人生にリハーサルはない。永田崇人は一度きりの人生を悔いなく生きると誓った

夢の街・東京。そのシンボルとして愛され続ける東京タワーから、大きな夢に向かって歩きはじめた人がいる。

俳優・永田崇人、25歳。ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」の孤爪研磨役や、ドラマ『初めて恋をした日に読む話』(TBS系)のエンドー役で若い世代を中心に人気を集める注目株だ。

彼のデビューは、ここ東京タワーから。同施設内に常設されている、アニメ『ワンピース』を題材とした大型テーマパーク『東京ワンピースタワー』。その目玉企画の人気のライブ・エンターテインメントショー『ONE PIECE LIVE ATTRACTION』で主人公のモンキー・D・ルフィ役を務めた。

大きな口をいっぱいに広げて笑うその顔は、ルフィそのもの。永田の人なつっこくて、周りの人をみんな味方にしてしまうような明るさも、天性の才能だ。

ルフィ役を卒業して3年が経った今も、彼はここが「原点」と胸を張る。そんな場所を訪れて語るのは、自らのこれまでの歩み。

これは、やりたいことがわからなかった少年が、初めて見つけた夢の話だ。

撮影/すずき大すけ 取材・文/横川良明
スタイリング/青木紀一郎 ヘアメイク/茂手山貴子
撮影協力/東京ワンピースタワー

「俳優の原点」特集一覧

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年間およそ1300ステージ。ルフィとして駆け抜けた1年間

「けっこう最近も来てて。だから懐かしいっていう感じでは正直ないかもしれない」
「思い出の場所を訪ねる」という企画で、彼が選んだのは、東京タワー。落ち込んだりすると、今でもよくここに来て、元気をもらうという。永田崇人にとって「東京ワンピースタワー」は“原点”であり“パワースポット”なのだ。
「毎日眠いなあって思いながら通っていたのは覚えています(笑)。最初のうちは1日8公演あったんですよ。いつも朝が早くて夜は遅い。でも不思議と苦ではなかったです。スゴい楽しいって思いながらやっていました」
『ONE PIECE LIVE ATTRACTION』とは、プロジェクションマッピングや照明技術を駆使しながら、"麦わらの一味"が観客の目の前で冒険を繰り広げるライブ・エンターテインメントショー。その特徴は、台詞をアニメの声優がそのまま演じること。演者は声を使わず、動きでキャラクターを表現する。
2015年3月よりスタートし、永田はその初代・ルフィ役として出演(※三浦宏規、竹中凌平とのトリプルキャスト)。年間1300近くのステージを休むことなく走り切った。
ルフィ役でデビューを果たしたのは21歳のとき。芸能界を志す身としては、少し遅めのデビューと言えるかもしれない。それもそのはず。その数年前までは自分が芸能人になるなんて考えてもいなかったのだから。

©尾田栄一郎/集英社・フジテレビ・東映アニメーション
©Amusequest Tokyo Tower LLP

やりたいこと=面白いこと。行き当たりばったりから生まれた転機

小さい頃から家があまり裕福でないことが、ひそかなコンプレックスだった。大好きな母と妹の3人暮らし。子どもの頃、絵馬に託した願いは「大人になったら裕福な暮らしがしたい」。その想いから少年だった永田崇人は勉強に励むようになった。
「とりあえずちゃんと勉強して、いい大学に入って、いい会社に入れたらいいかなって。それで勉強は真面目にやっていました。高校も進学校だったし、大学受験のときもめちゃくちゃ勉強して。まあ、大学に入ってからは全然勉強しなくなるんですけど(笑)」
猛勉強の末、熊本大学に進学した。故郷の福岡県を離れ、寮生活を開始。約60年の歴史を有するその学生寮ではさまざまな伝統行事があったという。
「寮生みんなで赤ふんどし一丁になって、街中をわっしょいわっしょいって掛け声をあげながら走るイベントがあって。1、2年は裸足でなきゃダメなんですけど、3年になるとサンダルを履いても良くなるんです! 意味がわからないですよね(笑)」
学部は工学部。情報系の勉強をしたが、それを仕事にしたいというイメージは浮かばなかった。大学生活は、気の合う仲間を集めてサークルをつくったり、勉強そっちのけでアルバイトに励んだり。とにかく面白いことがしたいと行動を起こした。
本人いわく性格は行き当たりばったり。けれど、思いがけず道が開けるのは、そんな行き当たりばったりからだった。
「当時、洋服屋さんでバイトをしてたんですけど、店の人にもよく何か面白いことがしたいって言ってたんですね。そしたら地元のタウン誌で読者モデルの仕事を紹介してくれて。面白そうだなと思って『やる!』ってすぐに返事をしました」

©尾田栄一郎/集英社・フジテレビ・東映アニメーション
©Amusequest Tokyo Tower LLP

大学を辞めて東京へ。自分の進むべき道が開けた瞬間

興味本位だった読者モデルの仕事から、本格的に芸能活動を意識するようになったのは、現場で一緒になったカメラマンの「俳優をやってみたら?」というひと言がきっかけだった。
もともとそうした華やかな世界に興味がなかったわけではない。そのタウン誌では、俳優の高良健吾がかつてモデルとして活動しており、身近なロールモデルにも見えた。歌手なのか俳優なのかはよくわからない。ただ、人前に立って何かをする姿をイメージしたとき、初めて自分のやりたいことが見えた気がした。
「さっそくその気になって、大学2年ぐらいからいろんな芸能事務所に書類を送ってみたんです。たぶん50社以上は送ったと思う。だけど、一度も返事は来ませんでした」
「普通、それだけダメだったら自分には才能がないって諦めるんですけどね。なぜか強気だったんですよ。あ〜、まだ誰も俺の良さに気づいていないんだなって、めちゃくちゃポジティブでした(笑)」
そんなポジティブシンキングは、永田を驚きの行動に移させる。猛勉強して入った大学を中退し、ひとり東京に出て、養成所へ通うことに決めたのだ。
「僕はいつも後先考えずに行動するタイプ。悪く言うと、あまりちゃんと物事を考えられない人間なんですね。東京に行くぞって決めてからは大学にも行かなくなって。代わりに、一生懸命バイトして上京資金を貯めはじめました」
最大の難関は、親だった。不安定な職業に息子が就くことを快く思うはずがない。そう予想した永田は先に既成事実をつくることで突破を狙った。
「ちゃんと出席しないと留年する授業があって。自分を試すわけじゃないですけど、もう出ないって決めて、わざと単位を落としたんですね。で、留年が決まったその夜に親に電話して伝えました、『大学を辞めて東京に行く』って」
親からすれば寝耳に水。電話越しに飛んでくるのは反対の声だった。結局、その日の話し合いはケンカになって終了。その後も粘り強く何度も連絡をし、自分の気持ちを訴えた。

突然のバイク事故。死の覚悟が人生観を大きく変えた

ただぼんやりと、もっと面白いことがしたいとだけ願っていた、どこにでもいるごく普通の大学生を、そこまで強く駆り立てたものは何だったのか。
「大学2年のとき、バイクに乗ってて事故に遭ったんですよ」
さらっと、何でもないことのように、そう永田は言った。
「いろんな事務所に応募している最中で。その日もボイストレーニングか何かの帰り道だったと思うんですけど、僕がまっすぐ走ってたら、横を並走していた車が急に車線変更をしてきて。ブレーキを踏んだけど間に合わず、そのまま倒れて突っ込んじゃって」
幸いにも、永田自身は無傷だった。警察の現場検証でも過失は自動車側にあると判断された。だが、車に衝突する瞬間、よぎった死の覚悟は永田の人生観を大きく変えた。人生はいつ何が起こるかわからない。あしたも、あさっても、当たり前にやってくるとは限らない。
「だったら、やりたいことをやろうって。そのほうが絶対人生楽しいだろうなって。あのときの事故が、背中を押してくれたところはあった気がします」
初めてやりたいと思えるものを見つけた。安定とか、保証とか、手放すものはたくさんあるかもしれないけど、それよりも欲しいものがあったから、惜しくはなかった。
周りの同級生たちが大学3年生になる春、永田は大学を辞めて、東京へ向かった。20歳、人生を変えた決断だった。

勝負服は、小2の誕生日にもらった黄色いノースリーブ

東京にやってきた永田は東中野のシェアハウスで新生活をはじめた。ほとんど知り合いのいない場所。はじめのうちは寂しくて、地元の仲間とSkypeをしていた。しかし養成所のレッスンがスタートすると、どんどん夢中になっていった。
「昔は、漠然と有名になりたいとか売れたいっていう気持ちが大きくて。でも、そういうのって何かカタチのあるものではないから、すごく曖昧で。自分でもよくわからない何かを見ながら、ずっと走っていた感じでした」
一生懸命レッスンに取り組む一方で、どうやったらデビューできるんだろうと、苛立つ気持ちも常にあった。チャンスが訪れたのは、あるオーディションの告知。東京タワーに国民的な大ヒットアニメを題材にしたテーマパークができるという。そこで上演されるショーの出演者を募集していた。他でもない、永田のデビュー作となる『ONE PIECE LIVE ATTRACTION』のオーディションだった。
「初めての外部のオーディションでした。正直、最初は無理だろうなと思っていたんですよ。養成所生っていう時点でディスアドバンテージだと思っていたんで。僕みたいな“芸能人未満”は、どうせ通らないだろうなと思っていました」
それでも、自分にとっては初めてのオーディションだ。しかも、大好きな作品の、大好きな役。昂ぶる気持ちでいっぱいだった。オーディションのときに着ていったのは、アディダスの黄色いノースリーブ。
「小学2年生のときに担任の先生から誕生日プレゼントにもらったんですよ。その先生のことが大好きで、15年近く経つのに、ずっと持ってて。それで、願掛けの意味も込めて、オーディションでは先生からもらったノースリーブを着ていきました」
大切な人との縁や感謝を忘れない。永田が、周りから愛されるのも、そんな人柄あってのことだろう。
願掛けは、見事に成就した。順調にオーディションを勝ち進み、養成所生という身ながら、主役に合格した。
「マネージャーさんから『崇人、受かったよ』って電話をもらったときは、もう『やったー!』のひと言でした。養成所に通いながら外部の舞台でメインキャストをやれる子もあまりいなかったので、それもすごく嬉しかったです」

もっとお芝居を深くやっていきたい。自ら決めた“卒業”の道

1年間でおよそ1300のステージに立つ。それはあらゆるライブ・エンターテインメントの世界と比べても、特殊なことだ。単純に日割りで計算しても、1日3回以上の本番をこなしていることになる。声は発しないが身体は目いっぱい使う。体力が必要だし、ケアも欠かせない。モチベーションを保つだけでもひと苦労だ。
「もちろん楽しかったけど、毎日やっていると自分の気持ちを奮い立たせてやらなきゃいけないときもあって。そういう意味では厳しさも味わった現場でした。あのときの自分だからできたというか。たぶん今、同じ仕事をしろと言われたら正直苦しいなって思うぐらい、大変な仕事でした」
▲全力で演じた『ONE PIECE LIVE ATTRACTION』当時のワンシーン。
©尾田栄一郎/集英社・フジテレビ・東映アニメーション
©Amusequest Tokyo Tower LLP
全力を出し切る姿が認められたのだろう。当初の予定だった1年という契約期間が終わろうとしていた頃、「もう1年やってみませんか」と更新のオファーが届いた。
「正直、嬉しかったんです。その頃、自分の中で不安もありましたから。この仕事が終わったら、自分の役者人生はもう終わりかもしれない。先のことなんて全然決まっていなかったし、悩む気持ちもあって」
この話を受ければ、あと1年は観客の前に立って拍手を浴びる喜びを味わっていられる。だが、最終的に永田はその道を選ばなかった。
「やっぱり自分の声を出さない難しさはあって。自分の肉声を使って演じられる場所に挑戦してみたかった。それで、本当にもったいない話ではあるんですけど、自分の意志でごめんなさいとお断りしました」

研磨らしくない僕が研磨を演じるから面白い

何か新しいものを得るためには、今ある何かを手放さなければならない。永田が次のステップに進むための選択が、卒業だった。そして、選択した者にはまた新しい転機が訪れるのが人生というもの。永田のもとに新しいオーディションの知らせが舞い込む。それが、ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」だった。
演劇「ハイキュー!!」は、『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載中の古舘春一による同名人気漫画を舞台化したもの。2015年11月に初演。最新の映像テクノロジーと、若い俳優たちのアクロバティックなパフォーマンスを駆使して表現されるバレーボールの臨場感は多くの観客の心を掴み、翌年2016年春、即再演されるなど、大反響を巻き起こしていた。
「『ONE PIECE LIVE ATTRACTION』でお世話になった演出のウォーリー木下さんが演劇「ハイキュー!!」の演出をされていて、初演の初日に観に行ったんです。そしたらこんなに面白いものがあるんだって感動するぐらい、めちゃくちゃすごくて。絶対に自分もこのステージに立ちたいって思った。それで、次のオーディションを受けたんです」
永田がトライしたのは、音駒高校バレーボール部セッターの孤爪研磨役。主人公である烏野高校の日向翔陽とは対照的な、人と関わることが苦手な脱力系の少年だ。内向的で、普段から話し声も小さい。個性がはっきりしているぶん、演じる側としては特徴をとらえやすい役だともいえる。ところが、オーディションで見せた永田の演技は、ちょっと意外なものだった。
「これはあとから聞いた話なんですけど、研磨って根暗だし、声も小さいから、オーディションではほとんどの人がボソボソとしゃべっていたらしいんですね。実際の舞台ではマイクがあるからそれで大丈夫なんですけど、その頃の僕はそういうことをまったくわかっていなくて。舞台なんだし声を出さなきゃと思って、ひとりやたら大声でやっていました。それがウォーリーさんにハマったみたいで、研磨に選んでもらえたそうです」
演劇「ハイキュー!!」のような、漫画やコミックを原作とした舞台作品は、近年、「2.5次元舞台」と総称されている。2.5次元舞台では、いかに漫画のキャラが現実世界に抜け出してきたかのように見せるかが第一。実際、永田と孤爪研磨は身長や猫目のところはよく似ている。だが、内面という意味では、フレンドリーな永田に対し、研磨の対人スキルはかなり低め。性格は真逆と言っていい。
「自分でも真逆だと思います。でもそこがいいみたいで。ウォーリーさんは研磨みたいな人が研磨を演じても面白くないって考えるタイプ。全然違う人が演じるから、いろんな考えや方向性が見えるんだっておっしゃっていて。たしかに僕も真逆だからこそ考える部分がいっぱいあるなって思います」

コマ割りがない世界で、どうリアクションを見せるか

永田が演劇「ハイキュー!!」に初出演したのは、2016年秋上演の"烏野、復活!"から。その後"勝者と敗者"、"進化の夏"、"はじまりの巨人"とシリーズに欠かせないキャラクターのひとりとして活躍した。孤爪研磨として生きるために永田がいちばんこだわったのは何か。
「ミザンス(立ち位置)です。演劇「ハイキュー!!」って『ここに立ってください』みたいな指示がまったくなくて、すごく自由。自分が持ってきたものが採用されるし、逆に言うとちゃんと自分で考えてこなくちゃやれない」
研磨は目立つことを好まない。だから前面やセンターばかりを陣取っていたら、研磨としては不自然に見える。とは言え、主要キャラクターのひとりである以上、後ろや隅のほうにばかりいたら、観客の視界に入ってこない。
「漫画だったらワンカットでリアクションを抜いてもらえるんだけど、舞台ではそういうことはできないし、さあどうしよう、と。どこの位置にいればちゃんと研磨のリアクションが伝わるだろうって、そういうのを考えるのが楽しくて、完全にお芝居にのめり込みました」

須賀健太から引き継いだ“座長”の重責と、2回溢れた涙

そんな自らの出世作で、ついに永田は主演を飾ることとなった。それが、この春に上演された"東京の陣"だ。
主人公・日向翔陽を演じた須賀健太ら烏野高校キャストが、昨秋上演された"最強の場所(チーム)"をもって卒業。長らく同シリーズを牽引した須賀たちから次へとつなぐかたちで、永田は演劇「ハイキュー!!」の看板を託されたのだ。
「プレッシャーはありましたよ〜(笑)」
永田はその身にのしかかった重責を笑い飛ばすように、そう振り返った。
「泣きましたもん、プレッシャーがスゴすぎて。最初に泣いたのは"東京の陣"の情報発表があった『ジャンプフェスタ2019』。あのときはもう、烏野(高校のメンバー)のいない演劇「ハイキュー!!」なんて見たくないって言われるんじゃないかと不安でしょうがなかった。でも発表された瞬間、たくさんの人がすごく喜んでくださって。みんな楽しみにしてくれているんだって思うと、急に涙が出てきました」
▲永田が孤爪研磨役として主演を演じた"東京の陣"のワンシーン。
©古舘春一/集英社・ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」製作委員会 撮影:岸 隆子
2回目の涙は初日のカーテンコール。無事にこの日を迎えられた安堵感。いい作品をつくれたという達成感。いろんなものがないまぜになって、涙腺がつい緩んでしまった。
「いつもカーテンコールでは健太くんが『本日はハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」にご来場いただきまして誠にありがとうございます』って言うのがお決まりで。今回はそれを僕が言う役目だったんですけど。感極まっちゃって(本日の)『ほ』が出ないんです。『ほ』が出ると泣いちゃう! って(笑)」
「作品としてすごく魅力的だったし、楽しかったし。僕を主役にしてくれたのは、音駒のみんなや、(対戦校である)梟谷学園や戸美学園のみんなで。周りへの感謝の気持ちもあって、自然と泣けてきましたね」
そんなふうに語る瞳がすでにじんわりと潤んでいる。そう指摘すると、恥ずかしそうに永田は笑った。
「本当ですか。もうやめましょう、この話。東京タワーに行く道でアイツ泣いてるぞって笑われちゃう」
デビューから4周年を迎え、21歳のあの頃とは比べものにならないほどたくさんの経験を積んだ。それでもきっと本質は全然変わっていない。よく笑って、よく泣く、エモーショナルな男。シンプルに言うと、永田崇人という人間は、とってもいいやつなのだ。
永田が出演した"東京の陣"は、多くの喝采を浴びながら大千秋楽を迎えた。
演劇「ハイキュー!!」シリーズは物語の主役校である烏野高校に新キャストを迎え、今秋から「新生烏野」として次のステージへと進む。
ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」公式サイト

初の連ドラ出演。『はじこい』の現場で吸収したもの

そして今年、永田崇人の名前は舞台以外でも広まるようになった。きっかけは、1月クールに放送されたドラマ『初めて恋をした日に読む話』(TBS系)。横浜流星の演じた“ゆりゆり”こと由利匡平が爆発的な人気を呼び、日本列島に“はじこい”ブームを巻き起こした。
その中で永田が演じていたのが、ゆりゆりのクラスメイトであるエンドーだ。派手なパーカーに大きめの眼鏡をかけた愛嬌たっぷりのビジュアルで、また新しくファン層を広げた。
永田にとっては、初の連ドラ出演。慣れ親しんだ舞台での演技との違いに、最初は戸惑うことも多かった。
「舞台に関してはこうやったらもっと面白いとか、自分でいろんなことを思いつくぐらいには楽しんでやれているんですけど、映像はまだ楽しめる段階ではないかなって。撮影中は、どうしたらいいんだろうって不安になることが多かった気がします」
だが、学生時代の猛勉強ぶりが証明しているように、生来が勉強家。それも分析するのが好きだと言う。今までとはまったく違う現場で、これまで関わることのなかった先輩俳優たちの姿を見て、自分に足りないものを貪欲に吸収していった。
「舞台の場合、大胆な演技を求められることが多いんですけど、映像はもっと細かいところにまで配慮をしないとお芝居が嘘っぽくなる。そういうディテールを上手に見せる技術を(中村)倫也さんのお芝居を見て学びました。共演シーンはそんなに多くなかったんですけど、永山(絢斗)さんも素敵でした。たとえばしゃべりながら、ちょっと時計を見たり、あくびをしたりと、ト書き(脚本でセリフの合間に挟まれる演出などを説明したもの)には書かれていない動作を自然に入れていた。それがすごくリアルなんです」
ドラマ放送後にSNSのフォロワー数が急増するなど、自身に対する反響も大きかった。上京に反対していた母親も、息子が全国ネットのドラマに出演している姿を見て、大いに喜んでくれたという。
「それまではいろいろ心配していたんですけど、ドラマに出てからは母もあんまりうるさく言わなくなりました(笑)。あとは、いつも僕の舞台を観に来てくれていたおばあちゃんが最近、腰を悪くして来られなくなっちゃって。ちょうどそのタイミングで、あのドラマがあったから、頑張っている姿をおばあちゃんに観てもらえたのも良かったなって」

もっとブレイクしたい。視界にとらえた、次のステージ

大ブレイクを果たした横浜流星は、永田より3つ下の22歳。世代的には近く、撮影終了後も一緒に食事に行くなど交流を深めている。そんな横浜のフィーバーを、永田は近くでどう見ているのだろうか。
「もともと僕よりずっと有名だし、人気もあるし。何より僕から見てもカッコいいし、すごくいいやつ。もしこれが全然知らない人だったら悔しかったかもしれないけど、流星なら当然だなって思います」
では、同じ若手俳優として、自分も続きたい気持ちはあるか。そう聞くと、「もちろん」と間髪入れずに答えた。
「チャンスはあるんだな、と思いました。1本のドラマであれだけの反響がある。そういう瞬間があるんだって」
チャンスがあるなら、絶対に掴みたい。なぜならこの世界は、初めて自分が「やりたい」と思って飛び込んだ場所だから。
「やりたいことはいっぱいあります。ドラマのレギュラーもやりたいし、もともと映画がやりたいと思って東京に出てきたので、映画ももっと出てみたいし。あとはなんだろう。CMもやってみたいです。まだまだいろいろありますよ(笑)」
やりたいことを指折り数えるように挙げていく彼は、25歳とは思えないぐらいあどけない表情を浮かべていた。

永田崇人には、まだまだやりたいことがいっぱいある

もちろん不安や焦りがないわけではないだろう。だけど、そんなことで気持ちが沈んでしまうぐらいなら、背中のリュックにはワクワクすることだけ詰め込んで進んでいこう。永田を見ていて幸せな気持ちになれるのは、そんな楽しいイメージが膨らんでくるからなのかもしれない。そう考えると、彼が最初に演じた役がルフィだったことは、必然のことのように思える。
俳優という仕事も、自分の未来も、まだ何もわからないまま、赤いシャツに麦わら帽子をかぶって約1300ものステージに立ち続けた自分へ。今の自分から声をかけるなら、何と言ってあげたいですか。そう最後に質問を投げかけた。
「そのまんまでいいよって。あのときにできる最大限をやっていたと思うので、もっと頑張れとは思わない。むしろ、あのとき頑張ったから今があると思うし、そういう意味では、ありがとう、ですね」
過去の自分にはどこまでも優しい。けれど、今の自分に対してはストイックだ。25歳の今の自分が、21歳だった自分に会いに行けるとしたら、胸を張って会えますか。そう質問を重ねると、少しくすぐったそうな顔をして、こう切り出した。
「胸は張れないかなあ。まだ胸は張れないです。もちろんたくさんの出会いに恵まれて、いろんな方に支えられて今があるから、そこに関してはありがたいという気持ちでいっぱいですけど、今の自分じゃ全然足りない。まだまだやりたいことがいっぱいある。あの頃の自分に誇れるように、もっと頑張って、やりたいことを叶えていかないと」
過去の自分とハグを交わす日は、もっと先でいい。最後は自分に言い聞かせるように、言葉を結んだ。
永田崇人は、これからもっともっと面白くなる。身長167cmの身体は、無数のやりたいことで今にもはち切れそうだ。
永田崇人(ながた・たかと)
1993年8月27日生まれ。福岡県出身。A型。2014年、東京タワー フットタウン内の『東京ワンピースタワー』ライブ・エンターテインメントショー『ONE PIECE LIVE ATTRACTION』(モンキー・D・ルフィ役)でデビュー。以降、『ROCK MUSICAL BLEACH」〜もうひとつの地上〜』(日番谷冬獅郎役)、ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」シリーズ(孤爪研磨役)、舞台『宝塚BOYS』(上原金蔵役)、舞台『いまを生きる』(トッド・アンダーソン役)などに出演。映像作品にはドラマ『初めて恋をした日に読む話』(TBS系)(エンドー役)などがある。

「俳優の原点」特集一覧

サイン入りポラプレゼント

今回インタビューをさせていただいた、永田崇人さんのサイン入りポラを抽選で3名様にプレゼント。ご希望の方は、下記の項目をご確認いただいたうえ、奮ってご応募ください。

応募方法
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受付期間
2019年7月6日(土)12:00〜7月12日(金)12:00
当選者確定フロー
  • 当選者発表日/7月16日(火)
  • 当選者発表方法/応募受付終了後、厳正なる抽選を行い、個人情報の安全な受け渡しのため、運営スタッフから個別にご連絡をさせていただく形で発表とさせていただきます。
  • 当選者発表後の流れ/当選者様にはライブドアニュース運営スタッフから7月16日(火)中に、ダイレクトメッセージでご連絡させていただき7月19日(金)までに当選者様からのお返事が確認できない場合は、当選の権利を無効とさせていただきます。
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