いつだって自由に、人生を楽しむ。木村達成の成長に欠かせない、いくつもの卒業と涙

その日、木村達成は生徒の顔になっていた。

高校3年間を過ごした青春の地・東海大学付属浦安高等学校。自らの原点を辿って、数年ぶりに母校に帰ってきた木村は、正門に着くなり「懐かしい!」と興奮した様子で声を上げた。

毎朝早くから整備に明け暮れた野球部のグラウンド。憩いの場だった保健室。校舎脇の手洗い場にさえ思い出がつまっている。

ここで過ごした3年間が、今の自分をつくってくれた――木村は何度もそう繰り返した。

ミュージカル『テニスの王子様』(海堂 薫役)で俳優デビュー。その後、ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」(影山飛雄役)でさらに存在感を高め、近年はミュージカル『ロミオ&ジュリエット』(ベンヴォーリオ役)、ミュージカル『エリザベート』(ルドルフ役)など歴史ある大作ミュージカルでも才能を示している。

そんな若き精鋭が選んだ、自らの原点。ここで木村はどんなことを話し始めるのだろうか。

撮影/すずき大すけ 取材・文/横川良明
スタイリスト/部坂尚吾(江東衣裳) ヘアメイク/馬場麻子
衣装/シャツ ¥59,000、トラウザーズ ¥69,000(すべてErmenegildo Zegna / ゼニア カスタマーサービス 03-5114-5300)※すべて税抜
撮影協力/東海大学付属浦安高等学校

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自らの原点。そう聞かれて真っ先に浮かんだのが高校だった

▲写真左から木村さんが高校2年生の頃に英語担当だった古瀬哲也さん(現・副校長)、3年の学級担任および物理担当だった寺田耕司さん(現・教務主任)、在校中の学年主任および数学担当だった横尾雄二さん(現・教頭)。
ここに1枚の写真がある。

3人の先生と肩を並べ、真ん中で行儀よさそうに「気をつけ」をする木村達成。その目が赤くなっているのは、ついさっきまで泣いていた証だ。

この日、久しぶりに足を踏み入れた学び舎でお世話になった先生たちと再会し、いつになくハイテンションになっていた木村は、最後の最後、残念ながら当日不在だった野球部顧問・原文良教諭からのメッセージを読んで、堰を切ったように泣き出した。
もちろんそのメッセージに何が書かれていたかは、木村と恩師のふたりだけの秘密。だけど、そこに書かれていた恩師からの言葉は、卒業から8年、走り続けてきた木村達成の心に深く深く沁(し)み渡るものがあったのだろう。

先生たちとの記念写真を終え、まだ少し生徒の顔をした木村達成は、さっぱりと気持ちのいい声でこう言った。

「いいですね、母校って。きょう、ここを選んで本当によかったなって思います」

野球がしたくて、この高校にやってきた

木村が東海大学付属浦安高等学校(以下、東海大浦安)に入学したのは、2009年春のこと。東京都出身だが千葉県にある東海大浦安を選んだのは、野球がしたかったから。東海大浦安といえば、甲子園出場経験もある野球の強豪校。砂ぼこり舞う野球部専用のグラウンドが、木村の高校生活始まりの場所だった。
「グラウンドの整備がね、大変なんですよ。またこれが重くて。ほら、ちょっと持ってみてくださいよ」

数年ぶりに野球部のグラウンドにやってきた木村達成は、鉄製のトンボを手に取って、少しはしゃぎ気味にそう話しかけてきた。
グラウンド整備に備品の手入れ。入部したばかりの1年生にとっては、雑用も大事な仕事のひとつ。久しぶりにトンボを持って、土をならすその姿に、野球少年だった坊主頭の面影がよぎる。

撮影を終えて次の場所へ移動しようとした瞬間、木村は立ち止まって、グラウンドに向かって一礼をした。野球部の習性ですね、と話しかけると「入るときに忘れちゃったから。出るときはやっとこうと思って」と冗談めかす。そんなところも、明るい木村らしい。

小学4年生から始めた野球。このグラウンドが、木村にとって高校3年間のすべてになるはずだった。だが実際は、1年生の終わり頃に退部届を出している。7年間続けた野球に区切りをつけたのは、他に人生を懸けてみたいものができたから、だった。

16歳。芸能の道に進むために、野球を捨てた

「ちっちゃいときから人を楽しませるのが好きだったんですよ。性格をひと言で説明するなら、ピュアなおバカさん(笑)。授業中、自分が何か言ったことで、クラスのみんなが笑ってくれるのがうれしくて。よく率先して笑いを取りにいったりしましたね」

自他共に認める目立ちたがり屋の気質は、言い換えるなら天性のエンターテイナーの“種”でもある。種から出た芽はぐんぐん上に向かって伸び、やがて土を破り、地上へと顔を出した。

「芸能という世界に挑戦してみたいなと思ったんです。明確に俳優という仕事を意識していたわけじゃないし、その頃はまだ舞台とかミュージカルとか、そんなにはっきりと道を描いていたわけでもないけど。ただ単純に、表に立つことがしてみたかった。それが、野球を辞めようと思ったいちばんの理由でした」

大きなきっかけがあったわけではないという。何か作品を観て感動したとか、誰か強烈に憧れる人がいたとか。そういうわかりやすい出来事があったわけではない。ある種の衝動。でも、理由のない衝動ほどコントロールの効かないものはない。

「なんか、ありません? 全然好きじゃなかったものが急に好きになるときとか。ふわっと言ったことを誰かにバカにされて、じゃあやってやるよって本気になるときとか。そういう感覚と少し似ているかもしれません」

だが、そんな説明できない衝動を、誰もが受け入れてくれるわけではない。とくに木村の場合、野球部での活躍を嘱望(しょくぼう)されていた。監督も、顧問も、わずか1年で部を去ろうとする木村を懸命に説得した。

「そのときに言われたのが、友達のことでした。高校3年間を一緒に過ごした部活の仲間は一生の財産になる。今ここで辞めたら、大人になったときに絶対後悔するぞって」

それは、木村自身もよくわかっていた。野球を嫌いになったわけでも、部活が嫌なわけでもない。ただ、もっと他にやってみたいことが見つかっただけ。たとえそれが大人から見れば甘い憧れであったとしても。
「監督から『君が必要だ。役者とか芸能の仕事は今じゃなくてもいいだろ』って言われて。学校で泣いたのは、あのときが初めてじゃないかな。『今じゃないとダメなんです。挑戦させてください』って泣きながら監督にお願いしました。何かを続けることよりも辞めることのほうが、力が必要なんだって、あのとき、初めて知りましたね」

時間は有限。この瞬間は二度と帰ってこない。そう知っていたからこそ、退路を断ってでも前に進む必要があった。

「そのとき思い出していたのが、小学6年生のときに行った沖縄での戦争学習のことで。戦争のせいでやりたいこともできずに亡くなっていった人たちの話を聞いてから、ずっと自分の中で今この瞬間を大切にしなくちゃという気持ちがありました」

「何かに挑戦したいと思ったとき、別の何かが理由になってできないのであれば、それを捨てる覚悟も必要なんだって。全部を手の中に残しておくことはできない。自分はもう何かを選択しなくちゃいけない年齢になったんだって、そう考えたのを今でも覚えています」

そして、木村は野球部を辞めた。こんなに泣いたことは一度もないというぐらい泣きはらして。16歳、人生で最初の、自分の意志で決めた“卒業”だった。

あの頃の自分はなんでもできると信じていた

だが、事態は思ったように進まなかった。野球部を辞め、本格的に芸能活動に力を入れようとした木村の前に、予想もしていなかった壁が立ちはだかる。

「全然知らなかったんですけど、うちの学校、芸能活動が禁止だったんですよ」

そう言って、自分で笑った。やろうと決めたら、すぐやってみる。そんな木村の猪突猛進な性格が裏目に出た。結局、芸能への挑戦は卒業を待つこととなり、準備できることは週1回程度のワークショップに通うことだけ。夢への走行路には、思いがけず進入禁止の標識が立てられていた。

「でもまあ、気持ちを切り替えて、残りの2年間はとにかくハイスクールライフを満喫しようって決めました」

授業が終われば、私服に着替えて“いつメン”たちと舞浜の商業施設へ繰り出すのが放課後の定番コース。海浜幕張まで足を伸ばし、アウトレットも楽しんだ。部活一色だった毎日とは正反対の、にぎやかな青春の日々。それは裏返すと、胸に染みつく未練を振り切るためでもあった。

「何回も夢に出てくるんですよ、野球が。僕、やっぱり野球がやりたいんですって。そう頭を下げて、もう1回、野球部に戻る夢とか何回も見ました。学校にいると、部活の同期が練習している姿が嫌でも目に入るし。今考えれば、あんなふうに毎日ひたすら遊んでいたのは、自分の中で逃げだったのかもしれないですね」

ひとりになると湧き上がる野球への未練。断ち切るためには、自分で自分の気持ちを明るい方向に持っていくしかなかった。

「芸能の仕事がしたいのにできないこの状態をギャグにすることで気持ちが楽になれた。それに、何かに熱中しているときは、野球のことを忘れられたので。その熱中できる何かというのが、あの頃の自分にとっては、お芝居のワークショップに通うことだったり、友達と遊んでいる時間だった気がします」
その言葉通り、毎日がお祭りのようだった。とくに高校3年生の1年間は、1日1日、日めくりカレンダーをめくるたびに、楽しい思い出が溢れてくるような日々だった。

体育祭の終わりに、みんなで円陣を組んで校歌を歌ったこと。朝一番に学校へ乗り込み、ベランダで焼肉を焼いて、クラスのみんなに振る舞ったこと。仲のいい友達と夜行バスに乗ってユニバーサルスタジオジャパンへ遊びに行ったこと。思い出を挙げればキリがない。

たくさん先生に叱られた。だけど、そのぶん、たくさん周りの人を笑わせた。何にも縛られずに、自由に、人生を楽しむ。今でも変わらない木村のマインドは、この高校3年生での1年間で形成された。

「あの頃は、自分はなんでもできるって思っていた。“何で?”って聞かれたら理由なんてわからないんですけど。ただ漠然と、なんでもできる気がするって思っていました」

中途半端は嫌い。やるならナンバーワンか最下位がいい

その中で唯一の悩みが、進路だった。

「芸能の道に進んで成功したらそれでいいけど、狭き門であることぐらいは当時の自分でもよくわかっていて。本当にこの道に進んでやっていけるんだろうかという不安はありました」

何かあったときの保険が欲しい。大学進学を決めたのは、そんな保身の気持ちも少なからずあった。選んだのは、経営学部。理系のはずが文系の進路を選択している理由も、いかにも彼らしい。

「ビジネスをするなら、トップに立つような仕事がしたかったんです。それならやっぱり経営を学ぶのがいちばんだろうと。しかも高3のときに留学をしていたので、国際経営なんてできたらカッコいいじゃんっていう理由で経営学部にしました。本当に今こうやって話してても、浅い考えだなと思うんですけど(笑)」

けれど、そんな志望動機にもちゃんと木村達成イズムは底流している。やるならトップに立ちたい。ナンバーワンになることが、今も昔も変わらない彼の野望だ。

「東海大の系列の高校はうち以外もいくつかあって。その中でテストの成績がよかった順に志望の学部に行けるんですね。だったら、まずはそこでトップをとってやろうと思って、ほとんど一夜漬けですけど、めちゃくちゃ勉強しました」

とくに勉強が好きという性格ではない。ただ、自分でやると決めたことにはベストを尽くす。そういう性分なのだ。

「好きなのはナンバーワンか最下位。中途半端がいちばん嫌いです。ナンバーワンになれないなら、最下位のほうがいい。たとえば、走るのは速いんですけど、持久走はクラスで最下位でした。つまらないんですよ、同じ景色の中でずっと走っているのが。だから、持久走はやる気が起きない。まあ、言い訳ですけどね(笑)」

ここまで話してきて、だんだん木村達成という人間の輪郭がつかめてきた。この人はとにかく楽しいことが好きなのだ。自分が楽しければ、人が驚くような馬力を出せるけど、楽しくなければまるで気乗りしない。正直で、わかりやすくて、憎めなくて。だから、彼の周りには人が集まるのだろう。みんなが、彼のことを好きになるのだろう。

卒業直前に流した涙。会えなくなることが悲しかった

楽しかった日々は一瞬で過ぎていく。2012年3月、巣立ちのときがやってきた。思い出のつまった校舎に別れを告げ、それぞれが人生の新しいスタートを切っていく。もうみんなでこの教室に集まってバカをやったり、だらだらとくだらない話で盛り上がったりすることもない。近づいてくる“卒業”の2文字が、木村の胸を締めつけた。

「卒業式の数日前に友達みんなを集めて、うちの家でバーベキューをやったんですよ。高3の1年間が本当に楽しくて。でも卒業したら、この楽しい日々がもうなくなるんだと考えると無理だ〜!って(笑)。会えなくなることが悲しくて、みんなの前で泣きました」

恥ずかしそうに笑いながら、柔らかい眼差しに仲間への愛情をたっぷりにじませて、その日のことを振り返る。きっとそんなふうに感傷的になったのは、惜別の気持ちはもちろんのこと、この先の未来に対する不安もあったのだろう。

制服を脱げば、もう高校生には戻れない。夢に向かって進んでいかなくちゃいけない。

自分ならなんでもできる。本人いわく「根拠のない自信」が常に胸を満たしていた。その根拠の真偽が、これから試されていく。怯えと焦りで揺れる中で、ただ無心になって笑っていられる数少ない場所が、高校の友達だった。その安堵感が、「めったに泣かない」という彼の涙腺をほんの少し緩めさせたのかもしれない。

「その日に涙を全部出し切れたおかげで、卒業式当日は泣かなかったかな。1日中、ずっと笑っていましたね。高3のクラスが本当に大好きで。先生が僕たちのことを縛らず、自由にのびのびとさせてくれたおかげで、最高に楽しい1年間を送ることができた。あそこで過ごした1年があったから、今も楽しいことが好きなんだと思います」

この言葉に、木村が母校を原点に選んだ理由が込められていた。今の自分をつくってくれた始まりの場所。楽しい思い出と一生の仲間に出会えた最高の3年間。18歳、木村は笑顔で東海大浦安高を“卒業”した。

『テニミュ』でデビュー。あの頃の僕は尖っていた

大学に進学し、晴れて芸能活動が解禁となった木村は、一足飛びで夢の階段を登り始めた。俳優デビューは、高校卒業から半年あまりが過ぎた2012年10月。若手俳優の登竜門として知られるミュージカル『テニスの王子様』(以下、『テニミュ』)のオーディションを勝ち抜き、青春学園中等部(以下、青学)の2年生・海堂 薫役をつかみ取った。

『テニミュ』は2003年から続く人気舞台で、木村が出演したのは2ndシーズン。座長の小越勇輝を筆頭に、多和田任益、山本一慶、黒羽麻璃央ら、人気俳優が揃っている。稽古を含めて約2年半、青くまぶしい若葉の季節を共に過ごした仲間は、今でもずっと特別な存在だ。

「同年代の役者に対しては常に負けたくないってライバル心を持っていますけど、あのとき一緒に過ごしたみんなにはその気持ちがもっと強い。勝つとか負けるとか何なのかわからないですけど。でも常に彼らの先を行っていたいとは思っています」

この負けん気の強さこそが、木村達成だ。そもそも海堂役を射止めたのも、最終オーディションで審査員をにらみつけていた彼の目つきが、「マムシ」の異名をとる海堂の鋭い眼光にぴったりだったから、と言われている。本人もたびたび公言している通り、当時は相当「尖っていた」という。

「役者同士で飲みながら演技論を語るのが苦手で。そういう役者ぶったことを自分の立場で言っているのが恥ずかしかったんですよ。だから全然そういうところでつるんだりしなくて。今となってはね、そうやって芝居の話を共有していれば、もっと自分の芝居もよくなっていたのかなと思いもするんですけど、あの頃はどうしてもそれが嫌だったんです」

決してドライなわけでも冷めているわけでもない。むしろ逆だ。こんなふうに尖ったことを口にしながら、じつは誰より情に厚くて人が好き。そんな木村の人間臭さを証明するエピソードがある。

さいたまスーパーアリーナで流した“伝説”の涙

2014年11月に行われた、ミュージカル『テニスの王子様』コンサート Dream Live 2014でのこと。『ドリライ』と呼ばれるこのステージは、青学7代目キャストの“卒業”の場だった。さいたまスーパーアリーナを埋め尽くすファンに見守られ、キャストにとっても、ファンにとっても、特別な舞台だ。

そのステージで木村が涙を流したのは、稲垣成弥が演じる乾 貞治と『真逆な二人』〜『一直線上の真逆』を披露したときだった。曲がクライマックスを迎えた瞬間、センターステージで木村は感極まったように泣いた。声を裏返らせ、こみ上げてくる想いをこらえ切れないように、トレードマークのバンダナ頭に手を当てて嗚咽する。それは、海堂から乾への感謝の涙でもあり、共に“卒業”を迎える仲間を思った木村の絆の涙にも見えた。

取材中、当時のことを蒸し返すと、木村は「来たな〜、その質問が」と恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「あの涙は、今でも共演者のみんなからは“嘘泣き”扱いされています(笑)。あんな絶好のタイミングで涙出ますか?って。それぐらいダークホースすぎたんですよ。俺が最初に泣くなんてありえないってみんな思っていましたから」

照れ臭さを誤魔化すように自分でそう茶化したあと、木村は真面目な顔をして、あの頃の気持ちを思い返した。

「(『テニミュ』の仕掛け人である)松田 誠さんから『テニミュのことはお前たちの役者人生の階段のひとつだと思ってくれればいい。だから絶対にここで終わるなよ』とずっと言われていました。それが頭にあったんでしょうね。みんなで『テニミュ』を巣立つのがすごく寂しくて。だって、2年半のあいだ、ずっと一緒にいて、家族みたいな関係だったから」

「家族」という言葉を選んだとき、木村はとても優しい顔をしていた。馴れ合いは好きじゃないけれど、人と人とのつながりを大事にする、彼らしい言葉の選び方だった。

「公演が終わればもうみんなと一緒に過ごした日々も終わって、おのおの別々の道に進むんだって。そう考えたら悲しくて。その気持ちが、あの涙になったんだと思います。高3の卒業前に泣いたときと同じです。みんなと離れるのが嫌で、泣いちゃいました」

あらためて振り返ってみれば、よくわかる。野球部を去ったときも、高校を卒業したときも、そして『テニミュ』の卒業も。木村達成の転機には、涙がつきもの。そして流した涙のぶんだけ、強くなってきた。

男泣きするのは、常に全力で生きているから

涙といえば、もうひとつ忘れられない場面がある。2015年から出演し続けたハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」だ。初演から影山飛雄役を演じ続けてきた木村は、2017年のハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」"勝者と敗者"をもって“卒業”を果たした。

「"勝者と敗者"は本当に大変でした。体力もそうですけど、何より精神的に削られることが多くて。影山にとって超えるべき相手である及川(徹)先輩との直接対決。ひたすら追い込まれる影山に自分の気持ちもシンクロしちゃって。毎公演、ボロボロになっていました」

だからこそ、大千秋楽を迎えたときの表情は晴れやかだった。最後のカーテンコールに主演の須賀健太(日向翔陽役)とふたりでステージに出てきた木村は、舞台の中央で須賀と体育座りをしながら、影山として生きた日々を振り返った。

「あの時間は、やってやったっていう気持ちでした。もうやりきったあとの満足感でいっぱい。幸せな時間でしたね」
万雷の拍手を浴びて、一瞬、泣き崩れそうになりながらも、最後まで笑顔で観客に感謝を告げた木村。だが、バックステージに帰ってきた瞬間、見たこともないぐらい顔をグシャグシャにして、木村は泣き出した。世間にはまだ公表されていなかったが、この"勝者と敗者"をもって木村の“卒業”は決定していた。彼が影山飛雄として観客の前に立つのはこれが最後だったのだ。

あのときの涙について水を向けると、また恥ずかしいのを誤魔化すように、盛大に笑った。

「そう。あのときも泣いてるんですよね〜。熱い男なんです!(笑)」

繰り返してきた出会いと別れ。そのたびに男泣きできるのは、すべての役に全力でぶつかってきたから。あらゆる経験が、木村達成の血肉となっている。

「今までやってきたことは何ひとつ無駄じゃないと思うし、そう思いたい。まあ、無駄でもいいんですけどね。無駄だと思っていたものも、きっと最終的には無駄じゃなくなっていると思うから」

リフと向き合った時間が、役者の自信を取り戻させてくれた

母校・東海大浦安高から始まった木村の役者の道は、今、かつてない困難に見舞われている。新型コロナウイルスの影響によりブロードウェイ・ミュージカル 『ウエスト・サイド・ストーリー』Season3、ミュージカル『四月は君の嘘』と出演舞台が相次いで中止に。『ウエスト・サイド・ストーリー』に関して言えば、劇場入りを終えて衣装付き通し稽古まですませた段階で、全公演の中止を聞かされた。

「ニュースで感染がどんどん拡大しているのを聞いていたので、どこかで覚悟はありました。でも実際に中止と聞いたときは、悔しいとか悲しいとか、そういう気持ちすら出てこなくて。何の感情もなく、ちょっとぼーっとしてしまいましたね」

木村が演じる予定だったリフという役は、不良集団のリーダー。彼の怒りが、物語を悲劇へと導いていく重要な役どころだ。残念ながらその演技を観客に披露することはできなかったが、稽古を通じて得た収穫は大きかった。

「(Season3には)Season1にも出演したキャストさんが何人もいたんですけど、稽古を重ねるうちにSeason1で固めたものをぶっ壊して、また新しい『ウエスト・サイド・ストーリー』を自分たちでつくっている実感が湧いてきて。みんなの目が絵に描いたように楽しそうに輝き出す光景を何回も目にしたんです。だからこそ、俺のリフはこれでいいんだと思えました」

その手応えは、見失いかけていた役者としての自信を取り戻すのに十分な強度があったという。

「じつはその前の『ファントム』というミュージカルのとき、これでいいんだという感触をつかむのに苦労して。今でもあれが正解だったのか自信がないんです。そういう心境で『ウエスト・サイド・ストーリー』に入ったからこそ、自信を持って演じられることがうれしかった。あの稽古期間がなかったら、今もまだ悶々とした気持ちを抱えたままだったかもしれないです」

そんな心境の変化もあったからだろう。ステイホーム期間中も、あまりマイナスの方向に心が引っ張られることはなかった。

「もちろん仕事ができないことへの不安はありましたけど、こういう状況だからこそ楽しいことを見つける嗅覚を思い切り研ぎ澄ませていました。忙しくてなかなかできなかった『モンスターハンターワールド:アイスボーン』を朝から晩までプレイしたり。新しいことをやってみようとウクレレを始めてみたり(笑)」

根っこにあるのは、高校のときに培った、何にも縛られずに、自由に、人生を楽しむマインド。楽しむ気持ちを見失わない限り、先が見えないこの状況下でも木村の心が折れることはない。

「作品が中止になったことは残念ですし、まだコロナ(新型コロナウイルス) が解決していない中でこういう言い方をするのは軽率かもしれないですけど、僕はまた舞台に立てる日が来るのが楽しみでしょうがないんですよ。きっと言葉では表現しきれないような気持ちになるだろうし、今までと違う視線で物事を見られるようになっていると思う。そういう自分にちょっとワクワクしているんです」

木村達成の自由なマインドは、高校生活がつくってくれた

数年ぶりに訪れた母校。あの頃よりずっと狭く感じられる教室で、あの頃のように席に座って、原点からの歩みを振り返ってきた。いつになく感傷的になった木村に「当時の自分に負けないものは?」と聞いてみると、「語彙力! ボギャブラリーが増えました」と笑わせたあと、「それ以外は全部負けている」とさらりと呟いた。

「あの頃は自分ならなんでもできると、根拠もなく信じていました。その気持ちが消えかかっているのはたしかです。何でだろう。やっぱりこの世界に入って、上には上がいるということを何度も突きつけられてきたから、かな。昔みたいに純粋に自分を信じることが難しくなってきているのかもしれない」

現実を知ったからこそ、自分の実力も、理想との距離もよくわかる。「ナンバーワンか最下位がいい」と言うほどの負けず嫌いに、「まだ今は自分のことをナンバーワンだとは思えない?」と聞くと、即座に「言えないですよ」と笑い飛ばした。

「ここで『ナンバーワンです』って言ったら完全に笑いを取りに行ってるじゃないですか(笑)。あ、でもせっかくだからそのパターンもやっておきます? じゃあもう1回聞いてください。そしたら『もちろん俺がナンバーワンです』って言うんで(笑)」

はしゃいだように答える木村に、「でもナンバーワンになりたいでしょ?」と聞き返すと、ひと言、「やるからにはね」とクールに宣戦布告した。短い言葉に込めた野心。これまで常にベストを尽くし続けてきた彼のことだ。きっといつかその野心を現実に変えることだろう。

「だから、あの頃の自分には『Let it be』と言ってあげたい。そのまんまでいいよって。だって、俺、なんにも後悔していないから。思うままに生きたらいいよって声をかけてあげたいです」

母校への凱旋を経て、そう当時の自分を肯定する。何も後悔していない、と言い切れる潔さもまた彼の魅力だろう。

「あ、でもこの流れで最後、Let it beで締めくくるのもなんかダサいですかね? あれだったら、『ワハハ』って入れておいてください(笑)」

そうやって最後にボケるのも忘れない。自分も楽しみ、周りも楽しませる。サービス精神がよく表れている。そして、そんな木村らしさを築き上げてくれたのは、この学び舎だった。

何にも縛られずに、自由に、人生を楽しむ。木村達成の核を、高校生活がつくってくれた。自分はなんでもできるという全能感に満たされながら、1分1秒を全力で楽しみ尽くした。8年の時が過ぎ、もう18歳の自分からはずいぶん遠く離れた場所までやってきたけれど、あの青春の輝きが心を灯し続ける限り、どんな困難にも絶対に負けない。

木村達成は、いつだってずっと無敵だ。
木村達成(きむら・たつなり)
1993年12月8日生まれ。東京都出身。A型。2012年、ミュージカル『テニスの王子様』(海堂 薫役)で俳優デビュー。主な作品に、ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」(影山飛雄役)、『ラ・カージュ・オ・フォール 〜籠の中の道化たち〜』(ジャン・ミッシェル役)、『ロミオ&ジュリエット』(ベンヴォーリオ役)、『エリザベート』(ルドルフ役)、『ファントム』(フィリップ・シャンドン伯爵役)などがある。9月には神奈川芸術劇場で白井晃演出による音楽劇「銀河鉄道の夜2020」(ジョバンニ役)に出演するほか、11月よりミュージカル『プロデューサーズ』(カルメン・ギア役)を控えている。

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サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、木村達成さんのサイン入りポラを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2020年7月15日(水)18:00〜7月21日(火)18:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/7月22日(水)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから7月22日(水)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき7月25日(土)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
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