や勇気になっている。
有澤樟太郎(ありさわ・しょうたろう)
1995年9月28日生まれ。兵庫県出身。O型。2015年、舞台『K』第二章 -AROUSAL OF KING-で初舞台。以降、ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」(国見英役)、ミュージカル『刀剣乱舞』幕末天狼傳(和泉守兼定役)、『七つの大罪 The STAGE』(バン役)、舞台『どろろ』(多宝丸役)などに出演。7月からはドラマ『テレビ演劇 サクセス荘』(テレビ東京系)に出演。9月に舞台『今、僕は六本木の交差点に立つ』、そして10月には朗読劇「恋を読むvol.2『逃げるは恥だが役に立つ』」が控えている。

「俳優の原点」特集一覧

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、有澤樟太郎さんのサイン入りポラを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2019年7月10日(水)18:00〜7月16日(火)18:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/7月17日(水)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから7月17日(水)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき7月20日(土)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
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