「演劇バカ」が生まれたあの日。松田凌が下北沢でたどり着いた、本当の人生の出発点

ずっと演劇が好きだった。小さい頃から叔母に手を引かれ連れていってもらった劇場の数々。目の前に広がるエンターテイメントの世界に、胸はいつもはちきれそうだった。

そして、高2の冬、東京・下北沢の小さな劇場で観た1本の芝居が、彼の人生を変える。役者になりたい。自分も舞台の上に立ちたい。その衝動を、人は「夢」と呼んだ。

役者・松田凌。2012年、ミュージカル『薄桜鬼』斎藤 一 篇で初舞台にして初主演。寡黙な一匹狼・斎藤 一を堂々と演じ上げ、以降、舞台『メサイア』シリーズや舞台『K』シリーズ、ドラマ・舞台『男水!』など、2.5次元舞台人気の担い手のひとりとして活躍。今では2.5次元という枠を超え、さまざまなジャンルの作品に切れ目なく出演し続けている。

夢を叶えた今も、彼にとって下北沢という街は特別な場所だ。この街の空気は、どこが他の街と違うと語る。愛する演劇や音楽の匂いが息づいていて、夢を追う者たちに温かくて、街角に貼られた公演中のポスターも、演劇人御用達という名物中華料理屋も、目に映るすべてのものが彼の心をときめかせる。

そんな街で語る、まだ自分が何者でもなかった頃のこと。これは、「役者・松田凌」が産声をあげる前夜の物語だ。

撮影/すずき大すけ 取材・文/横川良明
スタイリング/ヨシダミホ ヘアメイク/大島千穂
撮影協力/ザ・スズナリ、観劇三昧 下北沢店

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父親がベジータで僕はトランクス。悟空にはなれないんです

小学校の卒業文集。みんながそれぞれ将来の自分を夢想する中、松田凌はひと言、こう書いた――。スゴいヤツになりたい。具体的なビジョンはない。どんな職業に就きたいかハッキリしていたわけでもない。ただ、このまま「普通」で終わるのが嫌だった。

「何かの主人公になりたい。自分の可能性を信じたい。そういう願望は常にありました。言葉は悪いかもしれないですけど、中二病がそのまま成長したような感じで。進学とか、就職とか、周りが将来についてあれこれ考えていく中で、みんなの進路が悪いわけではないけど、“そうじゃないんだ僕の人生は”って悶々としながら、ずっと学生時代を過ごしていました」

幼い頃から、漫画や小説、映画、演劇と、とにかくエンターテイメントが大好きだった。漫画なら『ドラゴンボール』に『SLAM DUNK』、『ARMS』。名作の数々に、何もかも忘れて吸い寄せられた。

「きっと感化されすぎちゃったんですね(笑)。自分も作品の中に飛び込んでみたいっていう欲が抑えきれなくて。そういうのって成長するにつれて分別がついていくものなんでしょうけど、僕は逆で、全然諦めきれなくて。何とかなんないかなってよく考えていました」

きっと自分には何か特別なものがあるはずという自信と、自分がどうしようもなく凡庸に思えて仕方ない不安。相反するふたつの感情がせめぎ合い、ときに身が引き裂かれるような想いをしながら、少年たちは大人になっていく。

「学生時代は、いつも自信と不安が隣り合わせでした。周りには、自分を慕って集まってくれる人たちがいる。そういう状況に自信を覚える反面で、その自信は気弱な自分を隠すためのものでもあったんです」

気弱な自分――。その言葉に、誰も知らない10代の頃の松田凌の素顔が見えた。

「ものすごい心配性です、僕。強がって大きく見せたがるんですけど、本当はものすごく小心者。たぶんこの性格は親父譲りなんでしょうね」

そう言って、こんなたとえを持ち出した。

「親父は(『ドラゴンボール』の)ベジータみたいな人なんです、見た目も性格も。LINEのトップ画像もベジータにしているぐらい、周りからもよく“似ている”と言われていて。(主人公の)悟空に憧れて、でも絶対悟空にはなれない。僕はその息子だからトランクスですね(笑)。やっぱり悟天にはなれない」

「特別な人は特別なことに憧れを抱かない。だから、憧れている時点で僕は“普通”の人。それが嫌で、一生懸命特別になりたがっているだけの人なんです」

憧れの下北沢へ。松田凌、17歳の冒険

行き場のない自尊心を抱えながら、目指すべき場所を定めきれなかった高校生活。夢と呼べるものは、まだ見つけられないでいた。

「大学に行く、という選択肢はなかったです。何かを探すにしても4年という時間は長いなと思って。もっと早く自分は何になるのかを決めたかった。それで、最初は何となく美容とか服飾とか、そっち系の専門学校に行こうかなと思っていました」

あの“板”の上に立ちたいと、心に決めたのは高2の冬。はじめて東京に出た日のことだった。

「ずっと東京に行ってみたい気持ちはありました。あんまり地元(兵庫県)から出たことがなくて、外の世界に対して憧れがあったんですよ。海外も好きで、ずっとバスケをやっていたから、NBAの本拠地であるアメリカへの憧れも強くて。とにかく広い世界を見てみたかった。その最もわかりやすいシンボルが、東京でした」
東京遠征の目的はひとつ。その時期に上演していた、俳優・深沢敦と歌手の杏子によるプロデュース公演『URASUJI3』を観に行くことだった。

「その少し前に『下北サンデーズ』という小さな劇団が主役のドラマがやっていたんです。その中に出てくるスズナリという劇場に興味を持って。叔母が『URASUJI3』を観に東京まで行くと聞いて、それがスズナリでやることを知ったから、僕もついていくことにしました」

スズナリとは、演劇の聖地・下北沢に佇む、小さな芝居小屋のことだ。正式名称は、ザ・スズナリ。アパートの2階部分を改装し、最初は稽古場だったところを、1981年から劇場として営業開始。現在、下北沢に8つある本多劇場グループの中で最も歴史の古い劇場であり、下北沢を演劇の街たらしめた、はじまりの地でもある。

一見客が思わずたじろぐアングラ感たっぷりのディープな外観。初の東京観光で、多感な高校生が選ぶようなスポットとはとても思えない。今考えれば、この場所に来ることを自分で決めた時点で、松田凌の身体に流れる「演劇バカ」の血が騒ぎはじめていたのかもしれない。

板の上で遊んでいる大人たちに、人生を変えられた

「あの日のことは今でも鮮明に覚えていますね。東京までは新幹線で行きました。修学旅行以外で新幹線に乗ったこと自体、ほとんど記憶になくて。冬の寒い時期でしたけど、全然知らない土地に行けることに、冒険みたいで心がワクワクしていました」

東京駅からJR、私鉄を乗り継ぎ、下北沢駅へ。テレビでずっと見てきたその場所に、はじめて降り立った。

「渋谷とか新宿に来たときは、“これが東京か!”っていう感じがしたんですけど、下北はあんまり東京っていう感じがしなくて。改札から出た瞬間、不思議なんですけど、どこか来たことがあるような、懐かしい感じがしました」

ザ・スズナリは、駅から徒歩5分ほど。茶沢通り沿いに構えている。人ひとり通るので精いっぱいの古い鉄製の階段を上り、今にも床が抜けそうな古びた受付を抜けると、客席だ。壁面は四方真っ黒。階段状になっている客席にはパイプいすが並べられ、前方2列は長いすにクッションを置いただけの桟敷席。満員になれば、隣の人と肩がふれ合いそうになるぐらい狭い。

「学校集会とか電車の中とか、人が密集しているところでじっとしているのが苦手で。しかも僕が座ったのは最前列の桟敷席。舞台から演者さんの汗やら何やらが飛んでくるわけです。あまりの人口密度の高さと気迫に、はじまってすぐは大丈夫かなってちょっと心配になりました」

だが、そんな戸惑いはたちまちに吹き飛んだ。『URASUJI』とは、庶民の恨みを晴らすべく暗躍する闇稼業の仕事人たちを主人公とした時代劇ミュージカル。松田が観劇したシリーズ第3弾では、舞台を清国に移し、二胡(中国の伝統的な擦弦楽器)の生演奏を交えながら、荒唐無稽なアクション時代劇がよりスケールアップして描かれた。

「粋でしたね。当時、まだ僕はうまくそのときの気持ちを言語化できなくて、衝撃的とか、勢いという言葉に変換していたんですけど。帝国劇場とか、それこそブロードウェイから声がかかるような第一線の実力者の方たちが、その誘いを蹴ってまで、この舞台に全身全霊を注ぎ込んでいる。もう利益なんてものは一切関係がなくて、スゴい人たちが本気で“遊んでいる”感じがしたんですよ。それを目の当たりにしたとき、こんな粋なものがあるのか、と思ったんです」

ブレーキはいらない。一度の人生、思い切り走ろうと決めた

すし詰めの窮屈な客席のことなんて、もうすっかり気にならなくなった。それよりも、手を伸ばせば届きそうな場所で、自由に歌い、演じる人たちの姿に心をさらわれた。興奮と、陶酔と、憧憬と。今までまったく味わったことのない感情が、どくとくと全身を駆けめぐった。

「もう圧倒されっぱなしでした。それまでの自分の人生になかったものを、紙1枚挟むか挟まないかの至近距離で与えられたみたいで。そのときにたぶん人生が180度裏返っちゃったんですよね」

ずっと「主人公」になりたかった。でも何もない普通の自分が、そんな特別なものになろうだなんて、恥ずかしくて言えなかった。

「だって恥ずかしいじゃないですか。だからずっと押し殺してきて。でも、あの瞬間、自分が今まで必死にとどめて、ブレーキをかけていたものが爆発しちゃったんです。もういいかって。いろんなものを全部取っ払って、一度しかない人生、思い切り走ってみようって」

松田のこのエピソードは、ファンなら誰もが知る有名な話だ。彼自身、何十回と取材の場で話し続けてきた。けれど、彼はそのたびにまるで昨夜の出来事みたいに、熱をはらんだ言葉で、高揚した目で話してくれる。今から10年前、寒い冬の日にともった演劇に対する火は、今もまったく衰えることなく、それどころか年々温度を上げて、彼の中で燃え続けているのだ。

「これから生きていく中でも忘れることのない、人生でいちばんのターニングポイントだと思います」

嫉妬まみれの養成所時代。無力さを見破られるのが怖かった

「役者になる」――『URASUJI3』を観たその日の夜、松田は家族に宣言した。そして、高校卒業と同時に、大好きな地元・尼崎を離れ、俳優養成所に通うべく上京。そこには、松田と同じように役者という途方もない道を目指す若者が全国から集まっていた。

「あのときの僕は、欲にまみれていましたね」

さらりとそんな強い言葉を使う。

「あの頃、僕の中で最も強い欲望は“嫉妬”です。同年代の役者さんみんなに嫉妬していました。学校という小さな世界でさえスゴい人がいるのに、外を見ればすでに活躍されている方たちがたくさんいた。そんな人たちに対する嫉妬と、僕は何をしているんだろうという焦りに、心が支配されていました」

決して周囲から目をかけられていなかったわけではない。むしろその逆だった。

「すごく期待をしていただいたんですけど、すべて自分で折っていました。自分の才能のなさと努力のなさが理由です。学校の成績もよくなかったですし、外部のオーディションで一次審査に受かっても、必ずその先で落とされる。きっと僕の人間力のなさを見抜かれちゃっていたんだと思います」

「可能性を懸けるに値する人間ではなかったんですよ」。謙遜でも自虐でもない。冷静に、松田は当時の自分を評価する。

「今ならそれもよくわかるんですけどね。あの頃はとにかく言いわけばかりで、まったく自分の殻を破ろうともしませんでした」

今、我々が客席から観ている松田の印象は、とにかく全力の人だ。たとえ昼夜2公演あっても、体力配分はまるで考えない。幕が上がれば命を削るようにして役を生き、生命力を燃料にして、板の上に立ち、燃え尽きる。言いわけとか、殻に閉じこもるとか、そういう言葉からは無縁の人、のように見える。

「たぶん当時の経験があるから、今はそうなっているんだと思います。学生の頃はとにかく“振り”ばっかりでした。一生懸命やっている“振り”。ちゃんと頑張っている“振り”。そういう“振り”ばかりがうまくなっていました」

そんな見栄や誤魔化しを、松田は“殻”と呼んだ。尼崎にいた頃と変わらない。強く見せることばかりに拘泥する、中身は気弱な小心者のままだった。

「自分が本当は何もないっていうことに気づきたくなかったんだと思います。全部をさらけ出すと、こいつ絶対にダメだよなって誰が見てもわかる。そのことを自覚していたんです。だから、何とかそう見られないように“振り”ばかり得意になって、周囲から絶対に可能性があるって思われようとばかりしていました」

当時、養成所の同期で、現在も同じ業界で切磋琢磨している仲間と言えば、舞台『弱虫ペダル』の新開隼人役で知られる宮崎秋人や、舞台『メサイア』で⼩暮洵役を演じる橋本真一、舞台「黒子のバスケ」で緑間真太郎役を務めた畠山遼などがいる。今でこそ互いに刺激を与え合う戦友だが、当時はそうした彼らにも鬱屈した感情を抱くことがあった。

「彼らはそうじゃないって言うかもしれないけど、僕の目から見れば3人とも圧倒的にすごかった。この世代の中で頑張んなきゃいけないのかっていう重圧が、ときに憎しみに変わりそうなこともありました」
▲取材後は演劇ショップ「観劇三昧 下北沢店」へ。松田さんの誕生日が近かったこともあって、店内の好きな商品をプレゼントすることに。ひとしきり悩んだ末、松田さんが選んだのは「子どもの頃から何度も観た」という『身毒丸』(蜷川幸雄作品)のBlu-rayソフト。(作品タイトルに誤りがございましたので修正いたしました)

何も持っていないくせに、悲劇の主人公を気取っていた

夢は、夜景と同じだ。遠くから見ているほうがずっと美しい。でも、近づくほど現実や見たくもないものまで目に入ってしまって、落胆したり失望したりする。

そのピークが、卒業前。プロの役者となるべく、所属先を各自で見つけなければならなかった。役者にとっては就職活動のようなもの。就活生たちが、自分よりたくさん内定を獲得している同級生を見て、卑屈になったりするように、松田もまた他人と比べては心をかき乱していた。

「中には、50社以上から声をかけてもらっている子がいて。僕も周りからそれぐらい手を挙げてもらうことを期待されていたのに、まったく届きませんでした。だったら、その悔しさを糧に頑張ればいいのに、僕はオーディション雑誌を投げ捨てて、“何で俺の良さを見てくれないんだ”って、またバカな考えに陥っていましたね」

さらに松田は続ける。

「何も持っていないくせに、何で誰も俺のことを見てくれないんだって、悲劇の主人公を気取っているような人間だったんです」

同じ「主人公」でも憧れていた姿とは正反対。いったいどうやって負のループから抜け出すことができたのだろうか。そう尋ねると、松田は溢れ出てくる想いをそのまま吐き出すように語りはじめた。

「自分の人生をここで変えなきゃ、絶対に行きたい場所には行けないんだなって。そうはっきりと実感する瞬間があったんです」

あの頃はとにかく誰かに見つけてもらいたくて必死だった

きっかけは、オーディション会場での出会いだった。そのオーディションは、養成所がセッティングした会場に何十社もの芸能事務所が集まって、その中から各担当者が次世代のスター候補を発掘するシステム。学生たちは何とか目にとめてもらおうと策を尽くす。そのひとつが、ブックの制作だった。

「(ブックは)簡単に言うと、自主制作の写真集みたいな感じです。自分はこういう人です、こういう表情ができますっていう宣伝資料を自分でつくるんです。それをオーディション会場の外に並べておくと、事務所の担当の方がチェックするんですけど、何とかここで目にとまろうと思って。トイレに行くふりをして会場を抜け出して、他の人のブックをどけて、自分のをいちばん目立つ場所に置いたりしていました(苦笑)」

「めちゃくちゃこすいですけどね」。そう松田は恥ずかしそうに頬を赤らめる。しかし、どんな手を使ってでもいいから誰かに自分のことを見つけてほしくて必死だったのだ。

「そのブックを見てくれたある人が、事務所の面接に呼んでくれたんです。それが、今、僕がお世話になっているマネージャーなんですけど」

松田がデビュー以来、所属しているキャストコーポレーションは、今でこそ橋本祥平、有澤樟太郎など、2.5次元舞台を代表する人気俳優を輩出しているが、当時は女優メインで、若手の俳優はもう何年も採っていなかった。ひさしぶりに若い男の子を育てたいという意向で訪れたオーディション会場で、松田凌は“見つけられた”のだ。

「すごく不思議なんですけど、面接を受けに事務所のオフィスに行って、ドアを開けた瞬間、ここだって思いました。言葉にすると第一印象としか説明できないんですけど、自分を見てくれる視線が今までとまったく違ったんです。面接に呼ばれたのが僕を含めて3人だけ。少ないぶん、自分に価値を感じて呼んでもらえているんだってうれしさもありました」

「とにかくここに懸けようって。それはもう鬼気迫る勢いで、自分のことをいろいろと話しました。今思えば、面接を担当してくれた人も怖かったんじゃないかっていうぐらい(笑)、とにかく一生懸命でしたね」

今までみたいな生き方をしていたら、もう先はないと思った

結果は、合格。誰にも見つけてもらえない孤独の季節を越えて、やっと誰かに自分を選んでもらえた。

「今でもすごく覚えているんですけど、所属が決まって、改めて事務所までご挨拶に伺うのに、学校の教務の方がついてきてくれたんですね。その方も授業とかいろんな用事があったのに、僕のためにわざわざ時間を割いてくださって。道すがら“ここから頑張ろう”とか、いろんなことを話してくれたんです」

その幸福感が、見栄やプライドという“殻”に閉じこもっていた松田凌に変化を起こした。

「改めて期待をしてもらえることのうれしさや責任がわかるようになったというか。思ったんです、今までみたいな生き方をしてたら、もう先はないなって。自分の人生をここで変えなきゃ、絶対に行きたい場所には行けないんだなって」

人の目を気にしてくすぶっている時間があるなら、その時間も全部芝居に捧げよう。誰かと比べて卑屈になるくらいなら、自分を磨いて、できることをひとつでも増やしていこう。それが、周囲からの期待に応える最善策だ。

呆れるぐらいストイック。超がつくほどの芝居の虫。松田凌は、胸がちぎれるような嫉妬と焦りとコンプレックスを経て生まれたものだった。

ミュージカル『薄桜鬼』へ。役者・松田凌、誕生の瞬間

松田凌の名がはじめて世に大きく取り沙汰されたのは、2011年10月5日。人気女性向け恋愛アドベンチャーゲーム『薄桜鬼』を原作としたミュージカル『薄桜鬼』斎藤 一 篇の制作が発表され、松田は主演(齋藤 一 役)として会見の場に登壇することになる。

グレーのチェックのジャケットに、明るめの栗色の髪。今よりずっと初々しく、緊張で少し強張ったような表情の松田が、無数のフラッシュを浴びて、世に現れた。それは、文字通り「役者・松田凌」誕生の瞬間だったが、もう自分がそこにいるのかいないのかもわからないぐらいに緊張していたという。

「松田凌として公の場に立つのはそのときがはじめて。それも(ミュージカル『薄桜鬼』を手がける)マーベラスさんの大事な製作発表会という場だったので、もう自分がそこにいるのかいないのかもわからないぐらいに緊張していて」
 
何しろ1年間養成所に通ったとはいえ、本格的な演技は未経験。ミュージカル『薄桜鬼』のオーディションでは、斬りつけられて倒れなければいけないところを、勝手がわからず突っ立ったままで、周囲を呆れさせた。受かるなんて想像もしていなかった。

「(オーディションは)本当にボロボロでした。お芝居もできない、殺陣もできない、ただみんなに笑われて終わり。現実って甘くないんだなとがっくりしながら会場を後にしました」

だからこそ、合格の連絡をもらったときは信じられなかった。電話に出ると、通話口の向こうでマネージャーの声が驚きと喜びでうわずっているのがわかった。

「『受かったぞ。しかも主役だ、斎藤 ーだ!』って、ふたりしてパニックになりました(笑)。その日はずっと自分が選ばれたことで頭がいっぱいで、何も考えられなかったです」

沖田総司 役の廣瀬大介とふたりで立った製作発表会。緊張で頭が真っ白になりながら、でもそのとき感じた想いや空気の匂いは、なぜか今も鮮やかに残っている。

「その日は雨が降っていたことまで、よく覚えています。ここからいろんなことが始まっていくんだなって。松田凌としての第一歩を、あの日、ようやく踏み出すことができました」

その日からスタートしたブログは、現在に至るまでほぼ毎日更新され続けている。1本目のタイトルは「START」。「初めまして☆ この度blogをスタートすることになりました♪」という初々しい書き出しに、希望と不安でいっぱいの素顔が垣間見える。

役者を続ければ続けるほど、怖さを感じるようになった

あれからもう8年が過ぎようとしている。20代のほとんどすべてを松田は芝居に懸け、芝居によって生きる実感を得てきた。『仮面ライダー鎧武/ガイム 』の城乃内秀保/仮面ライダーグリドン役で念願の仮面ライダーになることができた。『ライチ☆光クラブ』『HiGH&LOW』など映画にも出演し、舞台では東宝ミュージカルや『魔界転生』など大型公演にも主要キャストとして名を連ねるようになった。

立ち止まることも休むこともなく駆け抜けてきた道のりを振り返り、今、何を思うのか。彼の答えは、少し意外なものだった。

「怖いですね。どんどん道が狭くなっている気がして。今まで遠くにぼんやりと見えていたものが、だんだんより明確に見えるようになってきて。広いと思っていた道がどんどん細くなって、自分の進む方向が定められつつあることが、怖いなって感じます」

「でも」と松田は言葉を区切った。

「それは嫌な怖さじゃなくて。松田凌という名前を、自分という人間を、知ってくださる方が増えて来たから。年齢を重ねたぶんだけ、期待値も上がるし、責任も強くなる。何より応援してくださっている方への責任も感じますし、それをもうゼロにすることはできない。ちゃんとその責任を背負って生きていかなければいけないんだって。そういう怖さなんです」

かつては期待されることに苦しんだ。だけど、期待は力にもなる。ここまで続けてこられたのは、自分を応援してくれる人と、自分と一緒にやりたいと言ってくれた人。その恩恵を松田はよくわかっている。

「この怖さがないと人生は楽しくないんだと思います。50代とか60代とか、年を重ねれば重ねるほど、この気持ちはどんどん深くなって、そこにはきっと今の僕ではわからないことがたくさんある。そういうことを考えるようになってから、新しく誕生日を迎えるのが、年々緊張するようになりましたね」

人生は甘くない。だけどそこに楽しさもある

取材は9月の初め。あと10日もすれば28歳になる。

「きっと28歳の誕生日もまた緊張するんでしょうね。でも、この痺れるような感覚が僕は好き。人はあすどうなっているかわからない。だから、きょうを1日しっかり生きようって気になれるんです」

「役者を目指そうと決めた高2の冬から毎年どんどん自分の人生が濃くなっているのがわかる。それはちゃんと自分が掲げた理想に近づいている証拠なんだって思っています」

最後の質問は高2の冬、『URASUJI3』を観終わってザ・スズナリから出てきた自分に声をかけるとしたら、なんと言ってあげたいか。その問いに、じっくり12秒、熟考したのち、松田はゆっくりと「甘くないよ」と言った。

「綺麗なものや美しいものを見るだけなら、どんな生き方をしていてもいっぱい見られます。でも、自分が見せる側として生きていくには、甘くない道を選ぶしかない。あなたが今、選ぼうとしている道は、そういう覚悟がいる道なんだって言ってあげたいですね」

「たぶん当時の自分は、そんなことを知らない人に言われたらケンカになると思いますけど(笑)」
取材当日、外は激しい雨が屋根を打ち付けていた。運命を決めたミュージカル『薄桜鬼』の製作発表当日と同じ。雨男なのは、性分らしい。傘を差して、彼は歌うように下北沢の街を歩き出す。

デビューしたばかりの松田凌の顔はまるで女の子のように愛らしかった。今も笑うとこぼれる八重歯だとか、屈託のない少年の面影は残ってはいるけれど、それ以上にぐっと精悍な顔つきになった。この日の雨のように流した涙の数や、逃げずに戦った日々がしっかりと刻み込まれた、大人の男の顔だ。

本当の自分は気弱な小心者だとわかっているから、彼はあらがう。特別にはなれない普通の人間だと知っているから、一生懸命あがいていく。松田凌はこれからも戦うことをやめない。世界でたったひとつの自分という人生の主人公であるために。
松田凌(まつだ・りょう)
1991年9月13日生まれ、兵庫県出身。A型。2011年に芸能界デビュー後、2012年にミュージカル『薄桜鬼』斎藤 一 篇(斎藤 一 役)で初舞台&初主演に抜擢。以来、『メサイア』シリーズ(海棠鋭利役)、舞台『K』シリーズ(伊佐那社役)、『曇天に笑う』シリーズ(金城白子役)など、数々の人気2.5次元作品に出演する。また、2013年には『仮面ライダー鎧武/ガイム』(城乃内秀保役)など、実写作品でも活躍している。10月14日からは舞台『里見八犬伝』(犬川荘助役)に出演予定。

「2.5次元俳優の原点」特集一覧

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、松田凌さんのサイン入りポラを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2019年9月30日(月)18:00〜10月6日(日)18:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/10月7日(月)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから10月7日(月)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき10月10日(木)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
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